宵闇に怒る幻術師
ゲノムが魔力を放出すると、野次馬達はそれぞれ首を傾げながら散っていった。
ゲノムは魔術の刻印を施し、彼らは今別々の光景を見ている。言うならば白昼夢を見た様な現象に襲われていた。
······最も、現実の方が夢だが。
それを確認すると、ゲノムは足を踏み入れる。手には転移の魔道具が握られていた。
「ゲノム」
「ゲノム」
ゲノムは心配の声を掛けるゲヘナとリッツを無視し、彼らの元へ転移する。
急に現れたゲノムに、ナンバーズの一人が声を上げる。
「なんだ貴様はっ! 貴様は我々のする事に文句があるのか!」
怒鳴り叫ぶ男に、ゲノムは笑顔で返事をする。
「······いや、名乗ろうと思って。僕が君達の探してい幻術師ゲノムだよ。よろしく」
「貴様が、ゲノム、だと?」
その言葉に、シロを攻撃していた手を止めるナンバーズ。
炎で、蹴りで、水で、拳で、雷で、何度も何度も暴力を受けたシロは傷だらけで意識を失っている。
対して、彼らの服は汚れているが、体に傷一つ無い。シロは抵抗すらしなかったのだろう。
それは、シロは瓦礫の下敷きになっていた男を助けようとしていたからだ。
移動の時に魔術を使いすぎて魔力が足らず、自分を守る魔道具を使えなかった男。
馬車を追うシロに、物を投げた男。
彼はとてつもない衝撃で城壁に衝突した。
城門が崩れた時に落ちた瓦礫から、力なく手だけが生えている。
地面には大量の血が流れ、誰が見てももう助からない。
それでも彼女は必死に瓦礫を退けようとしていた。
自分もかなりの衝撃を受けたと言うのに。
小さな手で、背後から攻撃されても、必死に。
「は、はは。この様な目になってしまったが、運は我々の味方のようだ! 探す手間が省けた!」
「良かった良かった。で、なに?」
ゲノムは笑顔のまま、首を傾げる。
「貴様の幻術を手に入れれば、逃げたガキなど不要。さあ、我らの軍門に下れ」
「一人失ったが、貴様が我らの仲間になれば、相応の利益が上がる。こやつも本望だ」
「幻術さえ手に入れれば、この世界を操ることが可能。貴様には選択肢など無い」
口々に言う彼らをゲノムは見ているが、見ていない。
人として、命として、魂として。
彼が見ているのは愛すべき家族と、それを穢す魑魅魍魎。人の世に存在してはいけない怪物だ。
貼り付けた笑顔からは静かな燃え盛る怒りが見える。
「··················で、なに?」
「? 我々の言う言葉が理解出来ないのか?」
ゲノムは動く。
微かにその姿がブレる。
「ーー僕はさ、家族と楽しく過ごせれば、それでいいんだ。まあ、日記の事は悪ノリしちゃったし、今でも少し見たいけど。でもさ、本当は僕はただ、皆に自由に過ごして欲しかっただけなんだ。だってさ、日記なんて僕が本気を出せばすぐに手に入る。君達が持つ試作品に頼らなくてもさ」
「貴様、何を言って······?」
ゲノムは彼らの横に現れ、一人懺悔する様に言う。
「今回の事はただのイベントのつもりだったんだよ。じゃないと二人は森の外にすら出ないからね。予定では君達がこの国に来たあと、僕は二人を眺めながらゆっくりと探すつもりだった。でもさ························なにこれ?」
背後から聞こえる声に振り向くも、そこには誰もいない。
「魔物を暴走させて、城壁を壊して、仲間を一人殺して、助けようとした僕の家族を傷つける。それって人のする事?」
振り向くとゲノムは元いた場所にいた。
そして、一歩、足を進める。
「······僕の家族に、シロに、君達、何してるの?」
男は目を見開き、ただ笑う。
「銀狼族が家族だと? 何を言っている。銀狼族は世界を蝕む害虫だぞ!」
「だから何をしてもいい? なんで? この子が君達に何かした? 銀狼族が人間達に何かした? ············ごめんね。僕には君達が何を言っているのか分からない」
「分からないか? 銀狼族は歴史的弱者だ。力の強いものが弱いものを虐げて何が悪い。歴史はそうやって動いてきた。それが悪いと言うものは偽善者だ」
「そう。じゃあ、僕は何も言わないよ」
ゲノムはいつの間にかシロの元へ転移していた。
そして膝まづくと優しげな手で少女を撫でる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「······そう。駄目だな。君達。もう、駄目だ」
「人は生まれ変わらない。精神は生物だ。腐った物はもう、死んでも腐り続ける」
「く、くそ、なんださっきからーー························っ」
ナンバーズの男が手に持っていた銃でゲノムを打つ。しかし、ゲノムにもシロにも弾は当たらず、遠い所から硬い音がした。
「な、なぜ当たらない。幻術か!」
「そうだね、これは幻術だ。でも、だからどうした? 君達にそれを防げるの? ··················ああ、君達は魔術を研究する組織なんだってね。良かったじゃん。さあ、解析してみなよ。ほら」
「······見ただけで出来るわけがないだろうが!!」
男の挑発に、ナンバーズが叫ぶ。
「何を言ってるの? 君達が捨てた少年。名前は知らないけど。彼は僕の魔道具を見るだけで解析したんだよ? なんで君達が出来ないの?」
「············あんなガキが、だと······っ!?」
「··················ああ、なるほど。これじゃ規模が小さいんだ。わかった、これならどう?」
男は手を翳す。
まるで打ってくださいと言わんばかりの光景だか、誰も動けない。
彼の出す強大な、幻想的な輝きを持つ魔力によって。
その様子に、冷たい眼差しの男、ゲノムは呟く。
酷く、冷たく、冷徹に。
「ーー『幻獣』」
膨れ上がる魔力。
空気中に飽和できない魔素が渦巻き、姿を形作る。
「······なんだ、その化け物は······っ!?」
現れたのは巨大な狼。白銀の毛並みに鋭い眼孔、剥き出された鋭い牙。
体毛を逆立てながら佇むその姿は恐怖を超越し、畏怖を感じる。
「孤高の獣神、ーー銀狼フェンリル」
獣は怒る。唸り声を上げて。
鼻に皺を寄せ、牙を剥き出しに。
その怒りは誰のものか。冷ややかな目で笑みを浮かべる男か、それともーー。
「し、所詮幻術、まやかしだ」
「分かってるね。これは幻術だ。ただし」
ゲノムが腕を振るうと、フェンリルも腕を振るう。
その爪が当たった男の体が腹が引き裂かれる。
切り裂かれた腹から多くの血が臓物が流れ、男は痛みに蹲る。
「ぐ、き、傷が······」
「当然だよ。そう感じさせているからね。安心しなよ、全て幻術。死にはしない」
ただし、とゲノムは口を開く。銀狼も同じく口を開ける。
「痛みもある。感覚もある。傷もある。匂いもある。音もある。恐怖もある。さあ、目の前の現実は、どっちかな?」
「············ひっ」
蹂躙が始まる。
次々と体から血が、臓物が、意識が飛ぶ。
男は笑う。
獣は牙を剥く。
対する者は、震える事しか出来なかった。
ゲノムの怒り!




