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桜吹雪のシュプール  作者: 七咲ひろむ
10/24

9

「雪音! 雪音ーーー!」


雪音の名前を叫びながら、僕は雪山を彷徨っていた。


「くそ! もう三月になるってのに、ひどい雪だな……!」


東京では信じられないくらい、山には雪が降り続いていた。



──雪女の物語には、続きがあるの。



遥美の話を思い出しながら、僕は雪の中を歩き続けた。


この間、雪女の話を読み返していたとき、その結末に何か違和感を感じていた。


その理由が、遥美の話を聞いたときに全て分かった。


まさか、雪音があの……。


「……!」


気が付くと、三百六十度、見渡す限り同じ景色になっていた。


「しまった……方角が分からない……!」


遭難、という言葉が頭に浮かんだ。


「……いや、諦めてたまるか!」


必死で意識を保とうとするが、身体だけじゃなく心まで凍り付きそうな寒さに、頭がもうろうとしてくる。


足に力が入らなくなり、うっかりバランスを崩して倒れ込んでしまった。


「くそっ!」


もう、これまでか……。



「……さんっ! お母さん……っ!」


薄れ行く意識の中で、小さな女の子の叫び声が聞こえた。


「これは……夢……?」


……いや、違う。


その声に、僕は聞き覚えがあった。


僕は、あの日起こったことを見ているんだ。



そこは、何十年も昔、山奥の名も無き小さな村。


女の子は、雪の中を彷徨い続け、やがて一軒の民家に辿り着いた。


最後の力を振り絞り、その家の戸を叩く。


「はい、どなたかな、こんな時間に?」


中から、一人の男が出てきた。


「これは……! 一体どうしたんだい!?」


「寒い……寒いよ……」


「さぁ、とにかく中へ!」


男は、女の子を家の中へと招き入れる。


「ほら、これを飲みなさい」


男は、湯飲みに入れた白湯を差し出した。


「……温かい……」


「さぁ、落ち着いたら話してごらん。お父さんか、お母さんは?」


「……いない」


女の子は、湯飲みで手を温めながら答える。


「かわいそうに……みなし子か……」


「お父さんは知らない……。お母さんは、雪になって消えちゃった……」


そこまで言うと、女の子は涙ぐんだまま下を向いてしまった。


「雪になって?」


男は、はっとして女の子を見つめた。


「まさか、雪女……? とするとこの子は、雪女の子ども……?」


女の子は、必死で涙を堪えながら訴える。


「お母さん、雪の中で私を産んで、すぐに雪になって死んじゃったの……」


「そういえば……。以前、木こりの老人が雪女に殺されたという話を聞いたことがある……。たしかそのあと、雪女はその木こりの息子と結ばれたが、夫と子供を残して姿を消したとか。信じられないが、この子はその雪女の忘れ形見か……」



……そうだ。


雪女の物語の続き。


秘密を明かしてしまった夫と子供を置いて家を出た雪女のお雪は、一人吹雪の中を彷徨い続けた。けれど、このときお雪のお腹には、すでにもう一人の子供がいたんだ。


しかし、一度人間の温かさに触れたお雪は、もう冷たい雪の中を生きてゆく力は失っていた。


やがて、その最後の子を産むと、彼女が物心つく前に、力尽きて死んでしまった。


そして、一人残されたその子は……。


「事情は分かった。もう大丈夫だよ」


男は、女の子の顔を覗き込みながら語りかける。


「今日からは、僕が君のお父さんだ」


「……おじちゃんが?」


「そうだよ。幸か不幸か、僕には両親も、妻も子供もいない。君と同じ、天涯孤独の身だ。君のような子がいてくれれば、この家も少し明るくなるだろう」


その言葉は決して押しつけがましくも投げやりでもなく、今会ったばかりの子供のことを心から気にかけていることがはっきりと伝わってくる。


「僕の名前は、八雲だ」


「……やくも?」


「うん。でも、すぐには難しいかもしれないが、いつかはおじさんのことを、『お父さん』って呼んでくれるかな」


「でも……」


「すぐにじゃなくていいよ。少しづつ、ここでの暮らしに慣れてくれればいい。えっと……」


「私……」


「ああ、そうか。君、名前は?」


女の子は、俯いたまま首を振る。


「お母さん、私を残して死んじゃったから……」


「……そうか。名前も無いとは可哀想に……」


八雲は、外の雪景色を眺めながら考え込んだ。


「それにしても、今夜はすごい雪だな。まるで、降り積もる音が聞こえてくるようだ」


そして、何かを思いついたように女の子のほうを振り向いた。


「……そうだ。降り積もる雪の音……」


八雲は、女の子の頭を撫でながら言った。


「雪音。今日からそれが、君の名前だ」


「ゆきね……?」


「そうだ。気に入ってくれたかな?」


微笑みかける八雲の目を、女の子は泣きはらした目で見つめた。


やがて、嬉しそうに頷いた女の子を、男は優しく抱きしめた。



その二人の出逢いを、僕は言葉も無く見つめていた。


雪音は、あの雪女の娘だったんだ。


母親を失い、一人彷徨っているところを、この八雲という男に拾われた。



僕は、まだ気付いていなかった。


あの日、美香たちと訪れた雪山で、雪音が僕の前に現れた、本当の意味を。

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