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三日目

翌日、いよいよこの旅一番のイベントがある。

私たち家族が数時間の長旅の末にここまで来た理由。

そこまで言うと大仰だが、やる事はいたって簡単でこの港町にあるお寺のお坊さんにこの家まで来てもらいお経をあげてもらう。

本来はこの祖父母の家の仏壇の前ではなく、近所にある叔父夫婦の家で行うのが正しいのだろうが、アパートである事もあり仏壇を置いていない。

その為、こうして祖父母の家にある仏壇にあの子の位牌と遺影が置かれている。

ごたごたと色々な準備をしているうちに、お坊さんが訪ねて来てそれを迎え入れる。

お坊さんは仏壇の前に置かれた台の前に座り、お経を読み上げる。

意味は全く判らないが、きっとあの子のためになるのだろう。あの子があの世で迷わない事を心から祈る。

お経を読み上げ終わると早々にお坊さんは帰っていった。話していた内容からするとどうやら回らなければならない家がまだまだあるらしい。

事が終わると男性陣はまた談笑を始めた。

流石にこの後に数時間の運転が控えている父親はお茶にしているが、他の二人は既に酒が入り始めている。

今日の私はその場を離れる事なく、そのあまり興味がそそられない話を聞き続けていた。

理由は簡単で、この場を離れて例えば部屋に行ったりして一人になったら、確実に昨日の彼女とのやり取りを思い出して、自らの失態に苦しみもがくのが目に見えているから。

だから、目の前で繰り広げられるどうでもいいような内容の会話を聞き続けることで、思い出したくない事を思い出さないようにしている。

ああ、そう言えば彼女の名前をまた聞き忘れた。

もう会える事は無いだろうから、一生彼女の名前は判らずじまいだろう。

名前すら知らない彼女への片思いは、ひと夏の苦い思い出として私の心に刺さり続けるのだろう。

気が付けば、結局彼女の事を思い出している。私は意識的にたわいもない会話に耳を傾けた。

3人のうち2人に酒が入っているため、会話はすぐにとっ散らかった方向に進む。それでもやはり話の中心となるのはあの子の事だ。

あの子の思い出話をたまに涙を混ぜながら進める。いかに可愛く良い子であったか、それを繰り返し話続けていた。

何度となく同じ話を聞いているうちに、ふと気が付いた事が有った。

私はお手洗いに立つふりをして、廊下に出ると母親が通りかかるのを待った。

少しして通りかかった母親を呼び止め、聞いてみた。

「ねえ、私の思い過ごしかもしれないけど、あの子の最期って、」

母親は表情をこわばらせ、辺りに他の人が居ない事を確認して小声で教えてくれた。

「そういえば、あなたにはまだ教えて無かったわね。どうやら、自殺、じゃないかって言われているのよ」

男性陣の会話には生前の色々なエピソードは出てくるのに、その最期に関してだけは口が重くその話題はわざと避けているように感じ取れた。

母親は葬儀の時やここ数日で耳にした話をかいつまんで教えてくれた。

あの子は海に浮かんでいるのを発見された。

時間的には夜の始め。亡くなったのは夕方だろうと推測された。

その時間であればまだ世間の目があり、不審者は確認されなかった。更に発見時の服装的に海に入って遊んでいた事も考えられず、そもそもその日は天気は良く波も穏やかであった。

