嫉妬にも似た感情
「それはおそらく『朱眼のナナ』ですね」
「朱眼? 二つ名?」
ゲノムは自室にてジークとナナについて聞いていた。
ゲヘナとシロは、ひとしきり説教をして満足したのか、電池が切れたかのように寝始め、ラピスとミザリーがお酒を飲みながら二人を見ている。
浴衣が解け、あられもない姿になりかけた二人にゲノムの幻術は発動していない。
シロは銀狼族の姿、ゲヘナは隻角を見せている状況に、遅れながら気付いたゲノムだったが、ラピスとミザリーが驚いている様子は無かった。
不思議に思ったゲノムは二人に聞いたところ、事情を既に聞いた後だと言うから彼は驚いた。
潰れて眠っている二人が話したこともそうだが、お嬢様方がそれを知って尚態度を変えない事もである。
「私は貴女方を応援致しますわ」
「可愛いは正義ですから」
とは二人の談だ。
それを聞いたゲノムは初めて二人と固く握手をしたのだった。
吐き気を堪えながら戻って来たジークは、そんな様子を見て軽く目を見開いた後、少し嬉しそうにしていた。
そんな訳で家族二人を任せたゲノムは、改めてジークに質問する機会を得た。
ジークはゲノムの八つ当たりに関しては特に気にした様子はない。
聞くのはもちろん、ナナについて。
出会った経緯から見た目の特徴、妙な予感を感じたことまでこと細かく説明した。
そんな事をしなくても、ジークはゲノムから彼女の幻術を見せられているのだが。
「平民出身の、卓越した剣技を持つソロの冒険者です。通常冒険者は数人のパーティを組んで活動しますが、彼女は必ず一人で行動する様ですね。ですがその武功は数しれず、親王国より彼女の赤い瞳から『朱眼』の二つ名と、ラズリの家名を賜ったそうですよ。どちらもオリハルコン級冒険者なら全員持っています」
「剣士か。負ける気しないな」
ゲノムの言葉にジークは驚く。
「······戦うつもりですか?」
「そりゃあね。あの子は僕の逆鱗に触れた。あの人のせいでシロに臭いと言われて、ゲヘナから説教を受けたんだ。この恨みは重いよ」
「······そ、そうですか」
引き気味にジークは頷く。
だがゲノムは真剣だ。
その瞳には確固たる憎しみが宿っていた。
「向こうも僕を狙ってるみたいだしね。今日のことを覚えていれば、多分明日にでも来るでしょ」
「確かにゲノムさんが負ける所を想像出来ませんが。······油断しないようになさってください」
「なんで?」
負けないなら油断も何も無いだろうに、とゲノムは思う。
「彼女は特殊な目を持っているとの噂です。その瞳は魔力感知に優れている様で、腕利きの者である程、彼女には動きが見えるとの事です」
「ああ、だからか」
「······? と、言いますと?」
「ーーいや、何でもない」
ゲノムは彼女と別れる時に言っていた言葉を思い出した。
彼女はゲノムの事を気持ち悪いお兄さんと言ったのだ。
ゲノムはそのことに関しては怒りなどの感情は抱いていない。不気味には思ったが。
ゲノムは魔力の流れが特殊である。それを特殊な眼で見たのだろう。
「············?」
当然ジークはその事を知らない。
傍目ではゲノムは普通の人間に見える。
彼はただ不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「ま、大丈夫だよ。凄い眼を持っていても、結局視覚であることには違わないんでしょ。なら僕が負けることは無いよ」
「そうは言いますが······」
「こっちは心配いらないって。ジークは主人二人を守る事だけ考えておいて。僕もあの二人に巻き込みたくない」
「それは······ありがとうございます。ですが、私はゲノムさんも心配なのです」
「なのですって、はは。シロみたいだ」
「茶化さないで頂きたい」
ゲノムは笑うが、ジークは至って真面目だ。
馬鹿にされたように感じたらしく、不機嫌そうに唇を歪める。
