Prologue
窓の外、手入れの行き届いた庭の景色を背景に、真っ白な雪が降っている。
こんな日は、いつも彼女のことを思い出す。
あの日、吹雪の中で出逢った、彼女のことを。
「小泉さん、具合はどうですか?」
聞きなれた声に振り返ると、介護士の木村さんがいつもの笑顔で部屋に入ってきた。
「ああ、だいぶ楽になったよ。ただ、今日は少し寒いねぇ」
「毛布、もう一枚用意しましょうか?」
「いや、大丈夫だよ」
「そうですか。あ、雪が降ってきましたね」
「ああ。今年は、ずいぶんと雪が多いね」
「そういえば、小泉さんの書かれた小説、『桜吹雪のシュプール』、読ませて頂きましたよ。すごく素敵なお話でした」
木村さんは、頭の高さに本を掲げた。
「ありがとう。もう、ずいぶん昔に書いたんだが」
飽きるほど見慣れたデザインの表紙には、舞い散る桜の花びらの中で背中を合わせて寄り添う、一組の男女のシルエットが描かれている。
「本当に素敵でした。なんだか、これから毎年冬が来るたびに思い出しそうなくらい」
「冬が来るたびに、か……」
毎年、必ず冬はやってくる。
そして寒さに震えた白い季節が終わると、当たり前のように春が訪れる。
……当たり前のように。
「でも、こんなに素敵な話を書かれたのに、どうしてもう他の作品は書かないんですか?」
「あはは。僕には、小説を書く才能なんて無いからね」
「そんな、謙遜しちゃって。現にあんな物語を考えたじゃないですか」
「いや、それはね……」
僕は、再び窓の外を眺めながら言葉を詰まらせた。
真っ白な粉雪が、ふわふわと踊るように舞い降りてくる。
「……まるで、桜のようだね」
「え?」
「いや、こうして雪が降る様子を見ていると、桜が舞い散る景色を思い出すんだ」
「そっか。だから、桜吹雪、って言うんですね」
「ああ……」
もう、何年になるだろう。
こうして雪が降り、積もり、溶けて流れてゆく様を見ていると、あれはすべて夢だったんじゃないかと思えてくる。
忘れたことなど、一度も無い。
けれど、月日が流れるに連れて、僕の期待も少しずつこの雪のように流されていくような思いがした。
会いたい。
何もいらない。
ただもう一度、君に会えたら……。
あれは、雪が降り積もる中で出逢った、僕の人生で何よりも大切な思い出の物語。
やがて僕の意識は、かすかな記憶の跡を辿りながら、何年もの時を遡っていた。