表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

勇者に見捨てられた僕を慰めてくれたのは、未開の地に住まう少女でした。

作者: 北都

「逃げるべきだカイン!」

「黙れ、アベル! 勇者に敗北はない!」


 アベルの忠告もカインの耳には届かなかった。

 カインは剣を大きく振りかぶり、敵をめがけ突進する。


「うぉぉぉ!」


 咆哮もむなしく、突進はいとも簡単に阻まれた。

 カインはまたしても地面に転がることになった。


「なぜだ……! なぜ僕が、こんな相手に負ける!」


 カインが憤るには理由があった。

 幼い頃より卓越した剣術と、見るだけで人を惑わす、とまで称された美貌を持つカイン。

 数々の魔物を葬り、国中に名をとどろかせ、国を救済するとまでいわれた勇者。

 敵無しと謳われていたカインは、目の前にいる年端もいかない少女一人に、叩きのめされていた。


 叩きのめされていたのはカインだけではない。

 勇者のパーティーである戦斧の戦士スタンピード。英知の魔女カタリナ。

 彼らも勇者に負けないほどの伝説を築き上げてきた。

 しかし、彼らもカインと同じように、たった一人の少女に手も足も出ず、地面にひれ伏していた。


「行っくよー」


 陽気な声をあげた褐色肌の少女が大地を蹴った。

 肩まで伸びた髪をなびかせ、へそを出した露出の多い服を身につけた小柄な少女が疾走する。

 飛ぶように走ったかと思えば、片手に持っていた剣が横に薙払われる。

 カインの首を正確に狙った刃は、硬質な音を立ててはじかれた。

 彼女は動じることもなく、アベルを見て笑った。


「やるね。君」


 魔法障壁。

 相手の魔法や攻撃を阻む、アベル自慢の魔法だった。

 アベルは飛行の魔法を自分にかけ、飛びながら彼女に肉薄する。


「ちょ、ちょっと近いって」


――思った通りだ。

 先ほどから彼女は、アベルが接近するたびに身を遠ざけようとする。

 きっと彼女が持つ長剣では、懐に入られると戦いにくいのだろう。


 それに対してアベルは魔術師。

 懐に入ってしまいさえすれば、攻撃の手段はいくらでもある。

 だが、魔法によって強化された肉体を駆使しているにも関わらず、彼女を攻撃するどころか、掴むことすら出来ずにいる。


「……ルビーだけじゃなくて、私も見て?」


 褐色の少女。ルビーと呼ばれた少女とアベルの間を分断するように、地面を走る幾つもの氷柱。


 突然現れた青色の髪をした少女がアベルを見ていた。背丈から察するに、年齢はルビーと同い年なのだろう。

 小柄な少女が、身にまとうのは肩を出したドレス。魔術の余波でスカートの裾がふわりと舞った。


「……君、強いね。ルビーがそこまで苦戦するなんて。……エンベリウムも捨てたものじゃないのかな」

「もう、マリン。邪魔しないでってばぁ。良いところだったでしょ!」


 魔術と科学の国エンベリウム。

 母国では、魔術を扱うために必要といわれるマナが枯渇寸前だった。

 そこで、アベルは勇者と共にマナが芳醇にあるといわれる未踏の大地に、王の許可も無しに乗り込んだのだ。

 その結果、マナを手に入れるどころか、現れた少女一人、満足に倒せない。

 逃げるという言葉に、カインが耳を貸さない理由は、そういうことだった。


 マリンがアベルに手のひらを向ける。

 放たれた三つの氷柱を、炎の魔法で溶かす。

 眠たげに細めていた目が見開かれた。


「……炎の魔術も使えるの?」


 マリンの質問に答える余裕はなかった。

 考えられるだけの手を尽くし、今のうちに彼女たちを倒さなければならない。

 アベルは力任せに魔力を放ち、マリンに叩きつけた。


「んっ!?」

「マリン!」


 苦痛に顔を歪めるマリン。

 命を奪うつもりはなかった。ただ、しばらくの間動けない状態に出来れば良かったのだ。

