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一日目

私は一人、夜の砂浜を歩く。

耳に入るのは絶え間なく続く波の音と私自身が踏みしめる砂の音だけ。

海からの潮風が私を優しく撫でる。

この村に着いた時はあれほど強く感じていた、磯の匂いも既に気にならない。

あの人に会うため何度となく訪れたこの砂浜。

でも、私の横に居てくれたあの人はもういない。



学校の夏季の長期休みに合わせて、両親が祖父母の家への長期滞在を企画した。

未成年の私に反対する権利などなく、無条件で連れて行かれた。

「一人で家に残ってもどうせ自炊なんて出来ないでしょ」

母親の言い放った一言は、私から抵抗する最後の気力を奪い去った。

数時間掛けて高速道路やら峠道やらを輸送され、ほとんど知らない港町に辿り着いた。

記憶もおぼろげな遥か幼少の時に、何度か連れてこられた事が有ったらしいがほぼ覚えていない。

唯一くっきりと覚えているのは絶え間なく波が打ち寄せる、砂浜。

そこで出会った私と同じくらいの年の女の子。お互いに名前も聞かず砂浜で遊んだ。

しばらく遊んでいると私もその子も親に呼ばれて、手を振って別れた。

今となってはその子がこの港町の子だったのか、私たちと同じで観光等で一時的に訪れていただけの子だったのか、皆目見当も付かない。

ただその子と遊んでいた時間はとても楽しかった事だけを覚えている。

祖父母に挨拶をして、荷物を家に置かせてもらう。

磯の匂いと時を経た古き良き家の匂いが混じる。窓の向こうにはどこまでも広がる海が見える。

一息付こうとした所に玄関先から祖父母から呼ばれる。

向かってみるといつの間にかに叔父夫婦も集まっていた。

どうやら私たちが到着するのを待ってから始めたかったらしく、待っていたとの事。両親は遅くなった事を謝罪しながらもその輪に混ざり、私もその後に続く。

7人の輪の中心には適当なお菓子の缶の蓋の上に積み上げられた、乾燥した草の茎。

そこに祖父が火を点ける。

独特の匂いを放ちながら煙を上げて燃え上がる。

大きくなった火から蝋燭に火を移し、それを提灯に収める。

電気による明かりが一般的になった現在に、未だ伝統としてだけ残る提灯のほのかな灯り。

そんな提灯を家の中に持っていき、仏壇の横に据える。

仏壇の前には台が用意され、色々な小物が置かれているがきっとそれぞれに意味があるのだろう。

順番に線香をささげる。

大人6人はそのまま会話が始まってしまい、内容的にもまったく自分に関係の無い方向に進んで行ったので、きりのいい所でその輪から抜けた。

祖父母に用意してもらった部屋で長距離移動で疲れた体を横たえても良かったが、記憶にわずかに残る砂浜を見たくなって外に出た。

祖父母の家から砂浜まではすぐそこと言った感じで、歩いて5分と掛からずに砂浜に行ける。

記憶の中の砂浜はもっと広かった気がするのは、私が大きくなったからだろうか。

ややこぢんまりとしてはいるが確かにそこには見覚えのある砂浜が広がっている。

快晴の下で寄せては返す波も穏やか。眺め続けていたくなるような景色がそこにはあった。

何をするでも無く、何を考えるでも無く、ただただ眺めていた。

徐々に太陽が西に傾いていき、遥か遠くの水平線に接し始めた。

「あれ、誰か居る」

完全に気が抜けていた所を後ろから声を掛けられ、驚きながら振り返るとそこには一人の女性が立っていた。

やや長い髪を揺らしながら近づいてきたその人は、よく見れば私と同じぐらいの年だった。

その姿と立ち居振舞いが綺麗すぎて、勝手に年上のお姉さんかと思いこんでいた。

「・・・こんにちわ」

失礼にならない程度にそっけなく応える。

「こんにちわ。それとももうこんばんわかしら」

彼女は笑みをたたえたまま私の近くまで歩み寄ってくる。

「やっぱり知らない顔ね。こんな田舎の古びた漁村に観光、の訳ないわよね」

「ええ、親戚の家がこの町にあるので」

「・・・ああ、そっか。そんな時期だからね」

この港町の祖父母の下を訪ねた理由は観光だけが理由ではない。より正確に言うと観光が理由では無い。

この港町の付近に観光名所は正直見当たらない。

彼女は私の横まで来て、私と同じ様に海を眺める。

「この砂浜は普段から誰も居なくて、結構穴場なのよ。私も久しぶりにこの砂浜まで来てみたの。そしたら先客が居たからびっくりしちゃった」

彼女は笑いながら話す。つられて私も笑顔になる。

「そんな穴場にどのような御用で来たのですか」

「貴女ほどじゃ無いにしろ、私も久方ぶりにこの村に来たの。この村の中にもいくつかの砂浜はあるけど、ここは観光に来る人はまず居ないし、漁師の方々も漁場から遠いせいで近づかない。本当に人が来ないから結構大声を出しても大丈夫なの」

