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第六話 彼女

「さ、さ、遠慮しないで」

 四号さんは壁にあるスイッチを押し、部屋の明かりを点ける。

「ほらっ、早く早く。夕夏さんもどうぞ」

 玄関で立ち尽くしている僕たちをなぜか嬉しそうな様子で中へと促す。

 玄関には四号さんの革靴以外にもう一足、女性用の緑色のハイヒールが置かれていた。少し意外だった。結婚しているのか、それとも彼女のものなのか。

 夕夏は僕の制服の袖を少し引っ張り、耳打ちする。

「……大丈夫。襲われそうになったら私が太一さんの腕を引っ張って、なんとか脱出するから」

「……やるときは」

「一言言う」

 僕は無言でうなずき、靴を脱ぎ「失礼します」と小さく言い、部屋に上がる。

 玄関からリビングまでの廊下にはいくつかの扉が並んでいる。僕と夕夏は警戒するように廊下を歩き、恐る恐るリビングに入っていく。

「ごめんね。少し散らかっているかもだけど」

 すぐに謙遜とわかるセリフだった。リビングは僕の部屋と違ってテレビのリモコンまでもが綺麗に整頓されており、四十代の男性一人が住むには十分すぎるほど広かった。

 部屋の中央の床には大きなガラステーブルが置いてある。そしてガラステーブルを囲むようにL字型のソファーが置かれており、そのソファーに僕と夕夏は座った。

「なんか食べるもの出すから。アレルギーとか無いよね?」

 四号さんはキッチンに入っていく。

「あ、大丈夫です。ありがとうございます」

「まぁ、大したものは無いから、期待しないでね」

 四号さんは冷蔵庫を開け、中を物色する。

 僕はソファーの背もたれに背中を預け、ゆっくりと息をする。眠気が急に襲いかかってくる。

「疲れましたね」

 夕夏も遅れて背もたれに背中を預け、うーんとのけぞる。

「そうだね。今日は色々あったから」

「まだ何かあるかもしれないから、油断は禁物」

 夕夏の目は本気だった。まだ夕夏は四号を完全に信用していないようだ。

 清水さんの元に会いに行くという作戦が見事失敗した後、僕たちの前に四号さんが現れた。四号さんは僕たちの事情を読み取ったように「行くところが無いなら、うちに来なよ」と言ってくれた。急にそんなことを言われ迷ったが、他に行くところもなかったので僕たちは今、四号さんが住むマンションにお邪魔している。

 マンションまでの道のりの中、四号さんに夕夏が見えることを伝えたところ、少し驚くだけで「そうなんだ」と答えるだけだった。

 夕夏が言う通り、僕はまだまだ四号さんのことをまったくわかっていない。チケットを譲ってくれた手前、あまり疑うようなことはしたくないのだが、それでも平日の昼間から制服姿でアニメイベントに行くような輩を家に上げるその優しさには、逆に何か思惑があるのではないかと疑ってしまう。

「ごめん、お菓子しか無かった。太一君はコーラで大丈夫?」

 四号さんは両手いっぱいのお菓子の袋たちをローテーブルにどんと置き、せわしなくキッチンに戻っていく。

「あ、はい。コーラ大好きです」

「それはよかった。通販で頼みすぎて困っていたんだ」

 四号さんは大きなペットボトルのコーラと三人分の紙コップを持ってやってくる。ペットボトルと紙コップをテーブルに置き、床に座る。手早く三つの紙コップにコーラを注ぎ、僕の前に出す。