 しかし、格上の相手に対して加減をしてしまった代償は、すぐに払うことになった。

 アベルの体が、見えない力に押され、横合いから吹っ飛ばされる。


「何を遊んでいるのです」

「苦戦してるみたいだから助けにきたよー」


 岩窟の奥から姿を現したのは二人の女性。

 一人は緑色の髪をした女性。

 ゆったりとした口調でしゃべる大柄な彼女だった。

 もう一人は紫色の髪をした女性。

 体のラインを強調するような扇情的な服を身につけていた。

 先に現れた少女達と比較すると、体格の良さとと体内に秘める魔力の高さは、彼女達の方が勝っているようだ。


 絶望的だ。

 彼女たちの出現で数の有利は、なくなった。

 そして実力差では、こちら側が遙かに劣っている。


「エメル、プル。まだ早いってば」


 ルビーは口を尖らせながら、腰に手をあてる。


「そういわないでよー。見てるだけは退屈なの」


 エメルと呼ばれた緑色の髪をした女性はのほほんとした表情で、ルビーをあやすように頭を撫でた。


「もう、子供じゃないってば」

「似たようなものー」


 文句も笑顔でさらっと受け流すエメル。


「君もーそうは思わない?」


 エメルは笑みを絶やさず、こちらをちらりと見た。

 心なしか、アベルだけに語りかけているようにも見える。


「彼女たちを相手にして、よく持ちこたえましたね」


 プルは肩までのびた髪をふわりと払った。

 そして、かけていた眼鏡の位置を直すと、優しく微笑んだ。


「ですが、私はあの二人のように甘くはありません。私が加減をしていて勝てる相手に見えますか」


 加減という言葉にぴくりと反応して見せたルビーとマリン。


「加減って、手加減していたの君!」


 ルビーはアベルをびしっと指を指すと頬を膨らませた。


「……侮辱された」


 じと目でアベルをにらむマリン。

 本気で怒っているようにも見えないが、不機嫌なのは間違いない。

 子供の悪戯をしかるお姉さんのような、なぜかそんな風にも見えたのだ。


「お黙りなさい」


 ぶーぶーと文句を言う二人を黙らせたのは、プルの一喝だった。

 再び、ぴくりと体を振るわせる二人。


「加減をされて文句があるならば、まずは己の実力を磨きなさい。侮辱というならば、まずは彼をより強くなりなさい。それが出来ないのに、文句を言わない」


 プルの語気は迫力があった。

 その圧力に気圧されて、口を噤んでいたルビーとマリン。

 反省する彼女達を、プルが勝ち誇ったように鼻で笑って見せた。

 すると、ルビーとマリンは、だだをこねる子供のように騒ぎ始めた。


「騒がしくて申し訳ありません」


 プルは騒ぐ二人を無視し、丁重に頭をさげた。

 彼女の目はカイン、スタンピード、カタリナを無視し、アベルだけを見ていた。


「お前らは、なんなんだ!」


 突如、カインが吠えた。剣を杖代わりにして、なんとか立ち上がった。


「俺は、母国を救う英雄だ。こんなところで……」

「言葉と行動は釣り合ってこそ意味がある。虚言をふりかざすだけの英雄に興味がありません。それに」


 プルは、カインの言葉を遮っただけでなく、見下すような目を向けた。


「子鹿のように震える貴方に何が出来ますか?」

「ふざけるなぁぁぁあああ!」


 ぞんざいな態度に激高したカインはプルをめがけて、走り出した。

 それを阻むのはルビー。


「懲りないねぇ、アンタも」

「カタリナ! スタンピード!」

「マリン、エメル! そっちは任せたからね」


 その直後、身を震わすほどの衝撃が三度走った。

 プルがゆっくりとアベルの方へ近づいてきた。


「さあ、私たちも始めましょうか」


◇◇◇


 勇者であるカインは精霊より授けられた精霊王の剣を装備していた。

 周囲にあるマナを吸収し、凝縮させたマナの刃に切れないものはない。

 しかし、マナの刃が発動しないことに戸惑うカイン。


――ギアが壊れているのか!


