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第二話 目撃

 僕と夕夏はそこから一旦、僕の住んでいる家へと向かうことになった。

 深夜の住宅街を僕たちは並んで歩く。

 まさか、歩き慣れた道を好きなキャラと並んで歩くことになるとは。やっぱり、僕は夢を見ているのか? いまだに信じることかできない。

 僕はいざ目の前に夕夏がいるとなると緊張で変な汗が吹き出し、気持ち悪がられないようにわざと早足で歩く。すぐに僕と夕夏の間に距離ができる。

 僕と夕夏の間にあるのは距離くらいなもので障害物は何もない。そのはずなのに、どうにも近づくことができない。僕と夕夏の間には、二次元と三次元を隔てる見えない壁のようなものがあるような気がした。

「……確かに、私の知っている世界とは何かが違うような気がする」

 夕夏は突然、話し始めた。僕は歩くスピードを少し下げ、会話が難なくできるくらいの距離になるまで 夕夏が追いつくのを待つ。

「……どういうところが違うの?」

「この世界はなんだか、色々複雑。綺麗とか、汚いとか、一言で言えない。色々な物が色々な形をしていて、それでいてそれぞれが重なり合ってできているように見える。重なり方もそれぞれ違っていて、綺麗に重なっていたり、少しずれて重なっているところもある。眺めていて、飽きない感じがする」

 重なり合って、できている。まさにそうだろう。嫌なことも好きなことも、同じ場所にある。

 僕にとって、嫌なことが大半を占めるのが、この世界だ。

 僕の目から見れば、夕夏のいるアニメの世界は戦闘や不条理は確かに存在するけど、それでも僕が生きているこの現実よりも幾らか素晴らしいものに見えた。

 できれば、僕は二次元の世界に行きたかった。

 こんな世界にいる意味を、いまだに見出せていなかった。

 一つあるとするなら、気になるアニメを見るために生きているくらいのものだ。次の学期のテスト範囲とか、高校を卒業した後の進路先とか、どうでもよかった。

 画面の中に映る世界が自分のいるべき世界だという予感がいつも僕の周りに漂っていた。

 けれど、僕が二次元の世界に行くことは絶対に無理だ。

 でも、目の前にいる夕夏の存在は今までの僕の常識をひっくり返してしまうような存在だった。

 二次元から三次元に行けるなら、その逆も……。

 僕の思いに、希望はあるのか?

 それとも、ただ単に僕の頭がおかしくなって、幻覚を見ているだけなのか?

 そこでふと思う。僕は二次元の世界に行って、何がしたいのだろうか。

行くことができれば、それで満足なのだろうか。ファンタジーな世界で冒険がしたいのか? 可愛い恋人がほしいのか? 一生続いていく友人の絆が欲しいのか?

 本棚に赤本がずらっと並べられた進路指導教室が頭をよぎった。

 結局、僕は決めることができないんだ。

 今、目の前に夕夏がいるのも、僕の意志とはなんの関係もない。

 不意に先ほど駅のホームでした会話を思い出す。夕夏は僕が名前を知っていることに対し、困惑する気持ちを隠そうとしなかった。

「……どうして私の名前を知っているの。……あなたが私をここにテレポーテーションさせたの?」

 彼女の目から見れば、僕は何かを企んでいる怪しい人物にしか写っていない。

 夕夏は少し後ろに後退し、僕と距離を取る。予感がした。きっと、次の瞬間、夕夏は僕に襲いかかってくる。先ほどの拘束なんかじゃ終わらず、僕を戦闘不能にするほどの攻撃がやって来る。彼女は訓練された兵士だ。一般人の僕なんて片手で制圧することができる。

僕はそんな夕夏の殺気を感じ取り、恐怖を感じ、自分の身を守るような格好でベラベラと話してしまった。

 夕夏がアニメのキャラクターだと言うことを。

 夕夏の住んでいる世界はアニメの世界だと言うことを。

 夕夏のいる世界はいわば二次元の世界で、ここは三次元の世界なんだ。

 それを聞いた夕夏は僕の話をまるで信じようとせず、呆れた調子で「嘘つかないで。そんなおかしな話、どう信じろっていうの。正直に白状して。あなたは何を企んでいるの? 『メビウス』からの手先?」と、全く聞く耳を持ってくれなかった。そりゃそうだ。もし僕が夕夏の立場だったとしても、同じように信じないだろう。