「夕夏さんは太一君の隣に座ってる?」

「あ、はい」

 四号さんは夕夏の前にもコーラの入ったコップを出す。

 そして、自分の分の紙コップを天高く掲げ、「……よし。じゃあ、まずは今日のイベントに、乾杯!」と、僕たちの前に紙コップを突き出してくる。

「……乾杯」

 四号さんは僕の紙コップの淵に軽く当てる。もちろん、夕夏の紙コップにも。

 喉が相当渇いていたのか、四号さんはコーラを一気に飲み干してしまう。僕も後を追うようにコーラを飲む。刺激的な炭酸が喉を通っていく。

「……あの、僕たち、ここにいて大丈夫なんですか?」

「え? どういうこと?」

 袋を皿のような形に開け、ポテトチップスを一枚取る四号さん。

「同居人に何の連絡もしていないじゃないですか。玄関の靴、彼女さんのですよね? 勝手に僕たちを入れていいんですか?」

「まぁ、大丈夫だと思うよ。彼女はそんなことで怒らないし、今は外から帰って来て、部屋で休んでいるだけだよ。それに僕たちは君たちと同じだから、心配しなくても大丈夫」

「同じ?」

 四号さんは紙コップをテーブルに置き、立ち上がってリビングを出ていく。そのまま廊下の扉から寝室に入ってしまう。

 僕と夕夏はお互いに顔を見合わせる。

「……同じって、どういうこと?」

 僕の質問に夕夏もわからないといった風に首を傾げた。

 寝室から「大丈夫だよ。彼女もきっと喜んでくれる。うん。行こう」と四号さんの小さな声が聞こえた。

 四号さんは寝室から出てくる。手にはぬいぐるみ。それはイベント時に大切に抱えていた夕夏の後輩キャラのマリのぬいぐるみだった。臆病でオドオドしているものの、夕夏の後輩としていつも前線で立派に戦っているマリ。

 ぬいぐるみはマリをデフォルメしたもので、頭身も頭でっかちで手足が短い。彼女の控えめな性格を表すように口は波打った線でできている。

「……マリのぬいぐるみ?」

 夕夏が声を漏らす。

「こちら、僕の彼女の九里マリさん。この家で彼女と一緒に住んでいるんだ。マリさん、人見知りで家に来たお客さんの前には出たがらないんだけど、夕夏さんがいるからって、今日はちょっと頑張ってくれたみたい」

 そう言い、四号さんは優しくマリの頭をなでた。

 二次元キャラクターに恋をし、そのキャラクターのぬいぐるみや抱き枕と付き合っている人たちがいることは当然知っていた。けれど、今まで実際に会ったことは無かった。

 そこで合点がいった。この部屋の広さ、玄関にあるマリのイメージカラーである緑色の靴の正体。ここは四号さんとマリが二人で暮らしている部屋なのか。靴もマリが履くためのものだ。恐らく洗面場に行けば歯ブラシが二本、立て掛けてあることだろう。

 四号さんは少し恥ずかしそうに、話を続ける。

「……驚かせちゃったよね。ぬいぐるみが彼女だなんて。でも、君ならわかるはずだ。君から夕夏の幻が見えると聞いたとき、すぐに思ったんだ。僕たちは同じなんだ。僕たちは現実だけでは生きていけない。二次元の世界を覗き、自分を癒やしながらでないと生きていけない。恋愛対象も同じ。現実の女性よりも、画面の中にいる彼女たちの方が何倍も魅力的に見える。彼女たちは僕たちを助けてくれる。話かけてもくれるんだ」

 四号さんはマリの顔を自分の方に向け、目を合わせる。本当に幸せそうにニコッとマリに向かって笑いかける。

「声が聞こえるのは異常だ、ぬいぐるみが彼女とか絶対に変だって言ってきた人はたくさんいた。直接口に出さないで、面白い物を見るような目で見てくる人たちもいた。でも、そんなことどうだっていい。僕とマリさんさえ幸せだったら、それでいいんだ。でも、同じような人が苦しんでいたら、助けたいと思う。だから君を家に上げたんだ。……君の事情は聞かない。僕は君の事情に干渉するつもりは無いよ。干渉される辛さは身に染みているからね。でも、何か困っていることがあるなら、何でも言ってほしいんだ」

 僕はマンションに到着する前に四号さんに対して、夕夏のことが目に見えると説明した。僕自身が夕夏の大ファンだということも。四号さんは僕と夕夏の関係を、自分とマリとの関係に照らし合わせて話していた。

 四号さんはソファーにマリのぬいぐるみを優しく置き、「ごめんね。明日はちゃんとしたご飯作るから」と話しかけていた。

 黙っていた夕夏は立ち上がり、マリのぬいぐるみへと近づく。

 ぬいぐるみを困惑の表情で見下ろしていた。

「……太一さん、私はこの男の人と話したい。だから、私が話すことをこの人に伝えて」

 僕は少し迷ったが、頷いた。

「……四号さん、夕夏が少し話をしたいそうです」

 僕の言葉を聞いた四号さんはあらかじめわかっていたように、すぐに「いいよ」と答えた。

 夕夏は四号さんの方を向き、言う。

「初めまして。四号さん」

 僕は四号さんに一字一句変わらず伝えた。

「初めまして。四号さん……って言ってます」

「こちらこそ初めまして。夕夏さん」

 四号さんは落ち着いた口調で返してくる。

「……正直に言って、困惑しています。私はこの世界に降り立ってから、困惑しっぱなしです。私たちの世界がアニメだったということは理解しているつもりです。私たちのアニメに熱狂的なファンがいるということは太一さんの様子を見ていればわかります。けれど、あなたのように私の後輩を勝手に彼女呼ばわりするような人とは会ったことがありませんでした」