 ギア。

 マナを吸収する為に、武器に装着された装置。 これを起動させることで、装置に組み込まれた歯車が回転し、周囲にあるマナを強制的に吸収するのだ。

 仲間の二人をみても、動きがどこかぎこちない。

 普段通り戦うことが出来ているのは、アベルだけだった。

 カインは舌打ちをした。


――なぜ、アイツだけ戦うことが出来るんだ!


 アベルは、何故かギアを使うことを頑なに拒んでいた。


――人ではないからな


 カインはそう結論づけていた。

 アベルは、ホムンクルス。魔術と科学の結晶として生まれ、人と同じように成長する人造人形。

 出で立ちのせいで、幼い頃より好奇の目を向けられてばかりのアベル。

 そんな彼を助けてたのはカインだった。

 しかし、その見返りとしてアベルに求めたのは服従だった。


 アベルの魔術士としての才能に関しては、右にでる者は存在しなかった。特に、扱う魔術は強力なものが多かったのだ。

 それ故、マナの消費が桁違いであり、ギアを扱う三人は十分なマナを吸収出来なかった。

 本来の力を発揮することが出来ず、苛立ちを覚えたカインは、パーティーを結成した頃、アベルに一つの首輪をつけた。

 マナの吸収を制限する装置を。


「なぜだ、なぜ精霊の力が使えない」


 ルビーの長剣が、カインの剣に叩きつけられた。


「あんた、さっさとあきらめなさいよ。勝てる訳ないでしょ、そんな玩具で」

「勇者にしか使えない精霊王の剣の力を…!?」

「はいはい、そういうのいいから」


 ルビーは勇者に一太刀振るう暇すら与えず、流れるような剣裁きで、カインを圧倒し続けた。


「くっ、白きマナよ!!」


 ギアが音を立てて回転を始めた。


「やめろっつんてでしょうが」


 今まで快活に喋っていたルビーが、声のトーンを一つ落とした。

 ただそれだけのこと。

 それだけのことが、勇者の背筋を振るわせた。

 次の瞬間、カインはルビーの太刀筋に反応できず、吹き飛ばされた。


◇◇◇


「何なのよ、あんた。ギアも使っていないくせに、こんな大魔法を連発するなんて」


 視界を埋め尽くすほどの火炎を迸らせるカタリナ。

 しかし、マリン手を一振りするだけで、炎の全てが瞬く間に炎がかき消えた。


「……その程度?」

「ふっざけるなぁ!」


 カタリナはギアを急激に回転させ、周囲のマナを吸い上げていく。

 いくら魔法を放たれようと、表情一つ変えなかったマリンの眉がぴくりと動いた。


「……それ、嫌い」


 何かを指ではじいたマリン。

 歯車が軋むような音をたてた。

 ギアをのぞき見るカタリナ。

 歯車に挟まっていのは小粒の氷だった。


「なっ!」

「……つまんない」


 カタリナの足下から沸き上がる水流。

 叩きつけるような激流がカタリナを飲み込んだ。


◇◇◇


「むぅ!?」


 糸目の大男、スタンピードの戦斧が空を切った。

 肩で息をするスタンピードの疲労は限界を超えていた。

 当初はギアを回転させ、相手を圧倒する予定だった。

 しかし、エメルはギアの発動を許さなかった。 強引に発動させようものなら、即座にカウンターを放ってきた。

 急所をねらう的確な攻撃は、素手とはいえ着実にダメージを蓄積させていた。

 スタンピードは、武器を振り上げるだけなのに、顔を苦痛で歪ませていた。


「ねえ、おじさん脂汗が浮かんでるぞ。やめたからどうかなーって思うけど」

「ふん!」


 攻撃した回数は覚えていない。

 いくら攻撃しようが、紙一重でかわすエメルの動体視力の良さに、スタンピードの心は折れはじめていた。

 ギアを使っていたとしても互角で戦えていたかどうかも怪しいほど、レベルの差を肌で感じていた。


――一回り以上年が離れているにも関わらず、手玉に取られるとは。


 武器に振り回され、スタンピードの体が泳いだ。


「飽きたから、もうお終いなー」


 たった一撃の蹴りで、スタンピードの巨体は宙を舞っていた。


◇◇◇


「……! なかなかやりますね。貴方」


 アベルは何も答えず、間髪入れず手に集中させたマナを衝撃波に変えて、プルにぶつけた。


「喋らないんですね。おしゃべりは嫌いですか」


 障壁を張り、攻撃を受け流すアベルはプルをきっ、と睨んだ。


「……失礼。戦いに水を差すつもりはありませんでした。貴方と同じレベルの方が、あと三人いれば私達も危ないところでした。ですが貴方一人ではどうにもなりませんよ」

「そういうお姉さんも、とても強いですよ」

「お姉さん……」


 プルは、体を振るわせた。

 アベルは、これ以上戦いを長引かせるのはまずいと考えていた。

 先ほどから周囲で戦闘するプルの仲間達が、ちらちらと、こちらを見ていることに、アベルは気がついている。

 パーティーを気遣うように、支え合うような仲間の絆。

 そんなものをパーティーを組んでから一度も感じたことのないアベルは、羨ましくて仕方がなかった。


「それに攻撃か優しい。いえ、生ぬるいといった方が適切ですね。加減しているようじゃ、私には勝てませんよ。戦いには向いていないのでは」

「そういう貴方も、加減してくれていますよね。お互い様じゃないですか?」

「敵として出会ってしまったのが、惜しい。いいお友達になれた気がします」

「奇遇ですね。僕もですよ、お姉さん」


 プルは顔を紅潮させ、体をぴくりと震わせた。


――今だ!


