15
扉の向こうには、もう何年も会っていなかった気がするくらいに懐かしい雪音の姿があった。
彼女は、ベッドの上に顔を半分伏せたまま横たわっている。
僕は、雪音の顔が見える距離にそっと歩み寄った。
ずっと泣いていたのか、雪音の頬には、涙の跡が残っていた。
「……雪音?」
情けないくらいに、か細い声でその名前を呼ぶのが精一杯だった。
静かに目を覚ました雪音は、しばらく無言で僕を見つめたあと、僕の腕にしがみついてきた。
「七海……」
雪音の声を聞いた僕は、今にも泣き出してしまいそうになる。
僕は自分で思っていた以上に、雪音の声が好きだったということに気付いた。
「雪音との想い出を辿りながら、ここまで来たんだよ」
そうだ。
あれは、雪音の記憶じゃなかった。
「七海……」
堪えていた僕の涙は、代わりに雪音の瞳からこぼれ落ちていた。
「生まれ変わる前の君を拾って育てた八雲という男、あれは」
そう、僕はその男を知っていた。
「あれは、僕だったんだね」
僕の見た、雪音の生まれ変わる前の出来事。
それは、生まれ変わる前の僕自身の記憶だったんだ。
「ごめん……。思い出すのが、遅くなっちゃったね」
僕は、雪音を強く抱きしめた。
「ごめんね、ずっと隠してて……」
ごめんね、と言った雪音の孤独が、痛いほど伝わってくる。
その孤独を、どうやって受け止めてあげたらいいのか分からない自分が、ただひたすらもどかしかった。
誰よりも大切な雪音が、今、僕の胸の中にいるのに。
大切な人を抱きしめているという感覚は、テレビや小説で見聞きしていたよりも、ずっと悲しいものに思えた。
「いいんだよ。でも、どうしていなくなったりしたんだよ」
「だって、私は春になれば……」
雪音は一瞬、迷うように言葉を探した。
「春になれば、消えちゃうんだよ? もう、いっしょにいることはできないのに……」
「それがどうしたって言うんだよ! 僕はただ、今この時間を雪音といっしょに過ごしていたいだけなんだ!」
他の何もいらない。
雪音のそばにいたい。
ただそれだけなのに。
「一つ、聞いてもいいか? 雪音にとっては、辛い事なのかも知れないけど……」
「……何?」
僕には、どうしても分からないことがあった。
雪音は、春が来れば消えてしまうと言う。
けれど、僕の読んだ物語に出てくる雪女、つまり雪音の母親は、間違いなく数年間の間、夫である人間の男といっしょに暮らしていたはずだ。
「雪音のお母さんは、どうして春になっても生き続けることができたんだ?」
「それは……」
「もしもそれが分かれば、雪音だって」
冬が終わっても、今のままいっしょにいられるかも知れない。
そう考えた僕の望みを吹き消すかのような沈黙の後で、雪音は僕と目を合わせないまま言った。
「……分からない」
「分からない?」
「うん……」
「……そっか」
雪音が何か隠しているような気もしたけれど、僕にはそれ以上追求することはできなかった。
「……いっしょに帰ろう」
やっと聞き取れるくらいであったろう僕の小さな声に、雪音も小さく頷いた。
同じように小さく、短すぎる時間が。
けれど、同時にその何倍もの大きすぎる時間が。
僕と雪音を待ち受けていた。