 しかし、それでも事実だ。彼女は間違いなくアニメの世界の住人だ。

 夕夏はきっと、明確な証拠をみせないと信じてくれない。

「正直に話して、私を元いた場所に戻してくれるなら、あなたのことを見逃さないこともない」

「いや、そうじゃなくて、本当に君はアニメの中から……」

「まだそんなことを言うの」

「いや、だって事実だから」

「そんな馬鹿な話、私が信じるとでも思う?」

「……でも、これは本当の話だから」

「あなたは何を企んでいるの? 私をここに呼び寄せて、何をさせたいの?」

「いやだからそれは僕じゃなくて」

「なら、誰が私をここに転送したというの」

「そんなの、僕にもわからないよ」

「……そのスマホで転送したんでしょ」

「このスマホにそんな機能は無いよ」

「無くても、あなた自身に何かしらの能力があれば可能でしょ」

「僕にそんな能力は無いよ。僕はただの普通の高校生!」

「私がアニメキャラとか変な嘘をついて、あなた何がしたいの!?」

 会話は成立しなかった。どうすれば夕夏は僕の言うことを信じてくれるんだ? 言うだけじゃなくて、何か決定的な証拠を……。

 ……あそこなら、いけるか。

「……じゃあ、わかった」

「何?」

「……僕の言うことが本当だという証拠を見せる」

「なら、今すぐ見して」

「ここじゃ見せることができない。僕の家でなら、見せることができる」

夕夏は眉間に皺を寄せ、僕を睨んだ。

「罠でしょ」

「一緒に来てくれれば夕夏も納得してくれるはず。それに、もし僕が襲いかかっても夕夏には到底勝てない。それは夕夏にもわかるだろ」

「……確かに触った感じ、小指一本でも勝てそうな貧相な体だったけど」

「そこまで言うのか……」

 夕夏は僕のことを睨んだままだ。僕は夕夏と目を合わせたまま、そらさない。

 夕夏は張り詰めた意識を少しだけ解除する。

「……わかった。あなたの家に向かう。でも、もし一瞬でも変な動きをしたら、すぐさまあなたを制圧するから。そのつもりで」

 そうして僕と夕夏は家へ向かうために住宅街を歩く。

 僕は横目で後ろを歩く夕夏の姿を見る。一瞬でも間合い入ったら、武士さながら首を取られそうなほどの殺気だ。

 B班の皆に見せていた明るく楽しいあの夕夏とは、まったくの別人だ。まあ、しょうがないのか。誰だって突然別世界に飛ばされたら、こうなる。

 しばらく歩いていると、僕が住んでいる家が見えてきた。

 一般的な大きさの一軒家。小さな庭があり、すぐ隣に安い国産の車が停まっている。

 この家で僕は両親と一緒に暮らしている。この時間帯は両親とも寝ているので、静かに入れば夕夏のことを見られずに僕の部屋にたどり着くことができる。

「じゃあ、入ろっか」

 僕は夕夏を玄関まで促し、鍵穴に鍵を入れる。もし、夕夏の姿を両親に見られたらなんて言い訳をしよう。というか、なんて言われるのだろう。友達のコスプレイヤーで通じるだろうか。

 ゆっくりとした動きで鍵を回し、扉を開ける。

小さく開く音が鳴り響き、心臓の鼓動が速くなる。夕夏も僕の後ろに立ち、恐る恐る中を覗き込む。

 僕は忍び足で玄関に入り、音を立てないように靴を脱ぐ。夕夏も僕に続いて中に入る。

 廊下の明かりはついておらず、ひっそりとしている。ちょうど丑三つ時なのもあり、何かが出て来そうな雰囲気が漂っている。

 僕は二階にある自分の部屋へ向かおうと階段を登ろうとしたそのとき、廊下の先の居間から誰かが歩く音が聞こえた。裸足でこちらに近づいてくるような足音。

 夕夏は危険を察知したのか、すぐさま構える。

 足音がどんどん近づいてくる。

 僕はいざ勇気を振り絞って、スマホのライトを足音の元へ照らす。

「うわ! 眩しっ」

 そこにいたのは……眩しそうに目を細めるパジャマ姿の父親だった。

 まずい。まさかこの時間まで父親が起きていたとは。夕夏の姿を見られてしまう。なにか上手な言い訳を言わないと!