以上の事から事件性は無く、事故の可能性も低い。

結果として自分の意志で海に入った、と結論付けられた。

原因として考えられているのは、受験勉強のノイローゼやら彼氏に振られたやら、更にはいじめにあっていたという話まで出てきてたらしい。

それらはただの噂話でしかなく、それらが確かであるという証拠も無い。

遺影の笑顔とは裏腹に、何とも悲しい最期だった事か。

話ではその遺影の写真も亡くなる1年近く前の写真しか無かったらしい。

直近の写真は全て本人によって消去されていた。一説ではその頃の自撮り写真は全て彼氏とのツーショットだった為、振られた際に全て消したのではないか、という話だ。

「亡くなる前は一人でいる時間が多かったみたいね。それがそのまま虐められてたって事には繋がらないかもしれないけど」

そんな言葉で廊下での会話を終わりにした。正確には他の人が近づいてきたのでそこで打ち切りになった。

男性陣の会話が続く居間へと戻り、先ほどと同じ場所に腰をおろして、彼らの会話を聞いているふりを続けた。

しかし、頭の中では違うことが気になっていた。

昨日、彼女はあの子と仲良しだったと言っていなかっただろうか。恐らく亡くなる前に最後に会って会話したのも自分だと言っていなかっただろうか。

ではなぜ、あの子が一人で居たと言う話になるのか。本人の口からは仲が良かったと言ってはいたが、本当はそこまでの間柄では無かったのだろうか。

そんな風には見えなかった、というのが私の直観。でも、人間は目の前のだまそうと思えば、悲しみに暮れる振りも感情の乗らない涙を流すことも可能だろう。

そんなもやもやとした答えの無い問答を繰り返している内に、窓の外が夕焼けに染まっている。

「あれ、今日は砂浜に行かないのかい」

不意に祖父が話しかけてきた。

「え、ええ」

いきなりの質問にひどく曖昧な返答になってしまった。そんな事を言われてしまうほど、私が夕刻に砂浜に行く事が祖父の中で認知されていたようだ。少し恥ずかしい。

「美女が物憂げに夕方の砂浜に一人佇む姿があまりにも絵画的で周りで話題になってたよ。それこそまるで人魚の歌声でも聞き惚れているんじゃ無いかって」

「美女ではないですよ。不細工な一般女子です」

即座に修正する。そこまで自分の容姿に自信は無いし、有ったらもっと違った人生だっただろう。

「いやいや、じいちゃんの大切な孫娘だ。「美女」の訂正は適切だろう」

どうやらその部分は祖父の脚色らしい。男性陣の間に笑いが起きる。

それに砂浜で聞いていたのは人魚の歌声なんて物騒なものではなく、彼女とのなんて事のない楽しい会話のひと時だ。

ふと気が付く。祖父の伝聞では「一人で佇んでいた」となっていた。

そんなはずは無い。私が砂浜に居た理由は彼女と会う事であり、一人で夕日を見る為では無い。

私の姿が見えたのであれば、その隣に居た彼女の事も当然気が付いたはずだ。

なぜ、彼女の存在を無視して、私が一人で居たという事になってしまったのか。

そういえばさっきも同じような事を考えていた事を思い出した。

あの子が独りぼっちになった時も、彼女の言い分ではそばに居続けた、と言っていた。

母親との廊下での会話を思い返しても、彼女の事を指示しているらしい内容は無かった。

ごちゃごちゃとした色々なピースがはまりそうではまらない。

可能性のある答えは思いつくが、それを後押しするものは何もない。

一番はやはり本人の口から聞く事だろう。

私は立ち上がり席を外す事にした。

「じゃあ、お言葉に甘えて、今回の旅行最後の夕日を見に行ってきます」

「おう、行ってきな」

わざとらしく茶化して、その場を後にした。


砂浜までの短い道のり、そこに彼女がいるかどうかを考える。

彼女は今日もまたあの砂浜で待っていてくれるだろうか。

待っていて欲しいとは思うが、待っていないのではないかとも思える。

結果としては、彼女はいつもの砂浜に居はしたがその場にしゃがみ込んでいた。

彼女に近づいて初めてそれがすすり泣いている事に気が付いた。

心配しつつ近づくと、その足音で気が付いたのだろう、彼女は涙を拭いながら立ち上がりこちらに向き直った。

「今日は来てくれないかと思っていました」

「私も今日は居ないかと思っていました」

お互い相手に会えないかもしれないのに、ここに足を向けてしまったようだ。

彼女はその儚げな笑顔を見せながら言った。

「貴女と最初に会った時の事を覚えていますか」

質問の意図がくみ取れずそのままの答えをしてしまう。

「一昨日の事ですか」

「ふふっ。やっぱり覚えてなんかいないですよね。もっと以前に一度会っているんです。

当時の幼子だった自分にとってあの時の貴女は、私に足りないものを全て持っている、尊敬する人、と言うか、憧れの存在、みたいな感じに映りました」

「・・・思い返しても身に覚えがありませんし、そんな誰かから憧れられるほど出来た人間ではないです。

なので、申し訳ないのですが、多分それは誰か他の人と勘違いをしていると思います」

彼女はくすりと笑う。

「いえ、そこは間違えるはずがありませんよ。この砂浜で貴女と遊んだ後に、親に確認しましたから。

あの時の貴女は引っ込み思案で人見知りで内気な私を、遊ぶ事に誘ってくれました。当時の私には太陽みたいに優しく温かい人に思え、それ以来私の中の理想像の一つになっています」

