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「痛てっ!」
降り積もった雪に飲み込まれるように、僕はまた転げ落ちた。
「あはは。七海くん、また転んでる」
ゴーグルを外しながら、美香が笑いかける。
キラキラと光る雪原に照らされた笑顔が眩しくて、僕はつい目をそらしてしまった。
「うーん、どうしてかな。全然コツが掴めないよ」
僕は照れながら、座り込んだまま体中の雪を振り払った。
「まぁ、慣れだよ、慣れ。繰り返してればそのうち滑れるようになるわよ」
「そんなもんかな……。何だか、あんまり上達してる気がしないんだけど」
「最初はみんなそうだよ。でも良かったじゃない。この雪なら、何回転んでもそれほど痛くないでしょ?」
「う、うん」
本当は尻もちを付くたびに涙を堪えるのに必死なんだけど、美香にそう言われたら強がらない訳にはいかない。
「おーい、美香! 小泉なんて放っといて、もっと上行こうぜ!」
「あ、じゃあ、私もちょっと行ってくるね。がんばってね、七海くん」
「あ、ちょっと……」
何とか立ち上がろうとしている間に、美香はみんなのほうへ行ってしまった。
「行っちゃった……」
美香の後ろ姿を見つめながら、僕は体中の力が抜けていくのを感じた。
「はぁ……」
今年最後の連休。
僕は、大学の友達とスキーに来ていた。
本当は、スキーなんて興味は無かった。
これまでだって、一度もやったことはない。
今年も、ウィンタースポーツなんてものに挑戦しようなんて気は全くなかった。
『良かったら、七海くんもいっしょに』
そんなとき、美香からスキーに行こうと誘われた。
驚いた。
美香は、同じ大学の同級生。
入学して初めての授業でいっしょだった美香は、誰もが目を惹かれるほどに輝いていた。
あのときの彼女の眩しさは、この銀世界でさえ霞んで見えるほどだったと思う。
僕は、一瞬で彼女に心を奪われた。
彼女は美人で、成績も優秀、スポーツも万能で、おまけに育ちも良い。
それに引き換え、僕は成績はいつもギリギリ単位を逃さずにすんでいる程度、得意なスポーツなんて何も無ければ、ジリ貧だ。
彼女と自分が、どうやったって不釣り合いなのは分かっている。
それでも、僕は彼女に憧れた。
美香のことが、好きだった。
「よいしょ……」
何とか起き上がり、美香たちが登っていった上級者コースを見上げる。
太陽の光を反射した雪原は、想像していた以上に眩しく見えた。
「……よし。僕も練習して、少しでも美香に追いつかないと!」
僕は気合いを入れ、ストレッチをする。
震える脚を押さえ付けながら立ち上がり、何とか滑り出す。
「あ、あれ、あれれ」
思い通りに進まない僕の体は、どんどんとコースを外れて滑り落ちていく。
ゆっくりと動き出そうとしたはずなのに、自分の意に反して重力のままに加速する。
「おい! そっちは危ないぞ!」
誰かの叫び声に振り返る余裕も無く、コースを外れた僕はますます急な斜面を転げ落ちる。
「あ、あああああああっっっっっっ!」
どれくらい転がり落ちただろう。
もう人の声も聞こえないくらいのところで、僕の体は止まった。
「痛っ……!」
立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。
寒さで痛みにもあまり実感が無いが、もしかして骨折でもしてしまったのだろうか。
想像すると怖くなったが、如何せん動かないのだからどうしようもない。
「参ったな……」
僕は、その場に仰向けに倒れ込んだ。
透き通るような空を見上げながら、美香のことを考える。
美香に誘われたときは、この空にさえ手が届いたような気持ちだった。
もしかして……なんて期待も、抱かなかったと言えば嘘になる。
けれど、いっしょに行くメンバーを見ながら段々と分かってきた。
美香と仲のいい女子たち。
類は友を呼ぶと言うけれど、美香ほどではないにしろ、みんな一般的に美人と呼ばれる子たちだ。
それに男性陣も、普段なら僕はろくに話もしないメンバーがほとんどだ。
僕は、単なる荷物持ちでしかなかった。
美香はキレイだ。
性格も明るいし、友達も多い。
頭脳明晰で、授業ではいつも鋭い分析で、物事の核心を的確に見据えている。
でも、やっぱり美香は僕のことなんて目に入ってはいなかったんだと、僕は今さらのように気付いた。
「美香……」
急に、涙が出てきた。
いっそ、このままここで死んでしまおうか。
自棄になってそう思いながら、僕は目を閉じた。
頬に吹き付ける風の寒さと、背中に染み込んでくる雪の冷たさに、今更生きてる実感が沸いてきた。
……まずい。
このままだとホントに死んでしまう。
焦ってみたが、動かない脚で、僕はその場からどうすることもできなかった。
僕の意識は、少しづつ薄れてゆく。
最後に目を閉じる直前に見上げた世界には、ただ広すぎる空が、僕を見て嘲笑っているかのように立ちはだかっていた。