「あ、父さん……おはよう、じゃなくてこんばんは、じゃなくて、ただいま……」

 父親は壁にあるスイッチを押し、玄関の明かりを点け「……ああ、太一か。遅くまでご苦労様」と、眠そうな声で話す。

 明かりも点けられてしまった。これじゃあ、夕夏の姿が完全に見えてしまう。

「あ、えっと……この人は、その……」

「……じゃあ、俺はもう寝るから。最後、ガス栓だけ確認しといて。おやすみ」

 父親は僕の隣にいる夕夏に目もくれず、そのまま寝室に入っていってしまった。

「……え?」

 これは、一体どういうことなんだ? これじゃまるで、父親は夕夏の姿が見えないみたいじゃないか。寝起きだからって、もう一人、誰かが僕の隣にいることくらいわかるはずだ。ならどうして。

 ……もしかして、父親は本当に夕夏の姿が見えていないのか?

 僕の部屋は階段を上った先にある。子供の頃から変わっていない。階段には僕がつけた二か所の傷と、三か所の小さな落書きがいまだに残っている。僕の部屋の茶色い木目の扉も、ずっと使い続けている。

 当たり前のように僕の生活の一部となっているそれらと、警戒しながら階段を上る夕夏を同時に見る日が来るとは思わなかった。不思議な感じだ。

 部屋の扉を開け、中に入る。

 部屋は暗く、僕は壁にある照明のスイッチを押す。部屋は瞬く間に明るくなる。

 夕夏は僕の部屋の中を一目見た後、「えっ」と小さく声を漏らした。

 夕夏の視線の先には、いくつもの『サイキックズ』関係のものがあった。

 壁や天井に貼られたポスターたち、ベッドに横たわる抱き枕とぬいぐるみ、本棚に横向きにして並べられている円盤、その近くに立っているフィギュア、金属ラックに吊り下げられたキーホルダー、勉強机の上に散乱しているクリアファイル。

 それら全てに夕夏が映り込んでいる。夕夏が映り込んでいないものは、存在しない。

「これは、私……」

「僕が集めたアニメ『サイキックズ』のグッズたち。押入れの奥にもまだまだたくさんあるよ」

 僕は一期の円盤を手に取り、ブルーレイプレイヤーに入れ、再生する。

 小型テレビに『サイキックズ』が流れる。オープニング映像が流れ、敵と戦うB班の姿がテレビ画面に映る。

 夕夏は吸い寄せられるようにテレビに近づき、じっとオープニング映像を見る。軽快な音楽に乗って敵と戦う自分がテレビの中にいる。

そのような光景を信じきれていない様子で、夕夏の手や唇は小さく震えていた。

オープニング映像は決めポーズをする夕夏たちの背景に『サイキックズ』というタイトルが表示して終わる。

 僕はそこで映像を一時停止し、夕夏の方を見る。夕夏は放心状態で立っていた。立っているのがやっとというような様子で、震える唇がかすかに動き、「そんな……そんなこと……」と、つぶやいていた。

「……僕の話、信じてくれた?」

 夕夏はゆっくりと首を動かし、僕の方を見る。その目には混乱や不安が混ざり合っており、今にでも泣き出してしまいそうだった。

 こんな夕夏の顔、今まで見たことがない。

 いつだって、僕の中では夕夏は明るさを忘れないヒーローで、多少苦しむ場面はあるものの、最後にはそれらを軽快に吹き飛ばしていた。しかし、今の彼女からそのような姿を想像することはできない。

「……あなたはずっと、ここから私の姿を見ていたの?」

 僕はうなずく。

「僕だけじゃない。かなり多くの人が見ている。君が出ているアニメは大人気なんだ」

「……私たちの姿をカメラで収めて、それを編集したものなんでしょ? 隠し撮りとかでさ。そうなんでしょ?」

 夕夏は懇願するように聞いてきた。そういえば、昔の映画にそんな内容のものがあったなと思う。でも。小型テレビに映っているものはそうではない。実際の映像でもなんでも無い。一から十まで、人の手によって作られたものだ。

 ここまで来たら、言うしか無い。夕夏自身だって、本能的に気が付いているのかもしれない。それを認めたくなくて、自分の中で納得したくなくて、僕に聞いてきたんだ。

「……これは全部作り物なんだ。人の手によって作られたものだ。アニメーターが夕夏の絵を描いて、それを何枚も重ねて、それで動きを作っていく。そこに誰かが考えたストーリーや、誰かが描いた背景が入り、誰かの声が吹き込まれ、そうしてできていく。君のいた世界はそうやってできているんだ」