過大評価も甚だしいが、彼女の話を聞きながらその内容と遥か昔の記憶との合致を感じる。

「そうすると、もしかして私が小さい頃にこの砂浜で遊んだ相手って、」

「覚えていてくれたんですか。」

驚きと喜びを混ぜた素敵な表情で声を弾ませて聞き返して着た。そんな反応をされると少し申し訳なくなる。

「申し訳無いながら、相手が誰だったかまでは今の今まで覚えていなかったですけど」

「ふふっ。それでも十分嬉しいです」

彼女は突然のプレゼントでも受け取ったかのように、満面の笑みで応えてくれた。

相手が彼女だったと言われて驚いたが、過去のその時の状況を冷静に客観的に考えればその可能性が高いだろう。

「そんな貴女に「隣に居てくれる人」と認めて貰ったのはとても嬉しかった」

「・・・」

「でも、そういうわけにはいかないのです。本当に残念です」

彼女の声のトーンが下がる。彼女の残念な気持ちが十分に伝わってくる。

「・・・」

うつむく彼女に返す言葉が見つからず、二人の間に沈黙が訪れる。しかしその間も太陽は徐々に水平線に沈んで行く。

一つ息を付いて意を決して言葉を口にする。

「千夏さんの最期を教えてくれませんか」

その言葉に彼女は顔を上げ一瞬驚きを見せた。その後、全てを悟った彼女もまた意を決した様に真顔になった。

「千夏ちゃん、彼女もまた内面は私と同じように弱く内気な人でした。

何とか取り繕った外面で、上っ面の交友関係を広げて、偽りの自分で学校生活を満喫しているふりを続けていました。

彼女に彼氏が出来た時、私は必死に止めました。「彼が愛してくれたのは外面の方だけで、内面を見せたら破局だろうし、そんな内面をあなたが隠し通せるわけが無い」と。

しかし、彼女の暴走は止まらず彼氏に執心し、それ以外目に入らなくなっていきました。

彼氏にはそれ以前からあまり良くない噂が流れていました。人の恋愛事情をとやかく言うつもりはありませんが、あまり褒められた物ではない事は知っていました。

案の定、彼女が付き合っていると称していた時期にも、その彼氏には数名の恋仲の方が居たらしいです。

やがてその彼氏の関心と時間は、他の人に注がれていきましたが、彼女は気が付いていませんでした。

もう一つその彼氏の酷い部分は、そんなどうでも良くなった元の相手の事を、虚構も含め悪く言う事で、今の相手の気を引こうとする事。

そのせいもあり、彼女の知らない所でありもしないレッテルを貼られ、彼女は独りぼっちになっていきました」

聞いているだけでその男を殴り飛ばしたくなってきた。典型的な駄目男。これだから男は嫌いだ。

「それで、あんな最期を」

そう言った私に対して、意外な事に彼女は首を振った。

「それは違います。彼女は決してそんな事はしていない。もちろん、心の弱い彼女ですからそんな事を考えた事はあったでしょう。

しかし、この砂浜で私たちは何時間も語り合いました。そして、彼女はそんな色々な嫌な事を振り切って、自分らしく生きていく事を決意してくれました」

「・・・」

「でも、その直後です。今みたいに夕焼けが広がる空の下、遥か遠くの水平線の方から聞こえてくる歌声を聞いてしまいました」

「・・・それって」