ゲノムは知るわけがないが、ここに来てジークは特に感情を表に出している。
普段の彼を知るバイトダインの者からすれば槍でも降りそうだと思うだろう。
二人のお嬢様はその事を心から嬉しく思っていた。
「ごめんごめん。でも本当に心配要らないんだ。何ならシロとゲヘナに誓うよ」
「それは······っ! もしその二人が狙われたらどうするつもりで?」
呆気からんと笑っていたゲノムだが、ジークの言葉に笑みを止める。
そして普段の彼とは思えない鋭い顔立ちになり、断言する。
「それは有り得ない。僕が見ている限り、二人は傷つかない」
「············っ」
その迫力によりジークは硬直してしまう。
怖い訳では無い、恐ろしい訳では無い。
得体の知れないものが彼の胸を突き刺す。
背筋を這う怖気。
ジークは生唾を飲み込む。
彼はこの短期間に二度彼と対峙している。
そのどちらもジークは真剣に全身全霊を掛けて挑んでいた。
一度目は庭で、二度目はつい一刻前。
だが、それでも彼の本気は見られなかった。
一度目は彼に戦っているつもりは無く、二度目は勝負よりも遊んでいたと言う表現が妥当だろう。
「もし僕が見ている時に二人が傷つけられたら、僕はこの国を滅ぼす。親王国も滅ぼす。彼女の故郷も滅ぼす。血縁がいるならそこも滅ぼす。殺しはしないけど、死ぬより辛い目に合わせる。僕から何かを奪うって言うのはそういう事だ」
「············」
言い終わるとゲノムはいつもの覇気を感じられないヘラついた笑みに戻る。
だが一度感じた感情は戻らない。
ジークは我を取り戻すのに数秒かかってしまった。
もしジークが彼の本気を見るならば、シロとゲヘナのどちらかを傷つけなければならない。
それはお嬢様方の信頼を失うのと同時に、きっと破滅を意味するだろう。
それほど彼から感じる畏怖にも似た感覚は鋭いものだった。
「ま、この間失敗しちゃったから、絶対じゃ無いんだけどね」
「············失敗とは?」
ため息ながら言うゲノムに、ジークは恐れながら尋ねる。
彼の言う失敗とはどう言ったものか想像がつかなかったからだ。
「魔連って組織が急にやって来てね。僕の不注意でシロとゲヘナが巻き込まれちゃったんだ」
「っ!? 魔連ですって!?」
予想外の大きな組織の名前が出て、ジークは戦慄する。
中央諸国で最も情報が秘匿された巨大な組織である。
魔道具や魔術を手に入れるためなら手段を選ばない非道な組織。
大陸の中心にある大国『魔導国』にも技術提供をしつつ、各国にパイプを持つ狡猾な組織。
ジーク自身の魔術は有名すぎて狙われないと踏んでいたが、自分の主人に魔術が顕現、若しくは希少な魔道具が国に流れてきた時の為に情報を集めていた
それでも中々集まらず、不吉な邪神教徒へのツテを得ようと真剣に考えていた所だった。
その組織の実態は魔術研究を生業とする、アップダウンの組織形態かつ優秀な部下により成り立っていた研究機関だったのだが、彼はその事を知らない。
ジークの表情を見て何かを察したのか、ゲノムは言う。
「ああ、心配しなくてもその組織はもう無いよ。今頃どうなってるのか知らないけど」
「無い······ですって······?」
その情報はジークにとっては歓迎するべき物だったが、まるで信じられないと言わんばかりに彼はゲノムを見る。
「ゴル姉に後始末を頼んだからね」
「ゴル姉様が······?」
「あまり強そうに見えないと思うけど、ゴル姉はめちゃくちゃ強いよ」
「それは分かります」
即答するジーク。
そもそも彼女は女性なのかと疑問に思う。
だが不思議なもので、ラピスとミザリーは彼女を女性として扱っている。
浴衣の試着の時も、ラピスとミザリーは躊躇なくゴル姉に素肌を見せたのだ。
「というか、魔連はどうでもいいんだよ。僕は朱眼? って人の事を聞きたいんだって!」
