厄日は終わらない
「あ、ナナって人の事聞くの忘れてた」
自分の部屋に向かう途中、ゲノムはようやくジークを呼んだ思い出した。
というか、何故ジークと戦うことになったのか分からない。
ゲノムはただ、聞きたいことがあっただけなのに。
とりあえずゲノムは今日一日の鬱憤を晴らすことが出来て随分と清々しい気分になっていた。
ゲノムの行く手を阻んだジークの自業自得と言えばその通りだが、本人は納得しないだろう。
「まいっか。スッキリしたし、やっぱり持つべき者は友だね」
うんうんと頷きながら、ゲノムは自己を肯定する。
「でもなんで僕を止めようとしたんだろう。······やっぱりラピスとミザリーの命令しかないよね。シロとゲヘナは強いから変な事にはなってないと思うけど」
少々解せない思いをはあるが、とりあえずゲノムは部屋に向かう。
シロの部屋はゲノムが街に出る前ジークにより破壊されたが、ゲヘナの部屋は隣だ。
部屋に入る前に様子を見に行けばいいだろう。
「念の為ゲヘナにも聞いておこうかな。知ってるとは思えないけど」
ゲヘナは学問に関する知識は多いが、冒険者のランクには疎いだろう。趣味で国の情勢調査なんかをしているが、あくまで趣味。
本で得た知識を元に自分で分析しているだけに過ぎない。
「あ、冒険者と言えばシロもそうだった。うん。シロにも聞いておこう」
「あら、ゲノムちゃん。門には行った?」
そんなこんな考え事をしていると、ゲノムの目の前に大きな巨体が現れた。
手に工具を持ったゴル姉だ。
筋肉にトラウマを背負いそうになったゲノムだが、不思議とゴル姉を見ても何も思わないようだった。
「行ったよ。散々だった」
「ふふ、その様子だと皆頑張っているみたいね」
ゲノムの表情で何を見たか察したらしい。
ゲッソリとしたゲノムを見て苦笑しつつ微笑む。
「ゴル姉は?」
「シロちゃんの部屋のドアが壊れたらしくてね。その修理よ」
「あ、じゃあ直ったんだ」
「ええ。バッチリよ! それと、ふふ、面白いことになってたわよ」
「面白いこと?」
「面白いこと。特にすることが無いなら見に行ってきた方が良いと思うわ。ゲヘナちゃんの部屋ね」
「じゃあ行ってみるよ。······そうだ、ゴル姉」
「あら、何かしら?」
ゲノムはゴル姉に先程出会った冒険者らしき人について聞くことにした。
この街のイマイチ彼女の立場は分からないが、かなり上位の立場にいることは分かる。
十分知っている可能性はあると思ったのだ。
「ナナって冒険者、知ってる?」
「ナナ······? うーん。分からないわ。どんな子?」
「隈が貼り付いた赤い目の、剣士······かな。前髪が長い女の子」
「······あ、あの子かしら」
ゴル姉は心当たりがあったようで、両手を合わせる。
「最近街に入った子で、毎日ホスト街に通ってる子ね。酔いつぶれるまで飲んでは倒れるを繰り返している子よ」
「······なんて迷惑な」
「まあでもお金の気前はいいのよ。もう心配になる位」
ゴル姉はそれ以外の情報を持って居ないようだ。
ゲノムは自分が聞いた話を伝えることにした。
「その子の話が本当なら、オリハルコン級冒険者らしいよ」
「あら、そうなの? ならお金持ちなのも納得ね。この街は出来たばかりだからあまり資金が無いのよ。お酒も高級なものばかり用意しているからね。そんなお客様が来てくれているなら大歓迎よ!」
嬉しそうに笑うゴル姉。
自分が狙われているとは伝えない方がよさそうだ。
「今日一文無しになったみたいだけど」
「············なんですって」
ゴル姉の目が妖しく光る。
「············ありがとう、ゲノムちゃん。ちょっと用事が出来たから出かけるわね」
「あ、うん。行ってらっしゃい······」
ゴル姉は今聞いた事を街中に伝えるつもりだ。
おそらくあの少女は明日、前払いしなくては店に入る事が出来なるなるだろう。
地響きを感じられる足取りでゴル姉は去っていった。
「ちょっと! そんな所で踞らない! 邪魔よ!」
「は、はい。申し訳ございません」
背後からゴル姉の怒声が聞こえるが、ゲノムは耳を塞ぐ。
「······僕は何も知らない」
☆
ゲノム達がいる大陸ではどの大国の庇護下に入っているかにより大まかな法律が決まっている。
大体の法規は似通っているが、それぞれ違うのは飲酒が許される年齢だけだろう。
北と中央は十八、東は二十、南は制限なし、そしてゲノムがいる西では十四から許される。
南に制限が無いのは数多の種族が生活しているため、見た目では判断しずらいからだ。
北、西、中央は結婚出来る年齢の一つ下に設定されている。
結婚前夜のパーティーでお酒を飲めるようにだ。
