10
八雲に拾われた雪音は始めこそ母親を恋しがっているのか、いつも淋しそうな顔をしていたが、徐々に八雲との生活に打ち解けていった。
毎日、八雲が薪を拾いに出かければいっしょに森へ行き、時には村の子供たちとも遊ぶようになった。
「あ、ほら雪音、見てごらん。キツネがいるよ」
ある日、雪音は八雲といっしょに森を歩いていた。
「あーっ! かわいいー!」
嬉しそうにはしゃぐ雪音の元に、キツネは恐る恐る近付いてきた。
「おいでおいで。よしよし。どこから来たの?」
雪音は、その子狐の顔を覗き込みながら話しかける。
「珍しいな、キツネがこんなにすぐ人間に近付いて来るなんて」
「そうなの?」
「ああ。山の動物たちは恐がりだからな。きっと、雪音には動物に好かれる不思議な力があるんだろう」
八雲にそう言われた雪音は、誇らしげに子狐に笑いかけた。
やがて、子狐は名残惜しそうに山へと帰って行った。
「またねー!」
「さぁ、僕らも帰ろうか。夕飯の支度をしないと」
八雲は、雪音の手をとって歩き出す。
「ねぇ、あの木、すっごく大きいね」
帰りの道中にあった大きな木を指差して雪音が言った。
「ああ、あれは桜の木だよ」
「さくら?」
「ああ。春になるとね、あの木いっぱいに、きれいな薄紅色の花が咲くんだ」
「へぇ~。楽しみだなぁ」
「僕も小さい頃、死んだ母さんといっしょに、よくこの桜を見ながら歩いてたんだ」
八雲は、目を細めながら桜の木を見つめていた。
「よし。春になったら、いっしょに見に来よう」
「うん!」
これが、父親の幸せというものなのだろうか。
嬉しそうに微笑む雪音の姿を見ながら、八雲はそう感じていた。
「雪音ちゃーん! 遊ぼーう!」
振り返ると、道の向こうから数人の子供が手を振っている。
「あ! 今行くよー!」
「雪音、夕飯までには帰ってくるんだよ」
「はーい」
子供たちの元へ駆けてゆく雪音の姿を見届けると、八雲は先に家路へとついた。
雪音の子供時代の記憶。
これは、雪音の意志が僕に見せているのだろうか。
感覚を失いそうになるくらいに凍り付いた意識の中で、なぜか雪音の記憶だけが鮮明に僕の脳裏に浮かび上がってくる。
──桜、見てみたいんだ。
僕は、いつか雪音が言っていた言葉を思い出した。
雪音が桜を見たがっていた理由が、ようやく分かった気がした。
けれど、それならどうして……。
──一度も見たこと無いんだ、桜の花。
幸せそうな2人の姿を見つめながら、なぜか僕の心は、得体の知れない不安に包まれていた。