「……じゃあ、私は生きていないっていうこと?」

 夕夏の言葉は震え出す。

 ゆっくりとした足取りで僕に近づき、僕の両肩を掴んで叱責するように言う。

「息をしているのに? 動いているのに? 戦って、こんなにも痛みを感じるのに? 私は悲しくもなるし、嬉しくもなるのに? そういう感情も、全部作られたっていうの? 私たちは全部、誰かが考えたストーリーに乗っかっていただけだっていうの? ……そんなの、あんまりだよ!! あなたは知らないでしょ! 敵と戦うときの恐怖とか、攻撃を受けたときの体が壊れていく感じとか、施設のベッドの硬さとか、訓練の厳しさとか! それが全部作られたものだって……じゃあ、私って一体何なの? 全部、私のしてきたことは無駄だったの!?」

 彼女の掴む手がどんどん強くなる。

 彼女と目が合う。迷子のような潤んだ瞳。その瞳に僕は見つめられている。

 針に刺されたような痛みが体の内側から僕を襲う。

 彼女を悲しませたのは、僕の責任だ。やはり、夕夏に真実を言わなければ良かったのだろうか。

 彼女は僕の言葉を待っている。僕はいくつもの言葉を丁寧に選び、吟味する。

 ゆっくりと言葉にしていき、彼女に向けて話し始める。

 僕の中にある、僕だけの言葉を。

「……本人に直接言うのは小っ恥ずかしいけど、でも、言うね。……僕は夕夏のファンなんだ」

「……ファン……私の?」

「そう。夕夏の。初めて夕夏の出ているアニメを見てからそうなんだ」

 夕夏は周りを見渡す。そこら中に夕夏のグッズで溢れている。

「『サイキックズ』で夕夏の活躍を見ることが、僕の唯一の生きがいなんだ。僕にとって、決して手放したく無い、大切な瞬間なんだ。……僕は何度も夕夏に助けられた。僕の人生なんてなんの価値も無い、ただ苦しいだけのものだ。そんな人生を生きている僕を夕夏は救ってくれた。僕は夕夏の活躍に励まされ、夕夏が生きる理由を作ってくれた。夕夏がいなかったら、僕はとっくにこの世界から自主的に去っていた筈だ。それを夕夏は止めてくれた。だから、無駄なんかじゃ無い。夕夏は敵に襲われる人々だけじゃなく、僕のことも救ってくれたんだ。それは多分、とても意味のあることだと僕は思う」

 決して流暢に言えたとは言えない。それでも精一杯、彼女に向けて言葉を紡いだ。

 夕夏はただ黙って僕の話を聞いていた。先ほどまでの迷子のような表情は、そこにはなかった。

 彼女はゆっくりと手を伸ばし、僕の手を取る。僕は手を握られ、思わず息を飲む。あの憧れのキャラクターに手を握られている。そこには確かに触られた感触があり、間違いなく生きている者の手だった。

 そこで初めて気がつく。柔らかいその手には、戦闘によってできた傷が無数にあった。傷は跡に残っており、一生その手から離れないような気がした。

 夕夏は深呼吸し、僕の手が離れないように、さらにギュッと握る。

「太一さん。……あなたはどうして私にアニメのことを教えたの? わざわざ自分の部屋まで来させて。あのとき適当な言い訳をして、私からいち早く逃げればいいのに」

 夕夏が『太一さん』と呼んでくれた。

 僕は夕夏の手を握り返し、答える。

「……僕にとって、夕夏は二次元の世界にいる、決して手の届かない存在なんだ。会いたくても、絶対に会うことができない。……僕はずっと、君に直接会いたかったし、話したかった。そう思っていた人が今、目の前にいる。触れることもできるし、話すこともできる。それに君は困っていた。だから、助けたいと思った。いらないお節介かもしれない。夕夏の世界について、知らないほうがいいのかもしれない。でも、どうせこの世界にいたらいつか気がつくことだ。それを誰かがちゃんと説明しないといけない。それが僕のやるべきことだと思ったんだ。それが君のファンとして、できることだと思ったんだ」

「……私はあなたにそこまでのことをした覚えはないよ」

「僕が一方的に夕夏に救われたんだ。だから、僕は一方的に夕夏を助ける」

 彼女は少しの間、黙っていた。

 そして、僕に向かってゆっくりと微笑む。

「ありがとう」

 僕はその言葉に心臓が大きく高鳴り、耳鳴りのように聞こえた。きっと、彼女にも聞こえていただろう。


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