第七話 夢のような時間
飲み会は四号さんがテレビでアニソンを流し始めてから、みるみるうちにヒートアップしていった。
「だから! この曲の歌詞は主人公たちの感情よりも、その場の状況にある哀愁を表現したもので」
ひと昔前に流行ったアニメのエンディング曲を流しながら四号さんが熱く語る。
それに対し、僕も負けじと「いやいや、もちろんその意見はわかりますよ! でも、ここの『抗えない運命から逃げたくて』っていう歌詞は完全に誰かの目線から語っていますよね! じゃあ、このアニメで抗えない運命と言えばただ一人。桜ちゃんですよ!」と、ポテトチップスのかけらを口から飛ばしながらまくしたてる。
四号さんは既に酔いが回っているようで、顔が茹でたタコのように真っ赤になっていた。心なしか、滑舌も怪しい。
「桜ちゃんはオープニングなんだよ! オープニング! だからこのエンディング曲は主人公たちが生きている世界のことを言っているわけで」
「それは既に一期の挿入歌でやっているじゃないですか!」
「そうなんだけど!」
ガソリンを入れるように、缶チューハイをグイッとあおる四号さん。
「一期から比べて色々状況は変わったじゃないか! 美咲さんも行方不明になったし」
「美咲さんがいなくなっても、状況は本質的に変わっていませんでしたよ」
「いや、変わっているね! 君はまだストーリーの上澄みしか見てないんだ!」
「その話と、この曲は関係ありませんよ!」
夕夏とマリはソファーに並んで座り、僕たちの激しい口論を物珍しく眺めていた。
「こんな感じの太一さん、初めて見た」
夕夏はぽつりとこぼす。
僕と四号さんはお互いに遠慮無しに自分の思いをぶつけていたが、なぜかとても心地よかった。今まで、ここまで本気で他者とアニメについて議論したことが無かった。僕の周りにいるのはアニメを楽しめればそれで十分な人たちで、真剣に話し合うのは馬鹿らしいという空気が漂っていた。
だからこそ、こうやって本気で他者とぶつかるのが新鮮で、楽しかった。
エンディング曲についての口論は終わりが見えないということで一時中断し、四号さんは四本目の缶チューハイを開ける。
「よし、じゃあ男二人が口論しているだけじゃあ、マリさんたち暇だろうし、カラオケ大会始めるか! 防音の壁だから安心して騒げ!」
四号さんはテレビのリモコンを操作し、カラオケアプリを立ち上げる。
「マリさん、何聞きたい?」
僕には返事が聞こえなかったが、四号さんには確実に聞こえたようで「了解! マリさん、これ好きだよね」と慣れた手つきで曲名を検索欄に入力し、テレビと接続されたマイクを口元に近づけ、スタートボタンを押す。
テレビのスピーカーから猛々しいギターが聞こえてくる。そこにドラムも加わり、体を揺らしながらリズムを取る。昔の特撮ヒーローの有名な主題歌だ。
四号さんは大きく息を吸い、渋い声で「燃える魂を〜」と歌い出す。
あまりの歌の上手さにびっくりした。四号さんの渋い声と曲がとてもマッチしている。のど自慢大会に出てもいいくらいだ。四号さんはマイクを持っていない手で拳を作り、演歌歌手のような面持ちで歌う。あまり世間では知られてない二番も歌い上げていた。
最後の歌詞を歌い、数秒演奏が流れて曲が終わる。僕は思わず立って拍手した。夕夏も笑顔で拍手をし、「凄い!!」と、四号さんに対して称賛の言葉を送っていた。
僕がそれを四号さんに伝えると、照れたように四号さんは頭をかき、「はい。次の人」と僕にマイクを渡してきた。
カラオケは正直に言って苦手だったが、場の雰囲気的に歌わざるをえないという感じだったので、比較的歌いやすそうだった今期の少年マンガ原作のアニメのオープニング曲を歌った。
音程は乱れまくり、声は裏返ってしまうと恥ずかしかったが、僕はほぼヤケクソのように歌え上げた。四号さんの勢いがある合いの手が入ってくる。夕夏は立ち上がり、四号さんに続いて合いの手を入れてくる。マリのぬいぐるみはやっぱり無反応だった。
あれ、楽しい。
楽しい。こんなに楽しいのは、いつぶりだろう。
曲が終わると、例により拍手が起きた。
「上手だったよ! 上手!」
四号さんがはやし立ててくる。
頬から感じる熱さから、自分が赤面していることがわかる。旅は恥のかき捨てだ。むしろ、清々しさを感じる。
夕夏は薄ら笑いを浮かべ、「一生懸命さが伝わってきたよ」と言ってきた。こいつめ。なら、夕夏にも同じ気持ちを味わってもらおうか!
