背中に目はない
すっかり夜も更け、太陽は姿を見せず代わりに銀色の月が姿を見せていた。
だがこの街は暗くなってから本格的に活動する。
ゲノムが迎賓館の門を出ると、遠くに見える街が明るく照らされている。
館と街を繋ぐように均等な間隔に並べられた光を放つ魔道具が一本の道を作り出している。
まるで太陽が地面に落ちてきて、星々が太陽への道を誘う感覚。
距離があるにも関わらず耳に響く人々の声が、ここから先は非現実的な空間への入口と示しているかの様だった。
思わず足が竦んでしまうゲノム。
勇気を振り絞り歩を進めると、次第に人通りが多くなる。
次々と泊まっていた宿から出るのは全て女性。
すれ違う人はおらず、全員が吸い込まれる様に光を放つ街へ向かっている。
派手に着飾り、香水の匂いを振りまく姿に、彼は自分の嫌いな生物を連想してしまったのは悪くないだろう。
やがて辿り着いた街の入口。
昼には無かった門により彼女達は入ることが出来ないようだ。
門の前には大勢の女性。
今か今かと期待に満ち溢れた瞳で待ち構えている。
すると一人の男が門の前に立つ。
膨れ上がる黄色い歓声。
昼に見た時とは違い、シャツの前を閉めベストを着込み、蝶ネクタイを結んだ姿のストラスだ。
無駄に格好付けた姿に違和感を感じたのはゲノムだけらしい。
一瞬彼と目が合う。
ストラスは怪訝な目をするが、直ぐに集まる女性達を眺める。
彼が咳払いを一つする。
それだけで、辺りはピタリと静まり返る。
ずっと門の奥から聞こえていた準備をしていたらしい街の人々の声も全くしない。
彼は口を開く。
「お嬢様方、本日はお越しくださり、誠にありがとう御座います」
静寂に満ちた空間に、ストラスの低い声が響き渡る。
腕を前にしながら礼をする姿は、緩急がしっかりとしていてとても美しい所作だった。
ストラスは顔を上げずに口上の続きを述べる。
口は地面を向いていたが、静かなこの場所でははっきりと聞き取れた。
「初めての方も、いつもの方も、ここから始まるのは夢幻、現の夢。真実の愛を感じる場所。どうか幸せなひと時を思う存分にお過ごし下さい」
誰かが喉を鳴らす。
それだけで周りの女性はその人を睨みつけた。
ストラスは顔を上げると、門を潜る人の邪魔にならない場所へ移動する。
「さて、皆様待ちきれないご様子。私の話などこれまでに致しましょう。どうか皆様、良い夢をーー」
彼は優雅に一礼すると、門が開く。
「「「「いらっしゃいませ! お嬢様方!!」」」」
まず目に飛び込む、焼けつきそうな程輝かしい光。
寸分違わず揃った出迎えの挨拶。
出迎えるスタッフ達。
スーツを着込み、髪を明るく染め、装飾品を身に付ける男達。
彼等は直角に腰を折り、彼女達を迎え入れる。
雪崩込む女性達。
彼女達は思い思いの男性に声を掛けては店に入ってゆく。
立ち所に膨れ上がる喧騒。
夜の街は、今始まった。
☆
ゲノムは街中をゆっくりと歩く。
この街道は女性客用の道、すれ違う女性も客引きもゲノムを奇異な目で見ていた。
ゲノムの目鼻顔立ちは特別整っている訳では無いが、ヘラヘラとした能天気な態度と、時折見せる人を小馬鹿にした表情を抜きにすれば不細工とは言えない。
常日頃から貴族の美男美女を相手にしている、ラピスとミザリーからすればあまりパッとしないといった辛辣な評価を受けたが、この街の住人と比べると、平凡ながら整った顔立ちだ。
にも関わらず、少なからず声を掛けた女性が自分を見て踵を返したのは、自分が黒いローブを着ている地味な男であるからに違いない。
つまり自分は彼女達が求めているタイプでは無いのだ。
そんな事を頭の中で必死に言い聞かせながらゲノムは歩く。
歩くだけで視線を浴び、声を掛けられ振り向くと無表情で引き返される。
それに何か後ろからクスクスと小馬鹿にする笑い声が聞こえる。
あまりの場違い感に、ゲノムの耐久値はゴリゴリとかなり削られていた。
実際のところ、すれ違う人々が彼を見ているのはゲノムのローブに「シロとゲヘナ専用。手出し無用」と張り紙がしてあるからである。
そのローブは彼が出掛ける直前に、貸していたシロから返された物だ。
彼はゲヘナに着せてもらった為、ゲヘナの案による張り紙に気づいていない。
入口ではゲノムは目立たない様に後ろの方にいた。
周りの女性達も開門の期待から、彼の張り紙に気づいていなかった。
だが街に入り多少落ち着いた今、彼は悪い意味で目立っていた。