東は法律に厳しい地方なので、結婚は、女は十六、男は十八と細かく決められている。
ゲノムが西を中心に活動しているのは、彼らが住む『幻惑の森』が西の果てに位置していることもあるが、法律上の理由もある。
もしゲノムが東の帝国に何のツテもなく入国したならば、一歩目で捕縛され処刑されるだろう。
嘗てダストダスに法律が無かったのは、その国がどの大国の庇護下に入っていなかったからである。
西と中央諸国の境に近いこの国は、西の親王国も手が出しずらい。
ましては当時荒くれ達が集まる不法国家だったのだ。
今は国として機能していないこの街だが、今後何もなければいずれ西の庇護下に入ることになるだろう。
その為の前準備として、現在は西の法律に基づき治安を進めているようだ。当然、ゴル姉の案である。
なので、十四歳であるシロやゲノムがお酒を飲むのは法律上問題は無い。
無いのだが。
「······どうしたの。これ」
ゲノムは呆気に囚われていた。
ゴル姉の勧める通りゲヘナの部屋に入った瞬間むせ返る酒精の香り。
見れば絨毯に赤い液体が広がっている。
仄かに赤らんだ顔をした四人の女性。
ラピスとミザリーは普段とあまり変わらないが、ワインを片手に楽しそうに談笑している。乱れた浴衣から肩が覗き色っぽい。
ジークが必死になって止めたのはこの姿を見せたく無かったからだろう。
対してシロとゲヘナは酷い。
帯も緩みっぱなしで殆ど着物の体を成していない。
シロはベッドを叩きながら爆笑しているし、ゲヘナはランプが何かに見立て説教をしている。
「北の勇者伝説はたった一人で魔王に立ち向かった戦士の物語。強者故の孤独、なんとも切ないお話でしたわ」
「あれは史実に基づいたお話と聞いて驚きましたわ。途中勇者を見捨てた聖女は、当時幼いながら憎んだものです。今思えば、私達が真実の愛を探し始めたのはあれがさいしょでしたわね」
「うひひひひ、二人の話は面白いのです!」
「大体、ゲノムは好き勝手しすぎなの。私たちがどれだけ苦労してるの分かってる? いつもいつもいつの間にか居なくなって。この間グランリノに消えた時だって、凄い寂しかったの! ちょっと、聞いてる!?」
シロは変な所で笑っているし、ゲヘナはいつもより滑舌が良い。
二人の目の前にもグラスが置いてある。
シロの方は倒れてしまっているが。
シロが焦点の合っていない目でゲノムを捉える。
「うひひひ、あ! ゲノムなのですぅ。フンフン············臭い!」
シロはゲノムを突き飛ばした。
ゲノムはショックで尻もちを付いた状態で固まってしまう。
「ーーーーっは! 危ない危ない。この光景が衝撃的過ぎて幻聴が聞こえたよ。やれやれ、幻術師の名が泣くな」
ゲノムは似合わないセリフを吐きながら更に似合わない自傷的な笑みを浮かべて立ち上がる。
「ゲノムが臭いのです!」
「ーーっ!! 現実だった······」
魂が抜けたように全身から力が抜け、思わず手をつくゲノム。
彼は手に持つ自分のローブが目に入ると、それを開けっ放しのドアから力いっぱい廊下に投げた。
手を払い立ち上がると両手を広げる。
迎え入れる体制は万全だ。
「さあ、これで大丈夫。シロ、こっちにおいで」
だがゲノムの呼びかけ虚しく、シロは体を低くして唸り声を上げる。
「ゲノムから女の匂いがするのですっ!」
「············なんだってぇ」
ランプに話しかけていたゲヘナがその声を聞いてゆらりと振り返る。
同時にゲノムはナナに抱きつかれたのを思い出した。
「······あの女っ!」
「ゲノム、約束破ったのね?」
ゲノムに詰め寄るゲヘナ。その目は据わっている。
「違う! 破ってないから」
「言い訳は良くないわ。私がどれだけ貴方の事を愛しているか知らないでしょ」
「······ゲヘナ、何だか今日は饒舌だね?」
「話を逸らさない!」
「はいっ!」
ゲノムはゲヘナの迫力により、その場に正座をしてしまう。
「ぐすっ、私はゲノムの事を信じてたのです。なのに······」
ゲヘナの後ろには目に涙を浮かべるシロ。
饒舌なゲヘナと同じくこちらもゲノムは中々見たことの無い表情だった。
「どこの女? ゲノムは格好良いから他所の女がほっとかないのは分かるわ。でもだからと言ってゲノムがついて行く筋合いは無いはずよ。さっさと吐いて頂戴」
「ぐすっ、信じてたのに、信じてたのに······」
ジト目でゲノムの胸ぐらを掴むゲヘナ。
ポロポロと涙を流すシロ。
その光景はすっかり修羅場と表してよいものだった。
目を輝かせて成り行きを見守るラピスとミザリーを尻目に、ゲノムはナナと言う冒険者を絶対許さないと誓うのだった。
ゲノムは根に持つタイプです