「四号さん。一曲、夕夏にも歌わせてもいいですか」
四号さんはニヤッと笑った。
「いいよ。僕が夕夏の歌を聞けないのは残念だけどね。終わったら、どんな感じだったか、ちゃんと教えてくれよ」
「え、ちょっと、私そんな歌上手くないよ」
急に矛先が自分に向いてきたことに夕夏はわかりやすく戸惑っていた。
「それに、この世界の歌なんて一曲も知らないし」
「大丈夫、大丈夫。音源も一緒に流れるやつだから、それに合わせて歌えばいいよ」
僕はリモコンを操作し、とある一曲を選んだ。
「四号さんも夕夏の歌声を聞けますよ」
え? と四号さんは僕の言っていることがよくわかっていない様子だったが、テレビ画面に表示される曲名を一目見ると、「ああ、なるほどね。これはたのしみだ」とマリの隣に座り、肩に手を優しくかけた。
「じゃあ、始めるから」
「え、ちょっと! 大丈夫って言っても」
「はい、スタート」
「え、えええ!!」
夕夏がドギマギしていると、バイオリンとピアノの音が優しく聞こえてくる。
テレビの前に立つ夕夏はソファーに座っている僕たちを迷子の子供のような目で見てくる。あきらめがついたのか、ため息をつき、歌詞を見るためにテレビ画面の方を向く。
夕夏は目を丸くして驚く。
画面には『サイキックズ』の本編映像がダイジェスト的に流れていた。それも夕夏が映っている映像のみ。
『夢の向こうに』。夕夏のキャラクターソング。
夕夏が振り向き、こちらを見る。僕はうなずく。
画面に歌詞が表示される。夕夏は視線をテレビ画面に戻し、僕たちには消えないくらい小さく息を吸い、静かに歌い出す。
テレビから聞こえてくる夕夏の歌声と共に、目の前にいる夕夏の歌声も聞こえてくる。デュエットのようだった。
……思わず、声を出そうになる。
天使のような優し気な歌声。しかし、歌声の中にもちゃんと夕夏の強さを感じ取ることができる。
ピアノの音にも負けないくらいの美しさ、バイオリンの迫力にも負けないくらいのしなやかさ。
何回も聞いているはずの曲なのに。それなのに、今まで聞いてきた中で一番だった。
音程が少し乱れるような箇所もあったが、それすらも可愛げがある。飾りきっていない、純粋無垢の美しさ。
歌詞は戦いの中での苦悩、そして仲間たちへの愛情が表現されている。夕夏はその歌詞に徐々に共感していくように、今まで感じていた自分の気持ちを乗せて歌う。美しさに拍車がかかっていく。
歌っている夕夏を眺めていると、彼女を形作る輪郭がとてもはっきり見え、夕夏が目の前にいるという実感が今までにないほど僕に襲いかかって来た。
今、目の前に夕夏がいる。
僕と同じ空間に存在している。
僕は彼女をずっと画面の中だけにいる、憧れの存在として見てきた。
触れることができない、干渉することができないのが当たり前のはずだったアニメキャラが目の前にいて、歌を歌っている。しかも僕にだけしか、彼女の歌声は聞こえない。
あれ? どうしたんだろう?
急に夕夏の前にいるのが恥ずかしくなってきた。
どうして急に。
僕のような存在が、夕夏と同じ空間にいていいのだろうか。
たかがファンの一人なのに?
歌っている彼女を見る。そこにいるのはアニメの中にいた憧れのキャラクターではない。そこにいるのは僕だけが触れることができる、一人の女性だった。
僕と夕夏を隔てる次元の壁は、すでに失われていた。
アウトロが流れ、ピアノの音が静かに消えていく。
夕夏は僕たちに顔を隠すように下を向く。
僕は拍手をする。四号さんも僕に続いて拍手をする。
夕夏は顔を上げ、僕たちと目が合う。照れたのか、再び顔を隠してしまう。
僕たちはそんな夕夏に対して、より大きな拍手を送った。