誘惑から眠りへ
食事もそこそこに、ゲノムはゆっくり休むことにした。
ジークは主人二人に耳打ちされ、食事の途中で席を立ち一緒ではない。
寝る前にシロとゲヘナに声をかけようと思ったが、どこを探しても見つからなかった。
まだ時刻は夕刻前。
休むには明らかに早すぎる時間であったが、彼はとても疲れていた。
ただでさえ慣れないキャンプで疲れていると言うのに、ゲヘナとシロの謀略により、夜眠れない日々が続いた。
さらに、ゲノムに言わせてみれば、ジークの勝手な勘違いで無駄な体力を使わされた挙句、ストラスと言う変態の相手までしたのだ。
加えて、花街の下見という楽しみさえ奪われた。
正に今は疲労の絶頂。
腹も満たされ、何もしなくては直ぐに寝てしまう状態。
今彼の状態を知る刺客がいたのなら、嬉々として襲撃しただろう。
しかしこの迎賓館は、種族故の強靭な怪力を持つゴル姉を筆頭に、最速のシロと、転移魔術を使えるゲヘナまでいる。
更には、今は主人のお世話に向かったジークも彼の味方になるだろう。
ゲノムは抜けている事は大いにあるが、頭が悪い訳では無い。
状況を鑑みて、今この迎賓館はかなり安全と判断していた。
なので、自分に宛てがわれた部屋を何の警戒もせずに開けっしまったのは、警戒心の強い彼の過ちとも言える。
「ゲノム、どう?」
「ゲノム、ゲノム、私を食べて欲しいのです!」
開けて飛び込んだ、シロとゲヘナの艶姿。
肌が透けるネグリジェを着込み、ベッドに横たわる妹とペット。
十四歳の少女の、全裸に近い姿。
一種の特殊な性癖を持つ者なら狂気乱舞する光景だが、それが家族であるなら別だろう。
ゲノムは何も言わず、扉を閉めた。
「······私は言った。ゲノムにはこの方法は違うって」
「ゲヘナはメモまで取って聞いていたのです! 誤魔化しても無駄なのですよ!」
「やはり、未婚の妄想話では無理があった」
「それは私も同意しますが、二人が可哀想なのですよ」
「でも、私達の周りに相談出来る人はいない」
「マキナもユウを仕留めきれていないのです。今度勝負に出ると言っていましたが」
「······それ、言っていい事?」
「あ、口止めされていたのです! 昔の人を忘れさせるって言っていたのは禁句でした!」
「もう全部言ってる。でも、村に帰ったら問いただす」
ドアの向こうで二人が騒いでいるのが聞こえる。
ついでに隣の部屋で「未婚の~」辺りで物音が聞こえた。
「······ジーク、いる?」
さらに物音が聞こえる。
大方、合流したお嬢様方の話を聞き、自分も聞き耳を立てていたのだろう。
「············」
「··················」
ゲノムには今や幻術を使う体力は無い。
シロとゲヘナの奇行は気になるが、村にいる時から二人は偶に似た事はしている。
最近の話だと、日記争奪戦の時のシロの背伸びした寝巻きだ。
ゲノムは何となく腹が立ち、強引に事を進める事にする。
決して、食事の前に負けそうになったからでは無い。
「ラピス、ミザリー聞いて。実はジークはーー」
「っ! ゲノムさん! 私はここにいます!」
ゲノムの声に、隣の部屋からドアを蹴破りジークが飛び出してきた。
今まで見た毅然とした姿ではなく、額には汗が止めどなく流れ、手まで震えている。
「何だ、隣にいたのか。ごめんね、うっかり大きな独り言を言う所だったよ」
「は、はは。全くご冗談が過ぎます。それで、何が御用ですか?」
「いや、ここには温泉があるらしくてね。ラピスとミザリーにも伝えた方が良いと思って」
「ご心配なく。私達もその事は既に存じ上げておりますから」
「そっか、要らない心配だったかな?」
「ええ、本当に。ははは」
二人が笑いあっていると、ジークが蹴飛ばした部屋から同じ顔が覗かせる。厚い化粧は落としてある様だ。
「ジーク、どうしたのですか? 慌てて飛び出して」
「そうですわよ。友達の勇気を無駄にして。後でおしおきですわね」
「はい。申し訳ございません」
二人にジークが腰を曲げると、ゲノムの部屋からシロとゲヘナが部屋を出る。
先程の作戦は止めることにしたのか、二人は普段の服装に戻っていた。
「あ! やっぱり私の部屋のドアが壊れているのです!」
「なんか、私の部屋でも同じ光景を見た」
「ジーク、貴方、ここに来てから変ですわよ! 久しぶりの遠征で浮かれているのは分かりますが」
「お姉様の言う通りです。私達だってまだ街をしっかりと見ていないのです。貴方がそんな事では先が思いやられますよ」
「はい。面目次第もありません」
自分の部屋の前で騒ぎ出す五人に聞こえるように、ゲノムは大きくため息を吐き、簡単な魔術を発動させる。
「······僕はとても疲れているんだ。そこをどいて、休ませて。ね?」
発動したのは単純な、寒気を感じさせる魔術。
寒気も知覚の一つで、疲れている今でも発動は出来る。
緻密な操作により五人の体に駆け上がる魔術は、背中から頭まで、一筋の線を描く様に寒気を与える。
五人は気持つが悪い感覚に背筋を震わせ、次いで胸を軽く押された感覚に襲われる。
言葉と同時に発動させたその魔術は、戦いを知っている者は別のものと感じさせた。
殺気と。
乗り切らないジークとの戦いでは見せなかった、ゲノムの本気の魔術だった。
「············っ!」
ジークは戦慄する。
つい先程見た自分の魔術の効果に頼ったものでは無い、精密な魔力操作によるものだったからだ。
今ゲノムは、魔力の流れをあえて見せている。
ジークは思う。
最後に言ったゲノムの言葉は、ただの強がりでは無かったと。
そして、何故今それを見せるのかと。
「ご、ごめんなさい、ゲノム。私は二人に唆されただけ」
「そ、そうなのです。私たちは悪くないのです」
「あ、ずるいですわよ! 私達はただアドバイスのつもりで」
「そうですわ! これはただの友人への好意で」
シロとゲヘナは魔術の効果によるものと認識しているが、ゲノムが怒っている事を感じ、慌てて言い訳をする。
ミザリーとラピスの二人は魔術を知覚出来ないが、得体の知れない感覚に不気味なものを感じ、二人の言い訳に追従した。
「どうでもいいから、さっさとどっか行って。僕は眠いんだ」
ラピスとミザリーの二人はジークに促されて渋々部屋を後にする。
シロとゲヘナも気落ちしながら三人の後を追うが、ゲノムが呼び止める。
「あ、そうだ。シロ、ゲヘナ」
「なに?」
「はいなのです」
顔色を伺いながら振り向く二人に、ゲノムは部屋に入りながら言う。
「さっきの格好、僕以外に見せちゃ駄目だからね」
ゲノムは目を丸くする二人の顔を横目で見て、扉を閉めた。
一拍遅れて扉の向こうからお嬢様方の歓声が聞こえるが、ゲノムは耳を塞ぎながらベッドに飛び込んだ。
彼は愛すべき二人の家族の匂いを感じながら、深い眠りについた。
次はゲノムの過去について触れようと思います。




