ひだまりのねこが2023年の活動を振り返ります
ごきげんよう、ひだまりのねこですにゃあ!!
早いもので本日は大晦日。今年も残すところわずかとなりました。
早い……早すぎる。
そして年が明けたらすぐにまた年末がやってくるんだ……怖い。
さて、私はあまり、というか全く過去を振り返らないタイプですので、一応タイトルに振り返ってとは書きましたが、ほとんど記憶が飛んでいるので、振り返っても何もありませんでした。
それでも、いくつか印象的だったことはありますので、簡単にまとめさせていただきますね。
① AIイラストの隆盛 暗黒面との戦い
はい、これが今年一番のニュースというかショックな出来事でした。
私は二年前から絵を描き始めたんですが、控えめに言っても、バッキバキに心が折られましたね……。だって、絵を描くのってめちゃくちゃ大変なのに、AIイラストは描かなくても出来ちゃうんですよ? しかもハイクオリティなのが当たり前のように生成されるのです。
普段あまり毒は吐かずに耐えて消化して昇華するのを待つんですが、この時ばかりは結構弱音を漏らしていたと思います。一時期はAIイラストを見ると吐き気がするほどに受け付けなくなっていました。
AIイラストを題材にした小説やエッセイを書くことで何とか自分なりに落とし込もうとしたんですがなかなか上手く行かず、メンタルを安定させるのにほとんどのエネルギーを持っていかれていました。
またタイミングの悪いことにリアルで辛いことや悪いことが重なったこともあって、思い出したくもないほど辛い前半でしたね。
この時期はとにかく色んな人のAIイラストに関する意見や絵描きさんの見解を読みまくりました。結論から言えば無駄ではありませんでしたが、私の心を救うようなものはありませんでした。
それはそうですよね、だって私はその人たちではないんですから。刺さるわけがない。言いたいことはわかるけれど立場が違えば届かない。
ここで気付きました。
あ……これ、小説書き始めた時と同じだって。
私が読みたい作品が、見たい世界が無いから自分で小説を書き始めた。
絵も同じだと思いました。
私は上手い絵を描きたくて始めたんじゃなかった。
自分が思い描く絵を描きたくて始めたんじゃないかって。
AIイラストがどんなに上手い絵を描いたって私には関係ないよね。
大谷選手に勝てないなら好きな野球を辞める。それと同じことで悩んでいたのかって。
そこからはAIイラストと良い距離感で向き合えるようになりました。
むしろ良いところを学ばせてもらおうと思うようになったのです。
私は絵の勉強をしたことがありませんから、我流です。だからAIイラストを先生にした。
素直にここが良いな、私のイメージに近いなと思うところを参考にして描きました。
その影響ははっきり画風にも現れているので、最後にお見せしますね。
② 三年目の試練 見えないプレッシャーとの戦い
はい、私以前に二年目の壁というエッセイ書いたんですけど、どちらかと言えば、二年目の壁は過去の自分との戦いなんです。一年目の純粋でパワフルな自分を超えられない葛藤がメインですね。
ですが、三年目の試練は、自分だけでなく周囲との戦いがメインになってきます。
もちろん実際に戦うわけではなく、あくまでも比較してしまうという意味です。
他のグループはわかりませんが、小説投稿サイトにおいては、三年目といえばそこそこ中堅どころになってきます。なぜか?
三年持たずに筆を折る人が圧倒的に多いこと、長くやっている方は商業に主戦場を移して卒業してしまう、もしくは忙しくなって活動が少なくなってくるため、目立って活動している作者グループの中では、三年目の書き手はもう新人扱いされません。中堅とは言わないまでもそれなりの目で見られることになるのです。
前置きを長々と書きましたが、何が試練なのか?
簡単に言えば、先輩や同期が書籍化、コミカライズ、受賞をするケースが増えてくるということです。場合によっては後輩も。
これ以上喜ばしく誇らしいことはないのですが、同時に自分は何をやっているんだろう?
そういう想いがどうしても湧き上がってきます。
そこから逃れることは難しいです。
じゃあどうすれば良いのか?
人気が出るように王道テンプレを書けば良いのか?
もっと人気作品を研究すれば良いのか?
それともこんな世界滅んでしまえば良いのにと闇落ちするのか?
これも結局先ほどのAIイラストとの向き合い方と同じです。
自分の立ち位置、スタンスを確認すること、目を逸らさずに向き合うこと。
私は自分が読みたい作品を書いている。
自分に刺さるものが書きたい。
そこさえ見失っていなければ、心が折れることも筆を折ることもありません。
何万、何百万の作品があろうとも、自分にしか届かない場所がある。どんな名作だろうがそこまでは届かない。だから書くのは死ぬまで辞めない。
もし自分の小説に価値が無いと思っている人がいたら、それは間違いです。商業化しなければ意味がない。それも間違いです。
ここ小説家になろうは無料のサイトです。このサイトの収益と運営を支えているのは、作品を書いている私たちです。お金はもらっていませんが、生み出した価値はサイトの存続という形で、目に見える形で存在しているのです。
私は、小説家になろうが最後の砦だろうと思っています。小説投稿サイトは数あれど、替わりに成れるサイトは存在しない。
自信を持ってください。日本最大級の小説投稿サイトを支えているのは名もなき大多数の書き手なのですから。小説の未来は、最後の聖域はアナタが守っているのですから。
まだ見ぬ名作を探してこのサイトへやってくる読者と
この名作を世界に読んでもらいたいと願う作者が出会う場所。
未来の文豪と肩を並べて悩み励まし合いながら魂の触れ合いが出来る場所。
作者と読者の境界がかぎりなく透明に近く混ざり合っている奇跡のような場所。
こんな素敵な場所、他にはないと思っているのです。
③ 自主企画『集まれエッセイ企画』の主催
私の創作活動三周年を記念して先月主催した自主企画。
おかげさまでお一人一作品と限定させていただいたにも関わらず、142作品もの参加があり、大成功をおさめました。間違いなく今年のハイライトであり、私の活動の総決算的なものでした。
企画に関して思ったことや考えたことについては、私の活動報告で書いていますので、ここでは触れません。
ただ、一つだけ書いておきたいことがあります。
今回、企画参加条件には、過去作もOKとしました。
私は主催者として参加作品は一~三回すべて読ませていただいたんですが、私もかなりエッセイを読んでいますので中には過去に読んだことのある作品もそれなりにありました。
ここからが一番言っておきたいところです。
時間を置いて読み返すと新しい発見があります。違った感動があります。
いや、そんなことわかってるって言われるかもしれませんが、その当たり前のことを強く実感したのです。
数年前に読んだ作品だけじゃありません。企画期間中、最初にその作品を読んだ時、感想を書くために二回目に読んだ時、後夜祭で作品紹介を書くために三回目に読んだ時、まるで違う作品を読んでいるかのような感覚を受けました。
一度目では気付かなかった言葉、二度目ではわからなかった意味、三度目で初めて見えた景色。
読めば読むほど味が出る。小説も同じかもしれませんが、エッセイは書いた作者の価値観、生き方そのものが詰まっています。その分味わいが濃いのだろうなと気付きました。
毎日たくさんの新作が投稿される中、なかなか同じ作品を何度も読み返すのは難しいかもしれませんが、これはと思った作品と出会ったら、忘れずブクマすることを強くおススメします。
長々と書きましたが、最後に今年最初に描いたイラストと今年最後に描いたイラストを並べて今年一年の締めとしたいと思います。
また来年もこの場所でお会いできますように。皆さまの未来に幸あれ。
2023.12.31 ひだまりのねこ
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