「淋しさがこもった悲しい歌声。独りぼっちの状況を何とか乗り越えようと決意したばかりの弱弱しい足取りにとって、その声はその足を絡めとりその場に崩れ落ちさせるには十分すぎる魔力を持っていました。

貴女が前に言っていた様に、頑張る事より傷を舐め合っている方が心地良いですから」

「・・・」

「私の制止も振り切って、彼女はその声のもとに向かって行ってしまいました。彼女の心は人魚と一体化して、その悲しい怨嗟の一部になってしまいました」

かける言葉も見つからない。それでもなんとか言葉を絞り出す。

「とても悲しい話、でも聞く事が出来て良かった。聞かなければあなたの事を誤解したままになっていたから」

「私も嬉しいです。こうやって話す機会に恵まれて聞いてくれる人がいて」

気が付けば既に夕方とは言えないほどに暗く闇が広がっている。

「では、そろそろさよならです」

彼女はそう言った。

「もう会えないの」

私は口にしてみたけど多分無理であろうことは彼女の雰囲気から感じ取れる。

「こうやって数日間お話出来たことですら、この時期が起こした奇跡みたいなものですから」

「・・・そう」

「せめて、年に一度くらいは私の事を思い出してくれればそれだけで私は嬉しいです」

「わかった。約束する」

「ありがとう」

それだけを言い残して彼女は立ち去ってしまった。きっと追いかけてももうそこには居ないのだろう。

砂浜に一人取り残され、闇のかかる水平線を眺める。

彼女に色々言ってあげたかったけど、何一つ気の利いた言葉が出てこなかった。

せっかくの奇跡を無駄遣いさせてしまった。

なんで私なんかの前に出てきたのだろう。彼女の声が聴きたい人は他にたくさんいるはずだ。

自分の不甲斐なさに自然と視界が下がり涙がこぼれる。

絶え間なく続く波の音。

その音と共に何かがかすかに聞こえる。

始めは何か判らなかった。しかし、その音だけに耳を傾けるとそれが何か判った。

綺麗なしかし悲しい歌声。

その声はまさに彼女の歌声だった。私の心を一瞬で鷲掴みにした、あの歌声。

驚いて顔を上げると、海の上に彼女が居た。

「ああ、私、私はまだ、あなたと、」

もっと彼女と話したい。もっと彼女と一緒に居たい。もう独りぼっちにされたくない。

そんな思いに駆られて、海に向かって一歩また一歩と近づく。

打ち寄せる波が足に触れそうなほど近づいた時に、私のもとを風が吹き抜ける。

暖かく心地の良いその風が、私を後ろから抱きしめてくれた。

「私のようにならないで」

そんな言葉がその風から聞こえた気がした。

その瞬間、私の心を占めていた焦燥感が無くなった。止めることが出来ないと思っていた足取りも止まった。

もうあの声も不協和音にしか聞こえないし、彼女の姿をしていたものはただの影になっていた。

私は大きく息を吸い込んだ。

海に来たのであればやる事と言えばこれだろう。

「ばっかやろー」

あらん限りの声で海に向かって叫んだ。叫び終わったころには酸欠でちょっとくらくらする。

そんな間抜けな残響が消える頃にはその不協和音も聞こえなくなっており、影も見当たらない。

色々なもやもやを声と共に投げ出して、すっきりとした気分で私は祖父母の家に戻った。

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