 アベルの両手には集中させたマナ。

 衝撃波の二連打は、彼女の障壁を破り、プルを遙か後方へと吹っ飛ばした。


「カイン!」


 アベルの後ろには、倒れた三人の仲間。

 アベルの前には、ルビー、マリン、エメルが立っていた。


「プルは?」

「……さっき吹っ飛ばされてたよ」

「あっははは、面白いねー」

「私は全然面白くありませんけど」


 吹き飛ばしたばかりのプルは、服についたほこりを叩き落としながら、眼鏡をくいっとあげた。


「素晴らしい腕前ですね」


 横並びになった四人から立ちのぼる魔力の奔流。


「ですが、まだまだです」


 その異常なマナの量を感じ取ったカタリナが、歯を鳴らしながら呟いた。


「うそでしょ……」


 今まで経験したことのないほどのマナの圧力に、アベルをのぞく三人は震えるしか出来ない。

 立ち上がる気力も、逃げ出す気力も残されていなかった。

 四人から放たれた魔術は、混ざり合い光の槍と化した。それはアベルのマナの刃とよく似ていた。

 アベルは、カイン達の前で仁王立ちになると、両手を前に突き出した。

 ぶつかりあう槍と障壁はまばゆい光彩を放つ。

 アベルは障壁の形状を変形させ、光の槍を反らしてみせた。


「まじで?」


 その光景に、魔術を反らされた事実に、驚愕する四人。


「アベル、もう一度障壁を張れるか」

「はぁはぁ……。後、一度、くらいなら」

「よし、アベル。君にかけられた呪いを今はずそう」


 アベルは、不意に背中に走った衝撃に体を震わせた。

 その切っ先は、アベルの体を貫き、胸から姿を現してた。


 背後から剣で貫かれた。


 アベルは、自分の身に起きた出来事を、しばらく間、理解が出来ずに両手を前に出したまま立ち尽くしていた。


「理解してもらえるだろう。アベル。君が使う魔術はマナの消費が多いんだ。だから、俺は、それをそこにつけたのさ」


 魔術に使うマナの量を制御するための装置を体に取り付ける。

 人造人間ならではの発想だった。

 首輪と称された装置は、アベルの体の中心にある核にとりつけられていた。


「なっ、なんで……!?」


 質問に答えてもらうことはできなかった。

 アベルが振り返る間に、三人の体は光に包まれた消え去っていた。

 カタリナの転送魔術。

 アベルをのぞいて発動されたそれは、三人を今頃母国へと送り届けているだろう。障壁を張っている隙に、三人は窮地を脱したのだ。


「なるほどねー。つまり彼は囮ってことかなぁ。こざかしいことするよね」


 ルビーは、つまらなそうに足下にある小石を蹴った。


「……あの障壁はギアの力を拒絶するみたい。範囲に入らなかっただけじゃないの?」

「違うかなー。あの三人。この子が見てないところで、しょっちゅう目配せしてたし、見捨てる気まんまんだったねー」


 マリンとエメルは、冷静に己の考えを述べていた。


「憶測でものを言うのはやめなさい。この子が敵地で只一人残された。それだけよ」


