「…駄目だ。」
「なんで俺じゃないんだっ?おかしいだろ!?」
離れた所から大声でそう言い、彼女に迫った。
俺の手には包丁が握られている。
怯えた顔で彼女は言う。
「…お願い。やめて。ね?お願いですから…」
「やめないよ。君が俺のモノにならないんなら、もういっそ…」
彼女に走り近づいていく…
手に持った包丁にさらにグッと力を込める。
「い、いやっ!やめてっ!」
彼女は走って逃げる。
「頼む!待ってくれ!俺は…俺はっ!」
俺の方が足が速い。
当たり前か…彼女は少し脚が悪い。
その脚を引きずりながら走る彼女の手を掴み、こちらを向かせる。
スローモーションでフワリと髪が舞うのが見えた。
怯えた目で俺を見る君。
あぁ。こんな時でも君は美しい…。
「俺を好きだと言ってくれよ。なぁ?…頼むよ。」
「…言えません。私には大切な人がいるんです。それは貴方じゃない!」
キッと俺を睨む顔。
あぁ、綺麗だ。
…君が好きだよ!
愛してるんだ!
その時。
ドンッと横から激しく押された。
「お前っ!何をやってるんだ!?」
ソイツは彼女の前に立ち塞がり庇った。
「…大丈夫か?」
チラッと後ろを見やり彼女を気遣う。
彼女はもの凄くキラキラした目でソイツを見ている。
「…お前が邪魔してんのか?」
「は?何を言ってるんだ?このストーカー野郎!!」
「…俺はストーカーじゃねぇよ。彼女を愛してるのにお前が邪魔してんだろ?」
「コイツ…頭がおかしいのか?」
困惑した顔でソイツは俺を見る。
「なぁ?そんな男のどこがいいんだ?俺の方が君をこんなにも愛してるのにっ!!」
「本当に愛してたらそんなモノ向けないだろ!?」
そう言われ、手元の包丁をチラッと見て握り直した。
「…うるせぇ。う、うるせぇんだよっ!!お前さえいなきゃ!」
俺は男に向かって包丁で切りかかった。
男は彼女を庇い、腕を切られながらも反撃してきた。
「やめろっ!こんな事して何になるんだよっ!!」
ドカッ!
ズザッ…
俺は男に腹を蹴られて後ずさる。
ソイツは彼女を守り、血を流しながらもその場から逃げる事はしなかった。
「…逃げろ。アイツの狙いは君だ。早く逃げるんだ!」
「でもっ!貴方を置いて逃げられない!」
「逆だよ…それは俺の役目だろーーーっ!?」
俺は男に向かって突進した。
ズブリ…と男の腹に刃が入っていく。
何とも言えない気持ち悪い感触が手に残る…。
全てがスローで流れて見えた。
彼女の顔がみるみる青ざめていく…。
「うっ…うぅ。」
男はその場に蹲った。
「いやぁーーーーっ!!」
彼女の声が響き渡る。
彼女の悲鳴を聞きつけて誰かが走って来る音がした。
…一人じゃない。
「…コッチか?悲鳴が聞こえたぞ!」
「誰かいるのか!?」
数人の男達が俺たちのいる路地に駆け込んで来た。
「…いたぞ!アイツだっ!!」
俺は無我夢中で走って逃げた。
「来るなっ!来るなよ!!アッチヘ行けっ!」
包丁を振り回しながら走る。
…なんでこんな事になったんだ?
あの日…そうだ。
彼女に初めて会ったあの日を思い出していた。
その日は雨が降っていた。
「キャッ!」
歩道橋の階段を降りている最中、背後から女性の声がした。
振り返ると彼女が濡れた階段で滑って転びそうになった所だった。
ちょうど下にいた俺に向かって手を伸ばしていたので、思わず手を取って支えた。
「だ、大丈夫ですか?」
思わず声をかけた俺に申し訳なさそうに笑った彼女。
「すみません!大丈夫です。ありがとうございました。」
…目が離せなかった。
なんて綺麗な人なんだろう。
いわゆる一目惚れというやつだ。
俺が彼女を助けたんだ!
ありがとうって笑ってくれたぞ!
…それだけで俺が彼女を愛するには充分すぎる程だった。
その日から俺は毎日彼女を探して歩いた。
何度も何度も歩道橋を渡り、あの日と同じ時間帯に出会った場所をうろついた。
それから数ヶ月経った頃。
また歩道橋を歩く彼女を見つけた。
…しかし今度は傍らに男が付いていて、二人はしっかり手を繋ぎあっていた。
男に微笑みかける彼女は天使のようで、何故その笑顔を向けられているのが俺じゃないのか納得がいかなかった。
彼女は少し脚を引きずって歩いていて、男が隣で支えているようだった。
時折聞こえる二人の笑い声。
イラついて歯がギリギリと音を立てる程に力が入る。
「…許せない。そこは俺の場所だ!」
コッソリ後をつけ、二人がマンションに入って行く所を見届けた。
それからは彼女の生活パターンを知るためにマンションの前でひたすら待ち伏せを繰り返した。
一度、偶然を装って声をかけた。
「やぁ!久しぶり…。」
緊張から声がうわずっているのが自分でも分かった。
あぁ。情けない…。
すると君は申し訳なさそうに言った。
「…あの、ごめんなさい。どちら様ですか?すみません。何処かでお会いしましたか?」と困惑した顔で言うのだ。
「えっ?覚えてませんか?この間、歩道橋で…。」
「え、歩道橋…?あ。あの時助けて下さった方ですか?…ごめんなさい!覚えてなくて。」
「いえいえ。全然大丈夫です!むしろすいません…。じゃあ、失礼しますっ!」
俺はいたたまれなくなってその場を逃げるように後にした。
彼女は覚えてなかった!!
俺の事なんて何とも思ってなかったんだ!
俺はその事実がショックで受け入れられなかった。
だってありがとうって笑いかけたじゃないか。
アレは俺に好意があったからだろう?
女性とお付き合いした事もなく、話す事すらまともに出来ずに大人になってしまった俺には分からなかった。
女性が微笑みかけるのは好きな人にだけでそれが当たり前だと本気で思っていた。
今になって思うと相当拗らせていた。
その後、俺は追いかけていた通行人に取り押さえられそのまま警察に引き渡された。
殺人未遂の現行犯。
…人生詰んだな。
でも、彼女が俺のモノにならないならこんな人生もういらない。
さっさと死んでしまおう。
俺の人生ってなんだったんだろうな…。
なんで俺ばっかり。
「…駄目だ。」
病院へ搬送される最中もずっとずっと彼の名前を呼び続けた。
「お願い!助かって…!」
血に染まった手で彼の手を強く握りしめていた。
「…ねぇ?聴こえる?」
ベッドで眠り続けている彼に話しかける。
命に別状はないが意識が戻るか微妙だとお医者さんに言われた。私に出来る事は、毎日彼の手を握って話しかける事だった。
あの事件から一週間。
まだ彼の目が開く事はない。
「今日はすごく良いお天気なのよ。窓を開けて風を入れましょうね。」
暖かい風が部屋へ入り、ふわりとレースのカーテンを静かに揺らした。
変わらずに眠り続ける彼を見ていたら、不意に涙が溢れた。
「…ごめんなさい。私のせいで。」
彼の手を両手で握った。
溢れる涙を止められず、彼の手に涙が零れた…。
その時。
「…あぁ、君が助けてくれたのか。ありがとう。」
久しぶりに聴く彼の声は酷くしゃがれていて上手く聞き取れなかった。
けれど、私は泣きながら彼に向かって微笑んだ。