 四号さんに対する憎しみを隠さないような言い方だった。

 最後の一文を四号さんに伝えるべきか悩んだが、結局伝えた。

 四号さんは静かに僕の言うことを聞いていた。

「間違わないでほしいのは、これは私、木野夕夏の言葉です。太一さんはただ私の言葉をそのままあなたに伝えているだけです。……マリとはいくつもの戦闘を共にしてきました。お互いに助け合い、時には笑い、時には喧嘩もしました。一緒に厳しい訓練も耐え抜きました。マリは私にとって心の底から信用できる数少ない一人です。とてもかわいい後輩で、ほぼ家族みたいなものです。ほっとけないんです。だから、四号さん。あなたがマリの意思関係無く恋人同士の関係だと私に言ってくるのが、全く納得できないんです。マリの意思はどうなんです? 彼女はオーケーと言ったんですか? 私はマリがあなたのような人にオーケーと言うとは到底思えません。確かに私たちはアニメキャラクターだから、可愛いとか、かっこいいとか無責任に言われる立場なのは重々承知です。それでも、全く私たちの意思は関係ないんですか? 私たちの意思は無視されるのが当然なんですか?」

 最後の方はほぼまくしたてるような言い方になっていた。夕夏は言い終わると、僕の隣まで戻り、ソファーへ腰を下ろした。エネルギーを使い、やけに疲れたようだ。

「……君の目線の動きから見て、夕夏さんはそこのソファーに座ったんだね?」

 四号さんは夕夏が座っている位置の方を向き、僕に聞いてくる。

「え、あ、そうです」

 四号さんは歩き出し、夕夏の目の前に立つ。

 夕夏を四号さんは見下ろす。夕夏は下を向き、四号さんと目を合わせない。

 四号さんはその場で腰を下ろし、目線を夕夏と同じところまで下げる。夕夏は少し顔を上げる。見えているはずがない四号さんと夕夏の目がバッチリ合う。

「ごめんなさい」

 四号さんは頭を下げる。

「夕夏さんが困惑する気持ちはもちろんわかる。僕も『サイキックズ』は何回も見ているから、夕夏さんとマリさんの絆の深さはきちんと理解しているつもりだ。それでもやっぱり、僕の中にはマリさんへの恋心があるんだ。それを裏切ること自体、マリさんへの思いを踏みにじるようなものだと思っている」

「……ならどうして、マリの気持ちを考えなかったの?」

「……マリさんの気持ちは何度も考えた。こんな僕が勝手に恋人としてマリさんと付き合ってもいいのかって。マリさんに『付き合っていいの』と聞くと、必ず『いいよ』と帰ってくる。でもそれは、僕の中の言葉だからだ。このぬいぐるみは本当のマリさんじゃない。僕は、本物のマリさんの言葉が欲しい。でも、マリさんはアニメキャラクターだから、それは叶わない。絶対にだ。僕は一生、マリさんの本当の言葉を聞くことができずに生きていく。だから、君たちが羨ましい」

 そこで言葉を切って、僕と夕夏を交互に見る四号さん。

「太一君。君を見ていると、夕夏から本当の言葉が聞こえているような感じがするんだ。君の口から聞いても、それはわかる。……僕はアニメの中で動いているマリさんが好きなのに、付き合っているマリさんは僕の中から生まれたマリさんなんだ。同じように見えて、全く違う。それでも、今のマリさんとの生活はとても幸せだ。日に日に彼女のことを好きになっていくし、この生活を守るために仕事だって頑張ることができるし、マリさんのためにと思って料理の腕を上げた。この先もずっと一緒にいたいと思う。そのためにどんなつらいことだって乗り越えて見せる。だから夕夏さん。理解してくれとは言わない。だけど、どうか僕とマリさんとの生活を許してほしい。そして、少しでも許してくれるなら、僕たちを応援してほしいんだ」 

 四号さんは夕夏に向かって手を出し、握手を求めた。

 夕夏は話している間、ずっと四号さんの目を鑑定士のような厳しい目で見ていた。視線を差し出された手に向ける。そして最後にぬいぐるみのマリを見る。

「わかってるよ。……私は、マリの頼れる先輩だからね。うん。わかってるよ」

 夕夏は手を出し、四号さんと握手をする。

 お互いに触ることができない握手だった。それでも二人は確かに手の平を重ね合わせていた。

握手を介して、何かのやり取りが行われているようだった。口には出さなかったけれど、おそらく『マリを泣かせたらぶん殴りに行くから』とかそういうやり取りなのだろう。


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