 プルは、リーダーのように三人を仕切っていた。

 アベルを取り囲む四人。

 逃げる隙は、なかった。


――見捨てられた。


 そう思うだけで、アベルの目から涙がこぼれそうになっていた。


――情けない話だ。


 マナを循環させ、制御する核。

 人であれば、それは心臓に相当する。つまり心臓を破壊されたアベルの命は、今まさに燃え尽きようとしていた。

 死ぬのも問題だが、それ以上に問題なのは体内に残された魔力が制御を失い、暴走を始めていることだった。


「離れて、貰えませんか」


 振り絞るような声だった。

 暴走をこのままにしておけば、身の回り一帯を吹き飛ばすことになる。

 だが、アベルは自爆するつもりはなかった。

 このまま死ぬのは納得できないと、アベルは悔しそうに唇を噛んだ。


 アベルは体内に残る全てのマナをかき集め、暴走する核に押し当てた。

 相殺できるかは賭だった。

 だが、こちらの都合で彼女達を巻き込む訳にはいかない。


――捨て石のように扱われた僕を哀れんでくれる、心優しい彼女達を。


 だが、彼女たちは逃げようとしなかった。

 それどころか平然とした顔で、アベルを見つめていた。

 一歩前に出てきたのは青色の髪をしたマリンだった。

 出遅れた三人は、なぜか顔をしかめていた。


「……よしよし、いい子、いい子」


 それは、泣きやまない子をあやす親のように慈愛に満ちた声だった。

 暴走する核が、どくどくと脈動した。

 アベルの核はすでに壊れている。ただの気のせいかもしれないが、胸の中で強く打った気がしたのだ。

 

 勇者に見捨てられた僕を慰めてくれたのは、未踏の地に住まう少女でした。

 

 再び四つマナの奔流が沸き昇った。

 彼女たちの周りを漂う四つのマナ。

 膨大な三つのマナが手から手へ。

 それらの全てがマリンに手渡された。

 手のひらに収まるほど凝縮されたマナが、アベルの胸に押し当てられる。

 すると、アベルの体に穿たれた穴が、修復されていった。

 暴走していた核は、落ち着きを取り戻す。


「何で……?」

「私達のマナで貴方の体を満たしてあげたの。感謝してよね」


 ルビーは、アベルにを温かな眼差しを向ける。


「……もう大丈夫だから」


 マリンはアベルの側を離れようとせず、細い指先で涙を拭いそっと手を握ってくれた。


「貴方が見せてくれた魔術、そしてマナの扱いは私達とよく似ていました。助けた理由が必要ならば、そういうことにしておいてください」


 プルは口元に笑みを浮かべている。


「私達はねー。マナと共生しているの。マナと助け合っているのよねー」

「共生?」

「そう、強制じゃなくてー共生よ。私達はマナと共生する民族で、マナを大事にしているの。だから沢山のマナが、私達に力を貸してくれるの。君は知らないかもだけど、君の周りに漂うマナも君に沢山、力を貸してくれていたよ」