「大声って、」

どういう事。と聞き返す間も無く、彼女は大きく息を吸い込んで喉を震わせて声を発した。

私の勝手な思い込みで海に向かって叫びだすのかと思いきや、彼女の口から流れてきたのは歌だった。

テレビから流れる様なポップミュージックではなく、私の薄い知識では未知のクラシックのアリアの何かだった。

そもそも言語すら判らないレベルでしか理解できなかったが、何かの訴えを歌い上げる。

スピーカー越しで無く大声量の生声のアリアを意図せず初めて聞いた、それは耳だけでなく全身に響いて貫いた。

私は隣で歌う彼女に魅了された。

惚けて口が開いている事にも気が付かないまま、彼女に見とれてその声に聞きほれる。

相変わらず歌詞の内容は判らないながらも徐々に盛り上がりを見せ、それにつれて彼女の動きも大きくなる。

そして最高潮に盛り上がる最後まで歌いきった彼女は、やり切ったという満面の笑みを浮かべる。

私に出来る事は、ただ自分の感動を伝える為に拍手を送る事だけだった。

「・・・どうだった」

未だにやや紅潮した表情のまま、息を切らせながら聞いてきた。

「とっても良かったです」

とてつもなく陳腐な誉め言葉になってしまった。本当に衝撃を受けると数々の修飾語が何処かに消え失せてしまう。

「ふふ。ありがとう」

「すっごい上手ですね。普段から歌っているのですか」

「そうね歌っているといえば歌っているかしら。演劇部の部員として公演の練習もあるし、自主練もしなきゃだし。

だから、この場所は私にとって一番の練習場所なの。まあ、今日は観客が居てくれたからいつも以上に張り切っちゃったけど」

理由を聞いて納得した。確かに普段から声を出していないとあそこまでの声量は出ないだろう。それ以前に知らない人の前で歌うなんて度胸が出る訳が無い。

「さっきの曲も演劇の練習ですか」

「あれはどちらかと言えば自主練の方ね。私の好きな曲なの」

「へぇ。ちなみにどういった内容の歌詞だったんですか。歌詞以前にどの言語かすら判らなかったんですが」

「ふふ。内緒」

適当にはぐらかされた。少し寂しい気もしたが、笑顔で言われてしまっては何も言い返せない。

その後も他愛のない会話を続けた。

気が付けば既に太陽は水平線の下に沈み、先ほどまでの夕焼けの赤さは急激に無くなり、濃い藍色の空になっている。

「あら、もうこんな時間なのね。帰らなくっちゃ」

彼女もまた会話を楽しみすぎて時間を忘れていたようだった。それを周りの暗さと吹き抜けた涼しい風が教えてくれた。

「そうですね。私も戻らないと」

「その方が良いわよ。あまり一人で砂浜に居ると人魚に連れていかれちゃうから」

唐突に出てきた単語に戸惑い、オウム返しで聞き返してしまった。

「・・・人魚、ですか」

「そうよ。この辺の海には人魚が出るのよ」

くすくすと冗談めかした笑みをしながらそう答えた彼女は、そのまま手を振って帰ろうと踵を返した。

「じゃあね」

「・・・また、会えますか」

自分でも口に出してから驚いた。なんでそんな事を聞いてしまったのだろう。ただ彼女が、彼女の声の残響が、私の心を掴んで離さない。

「・・・そうね、じゃあ明日もまた同じ時間にこの場所で」