「と言いますが、私が知る情報はここまでですよ」
「ええー······」
肩を落とし落胆するゲノム。
ジークはこめかみに力が入る。
「結局魔力を見通す魔眼を持ってるって事と、剣士だって事しか分からないじゃん」
「それでも十分だと思いますが。それに、問題ないと言ったのはゲノムさんですよ」
軽く怒気を含ませながらジークは言う。
「そうだけどさ。なんなら楽したいじゃん。もう少しなんか無いの? 弱点とかさ」
「ありません」
「え?」
「ありません」
「二回言わなくても聞こえてるって。え? 無いの?」
「無いです。ゲノムさんは一人でオリハルコン級冒険者まで上り詰めた者を倒せると言ったのです。その偉業がどれ程のものか知っていてそう仰ったのでしょう。ならば私がこれ以上言うことはありません」
「······え、ジーク、少し怒ってない?」
「いや、まさか。私はただ友人として忠告差し上げているだけですよ」
朗らかに笑うジークに、恐る恐るゲノムは尋ねる。
明らかに態度が違う。
「······やっぱ怒ってるよね」
「はは、まさか。大層強いゲノムさんには私のアドバイス等不要でしょう。私たちはまだ街を見て回っていないのです。お嬢様方の邪魔にならない様にお願い致します」
「············」
突き放す様に言うジークに、ゲノムはこれ以上聞くのを諦める。
「それでは夜も更けて参りましたので、これで失礼致します。あまりお嬢様方をお待たせする訳には行きませんので」
「あ、うん。じゃあね」
ジークはそう言うと部屋を出ていった。
何で彼が怒ったのか分からないゲノムはそれを止めることは無い。
彼は首を傾げながら閉じられる扉を見送った。
☆
「あらジーク、もういいんですの?」
「もう少し二人の寝顔を見てても良かったのですが」
「はい。大変お待たせして申し訳ございません」
ラピスとミザリーを迎えにジークは隣の部屋に来ていた。
もう二人は晩酌を終えたようで、部屋は片付けられていた。
倒れた瓶も、零れた液体も跡形もない。
ジークがゲノムの部屋に来る前に掃除したのだ。
換気のために窓を開け放したおかげで部屋に充満するアルコール臭も消え去っている。
ラピスとミザリーはその窓から風を浴びつつ、酔い醒ましの水を飲んでいた。
シロとゲヘナは仲良く二人、ベッドで静かに寝息を立てている。
「いいんですわよ。お姉様とのお話は何時だって楽しいものですから」
「あら? ジーク少し怒っていません? 珍しいですわね」
いつもと様子が違うジークに気付いた二人が彼に尋ねる。
「············いえ、何でもありません。ただ」
「「ただ?」」
口調と動きを揃わせてジークに聞き返すお嬢様方。
「······きっと彼は孤独だったのだと、そう思っただけです」
ジークは寂しそうに拳を握りしめる。
彼はゲノムの言葉に怒っていたのではない。
確かに大なり小なり思うことはあった。
例えば自分が苦労した集めた情報を大したことがないと言ったり、オリハルコン級冒険者に楽して勝ちたいとかほざく根性や、こちらが心配して言っているのに気にしない事とか、自分が今日見る夢を悪夢に変えたこと等キリがないが。
第一に彼の腹に据えかねたのは、自分が怒っている事に気づきながら、何故そんな感情を抱いているか分からないと言わんばかりの惚けた顔にだった。
仮にも友人関係にある自分。
なのに、彼は自分のことを分かろうともしない。
家族の事になればあれほど激しい感情を向けるのに、まるで一線を引いたように理解しようとしない。
それは自分が主人に近づく者へ向けるものとは違ったベクトルの感情。
片想いの親愛など聞いたことも無い。
嫉妬にも似たもどかしい気持ちを持て余し、彼は怒りを抱いたのだ。
ジークに自覚は無いが、彼は今とても変な表情をしている。
そんな珍しい表情の彼見て、二人は優しく微笑むのだった。