元々この街道では女性が殆ど。珍しい男性客であると同時に誰かの手つきを匂わせる張り紙がしてある。
正に何しに来たんだ、と思われても仕方がない。
時折ゲノムは声が掛けられる。
声を掛けた女性は、その貼り紙をイタズラだと思い、教えてあげようとした心優しい人だった。
しかしライフがレッドゲージなゲノムの、救いの女神を見たかの様な眼差しにドン引きして引き返したのである。
「何で僕はこんな目に······」
彼は街を歩いてから三度目となる、声をかけられては引き気味に逃げられる嫌がらせを受けていた。
オーバーキルである。
彼が何故そんな思いをしながら街中を歩いているかと言うと、それはゴル姉から街の様子を見て欲しいと頼まれ事をされたからであった。
門と迎賓館を往復すればいいだけと言っていたが、彼はここを通る道しか知らない。
どうせなら花街を通って行こうと考えたが、シロとゲヘナから禁止されてしまった。
最後の家族街は、彼の精神都合上避けたかった。
街の入口でストラスを見た時は案内を頼もうと考えたが、彼は開門と同時に喧騒の中へ消えていった。
つまり彼にはここを通る以外選択肢が無かったのである。
周りに視線を向けると、全ての人に逸らされる。
あまり他人に興味が無い彼でも精神的にダメージが大きい。
ゲノムは俯きながら早足で街中を突っ切った。
気づけば周りから喧騒が消えていた。
どうやら彼は無事に地獄から抜け出せたらしい。
目の前には街灯に照らされた静寂に満ちた道と、背後には賑やかな喧騒。
ゲノムは日常と非現実の境界線の様な光景に安心感を覚える。
「······絶対二度と行かない」
彼の胸中に、軽いトラウマが刻まれた。
「············フッ。現の夢か。良く言ったものだな」
「誰っ?」
突如耳に聞こえた静かな声に、ゲノムは飛び上がる。
声がした方向には一人の男。
落ち込んでいたとはいえ、彼さえも感じられない希薄な気配を纏った、黒く長いローブを着た男だ。
口元を襟で隠し、捲りあげた袖から見える腕には片腕に包帯を巻いてある。
男は街頭を背に、腕を組みながら佇んでいた。
まるでスポットライトの様に男を照らしている。
「あっ!」
ゲノムは直感的に何かを感じ、懐からスタンプカードを取り出すと男に見せた。
「············フッ」
男はそれを見るとゲノムを手招きし、カードを受け取りスタンプを押す。
「············あと一つだな」
スタンプカードを返しながら、男は言う。
「······君の真名は?」
「············愛の監視者」
「現の夢って?」
名乗りを促しつつゲノムは気になった事を尋ねた。
「············この街は現実に現れた夢。幻。仮初の街。ある男が贖罪の為に作った街だ」
「············贖罪」
ゲノムの脳裏に一人の男が浮かぶ。
ストラスだ。
背後で紐を解く音と同時に呟かれた、謝罪の言葉。
その言葉は、以前彼と会った際の印象からは決して溢れないであろう言葉だった。
済まなかったと。
「············後は自分の目で見るがいい。真っ直ぐ行けば門に着く。貴様の望む光景では無いかもしれんが」
男は身動きせず、視線だけで道を示した。
「ではさらばだ。幻術師ゲノム。············早く戻らないとオーナーに怒られてしまう」
男はそう告げると、静かに街の中に入っていった。
ゲノムの背中に貼り付けられた紙を破り捨てながら。
ゲノムはその様子を見て呟く。
「······ゴミ捨てて言ったよ、あの人」
風で飛ばされる紙屑を尻目に、ゲノムは門へ向かう。
そこで彼が見る光景は、ゲノムの現を変える事になる。
家族以外の人を信じられない、彼の価値観を。
そして彼は知らない。
邪神教徒は争いがある場所でしか姿を現さない事を。
ゲヘナ「これは保険」
シロ「で、でもゲノムが可哀想なのです」
ゲヘナ「シロはゲノムが花街に行っていいの?」
シロ「それは絶対嫌なのです!」
ゲヘナ「だったらこれは必要。後でこっそり剥がせばいい」
シロ「むう、だったらゲヘナの名前だけでいいのです」
ゲヘナ「ゲヘナ専用になるけど、いい?」
シロ「······やっぱり私の名前も入れてください」
ゲヘナ「うん。怒られるのは一緒」
フォローしておくと、ゲヘナは嫌がらせの為に行った行為ではありません。
割とゲノムに関しては暴走しがちな不器用な子なのです······