それだけ答えて、今度こそ本当に彼女は帰ってしまった。

その後ろ姿が物陰に隠れて見えなくなるまで、目で追っていた。

「・・・あ」

ふと思い出した。彼女の名前を聞いてない。


既に暗くなり始めた道を歩いて祖父母の家までたどり着く。

未だに大人達は会話を続けていた。いったい何処にそんな続けられるだけの内容があるのだろう。

会話は続いていたが流石に場所は移動して、居間に広げられた机を挟んで行われていた。

机の上には酒と肴と夕飯が並んでいた。既に男性陣の顔は赤くなっている。

「あら、やっと帰ってきたの。一緒に食べちゃいなさい」

台所に居た母親に見つかり、手早く指示を受けた。

机のすいている辺りの席に腰を降し、手の届く範囲にある皿に適当に箸を付けて口に運ぶ。

流石に港町だけあって魚介類は驚くほど美味しい。スーパーで買って来る魚とは全然違う。

時折男性陣の会話に耳を傾け、相槌を打ちながら話に何となく混ざっているふりを続ける。

丁度会話が途切れた所で聞いてみた。

「ねぇ、じいちゃん。人魚って何」

「あ、人魚?そんな話、どこで聞いたんだ」

「さっき海を眺めていたら「人魚に連れていかれちゃうよ」って言われたの」

自分と同じぐらいの女性に、とは言わなかった。叔父夫婦がどんな言葉にどう反応するかわからないから。

「そりゃまた、えらい古臭い昔話を聞いたもんだな」

祖父は笑いながら詳細を教えてくれた。

この辺に伝わる人魚の伝説は一般的な人魚のイメージとは、少し違った。

聞いた私の直感としては、海外のセイレーンの方が近い感じがした。

曰く、海辺や海上に一人で居ると歌声が聞こえてくるらしい。その声は抗えないほど魅力的で聞いたら最後、その声の元まで足が向かってしまうらしい。

そこには人魚がいて手の届くほど近くに行くと、不意に歌うのを止めて近寄った人間を海の底まで引きずり込む、という結末らしい。

「って言っても、それは昔の人が作った教訓らしいがな」

現実的な面白くもない解説としては、天候が荒れたりして強風が吹くと、海岸の岩の隙間をその強風が吹き抜ける時に歌声の様にも聞こえなくも無い独特の音がするらしい。

つまり人魚の歌声が聞こえる日は、風が強く海も荒れている。そんな日は当然難破もしやすくなるから、海に出る際は十分に注意をしろ、という事らしい。

「ふうん」

自分で話題を振っておきながら、最後の頃にはだいぶ興味が失せてきていた。

とりあえず相槌は打って、話を聞いている素振りは続ける。

「じいちゃんが小さい頃は、皆そんな話を聞かされたもんだ。だからある程度大きくなるまで、一人で海には近づけなかったもんだ。」

「確かに子供が一人で海に近づいたら危険だもんね」

海辺ではなく内陸の住宅街で生まれ育った私には、海がどれほど恐ろしい所かよく理解していない。だからこそ必要以上に怖く感じているのだろう。

「まあな、高波でも来れば、あっという間に連れ去られちまう」

そこから大人達の会話の内容はまた別の場所に流れていった。

聞きたい事も聞けたしお腹も満たされた為、場の雰囲気を壊さないようにそっとその場所を離れた。

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