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誰かの声が聞こえる。
「私、星野美香、よろしくね。あなたは?」
美香?
これは、夢か?
「あ、ええと、僕は。……七海。小泉七海、よ、よろしく」
これは……美香と初めて話をしたときの夢を見てるのか。
「七海くん? あはは、女の子みたいな名前ね」
「そ、そうかな」
初めて会ってから、ずっと憧れていた美香。
偶然、授業のグループディスカッションでいっしょになって、話をすることができたんだっけ。
僕は、子供の頃から好きになった女の子に話しかけることが苦手だった。
自分に自信が持てる要素が何一つ思い付かないから、嫌われたり、馬鹿にされたりするのが怖くて、どうしても自分から距離を縮めることができない。
だから、いつも相手のことを遠くから眺めているだけだった。
きっと美香も、ただそんな存在として終わるだろうと、最初からどこか諦めていた。
そんな僕にも、神様はチャンスをくれた。
初めての美香との会話。
僕は、そのとき美香が話した言葉のすべてを、何度も、何度も頭の中で反復していた。
今でも、その言葉をすべて覚えている。
僕の方は、ただ緊張して、固まっていただけだったけれど。
僕は、あの日の夢を見ているのだろうか。
きっと、もうすぐ僕は死ぬんだろう。
美香に誘われて訪れた雪山で遭難して、最後に見る夢が、やっぱり美香の夢だなんて。
まぁ、悪くない、か……。
「ちょっと! しっかりして!」
……?
誰だろう?
美香?
「美香……。さようなら……」
最期に、美香の幻に会うこともできるなんて……。
「もう! しっかりしてってば!」
「痛てっ!」
頭を叩かれ、僕は我に返った。
雪山で遭難していたはずの僕は、いつの間にかどこかの暖かい部屋の中にいた。
そして。
目の前には、一人の女の子が、心配そうな目で僕を見つめながら立っている。
彼女は誰だろう。
僕は、どこにいるんだろう。
頭を混乱させながら、僕はただ、僕を見つめるその女の子を見つめ返す。
「良かった。気が付いた?」
「……うん、たぶん」
僕は訳も分からず答えた。
「まだちょっと混乱してるみたいね」
「混乱っていうか……。ここは……どこなんだ?」
「私の家。あなた、雪の中に倒れてたのよ」
「雪の中……」
ふと我に返った。
「そうだ! 僕は美香たちとスキーに来て……それで……」
自分の身に起きたことを虚ろに思い出しながら、慌ててベッドから起きあがろうとする。
「痛っ……!」
しかし、右足に強烈な痛みが走り、そのまま再びベッドに倒れ込んでしまった。
「あっ、足、ケガしてるの?」
「たぶん、転んだときに……。早く戻らないと……!」
「戻るって、外は吹雪よ!」
「吹雪……」
窓の外を見ると、たしかに都会じゃ見たことの無い勢いの雪が吹き荒れていた。
クソッ!
きっと、美香たちが心配してる……!
「美香……」
……いや。
「どうしたの?」
「……僕のことなんて、誰も心配してなんかいないよな……」
僕は俯いたまま呟いた。
「……ねぇ。どうしてあんなところに倒れてたの?」
自分でも、よく分からなくなった。
スキーが下手だから?
みんなに置いて行かれたから?
「……まぁ、スキー場で倒れてるなんて、理由は一つだけだろうけど」
「その……」
訊く彼女と目を合わせず、僕は質問には答えず、ただ胸を締め付けていたものを吐き出すように口を開いた。
「……初めて会った君にこんなこと話すなんて、おかしいと思われるかもしれないけど……」
「……うん」
「……好きな子がいたんだ。その子に、スキーに誘われて」
美香に誘われたときのことが、まるでもう遠い昔のことのように思える。
「だけど、気付いたんだ。自分は、単なる荷物持ちだったんだ、って」
彼女は何も答えないけれど、ただ静かに僕の言葉の続きを待っているようだった。
「そりゃそうだよな。みんなから好かれてる人気者の美香が、それ以外の理由で僕なんかを誘うなんて……」
自分でおかしくなって、思わず笑ってしまう。
「バカだよな、ホント……。おまけに無理して滑ろうとしてこのザマだよ。カッコ悪いな、まったく……」
今度は涙が出てきた。
僕は、彼女に見られないように頭を抱えた。
「待って」
彼女は、そっと僕の足を覆うように手を当てる。
「……?」
不思議な感覚が、僕の足を包み込でゆく。
「……はい。どう? まだ痛む?」
「……痛く……なくなった、かも……」
自分の感覚が信用できず、僕は、彼女と自分の足とを見比べた。
「……は、ははは……」
思わず壁際に後ずさりながら、そういえばどうしてこの子はこんな山小屋に住んでるんだという疑問がようやく沸いてきた。
「き、君は……何者なんだ?」
「私?」
すっ、と浅い溜め息をつくと、彼女はなぜか、窓の外の雪景色を見つめながら答えた。
「……雪音。それが私の名前」
静かに微笑んだ彼女の目が、少しだけ潤んでいるように思えたのは、僕の気のせいだろうか。
「ユキネ……?」
「そう。あなたは?」
「……七海。……小泉七海」
「そう、七海……。七海か……」
彼女は、なぜか少し嬉しそうに笑いながら、僕の名前を繰り返し呟いた。
「その、変な質問だけど……君は、何て言うか、あまり人間的ではない何かを感じるんだけど……」
「ふふふ」
な、何だ?
「私、たしかに普通の人間じゃないかもね」
「……かもね?」
「……雪女、って知ってる?」
「ゆ……」
雪女ぁっ!?
一体、この女の子は何を言っているんだろう。
……そうか。
僕はきっと、死に際におかしな夢を見てるんだ。
もしかして、もう死んでるのかも……。
まぁ、どっちでもいいか……。
バタッ、っという漫画のような音ともに、僕は床へ倒れこんだ。
「あっ! ちょっと!」
僕は、再び心地よいまどろみの中に誘われていった。