 エメルは頭の後ろで手を組んだ。


「勇者……だっけ? あいつらは駄目ー。マナを強制してばかり。だから力を貸して貰えないの」


 落ちていた精霊王の剣を見つけたルビーは、それを拾い上げ、マナを吸収するギアに触れた。


「これが回転して、周りに存在するマナを集めてたのね。よく考えるわ」


 剣をぞんざいな手つきで地面に放り投げたルビー。

 ルビーがそのまま踏みつけると剣は中腹から折れた。


 プルが眼鏡をくいっとあげた。


「皆、話すのは後にしましょう」

「そうそう、アベル君を休ませるのが先だよー」


 エメルの手がアベルの肩に触れようとした時、マリンが雑に払いのけた。


「ケチー」


 エメルは口をとがらせて、ぶーぶーと文句を垂れていた。

 勇者にかけられた呪いに震える夜は二度とこない。その事実にアベルは大きなため息をついた。

 アベルは自分に向けられる優しい眼差しに、心から安らぎを覚えた。

 包みこんでくれる握られた手が、とても温かかった。


「……疲れたでしょう。今は、おやすみなさい。一緒に寝た後は、ご飯も一緒に食べようね」


 ふと気にかかる部分もあったが、微笑むマリンの目に意識が吸い込まれていく。

 アベルの髪を優しく撫でるマリン。

 アベルに両親も、兄姉もいない。

 幼い頃から住んでいた孤児院で、言われたことを思い出していた。


「アベル兄ちゃんの手は温かい」


 子供達に言われた時はよく分からなかったが、撫でられる身になって理解することが出来た。

 日溜まりのような安堵を覚えたアベルは、意識を手放した。


◇◇◇


「寝た?」


 ルビーが、あどけない顔で眠るアベルの顔をのぞき込んだ。

 ルビーは、アベルの頬に触ろうと指をおそるおそる伸ばしたが、マリンに阻まれてしまった。


「何で邪魔するのよ!?」

「……彼に最初に触れたのは、私。つまり彼は私のもの」

「えぇー!? それなら最初に戦った私のものになるでしょう。それに、アベル君は私に触れようと何度も手を伸ばしてきたんだよ。唇が触れちゃうんじゃないかって思うほど、顔も近くに……」


 ルビーは火照る頬を両手でおさえ、思いにふけっていた。


「でれでれだねー」

「……関係ない、早い者勝ち。それが私達のルール。私も彼に、恥ずかしい声を聞かれてしまった。付き合うしかない」


 マリンは自分の胸にアベルの顔をおしつけるような形で抱き寄せた。

 そこからは、誰にも触れさせないという確固たる意志をのぞかせた。


「それに、サキュバスが男の涙に触れたなら、その男の妻となる。そういう格言もある」

「マリンは以外と古風だねー」


 エメルの言葉に、マリンは首を縦に振った。


「……そう、私は古風。旦那を支え、支えられ、共に苦労を乗り越えていくタイプ。プルみたいに、お姉さんと呼ばせて喜ぶ変態とは違う」

「いい度胸ですね。私が、そんな変態に見えますか」

「見えるって言うか、実際に喜んでたじゃない」


 ルビーの指摘に、プルは体を震わせた。


「気のせいですよ」

「嘘だね。そのせいで、吹っ飛ばされていたの私は見ていたからね」

「仕方がないじゃない! 彼みたいな優良物件がそうそう巡ってこないのよ! 必死になってもいいじゃない! 出来るなら、お姉さんではなく、お姉ちゃんと呼んでもらいたかった」


 必死に弁明するプルを、マリンは氷のように冷めた目で見ていた。


「……煩悩まみれ。やはり彼は私の側にいるべき」 

「サキュバスが煩悩まみれで何が悪い!」

「そんなことよりー。彼を早く街まで運ばないと、風邪引いちゃうよー」

「……その通りです。プルを相手にしてる場合ではありませんでした」 

「マリン、後で覚えておきなさい」

「ねぇ、やっぱりアベル君に、後できちんと選んでもらおうよ」

「そうだ、そうだー。ふこーへいだー。私もアベル君と話したいぞー」


 不公平だと騒ぐルビーを、煽るのはエメルだった。


◇◇◇


 未開の地。

 そこは昔、楽園と呼ばれていた。

 楽園にたどり着くには、いくつもの困難を乗り越えなければならない。

 それでも楽園を目指す者は絶えなかった。

 しばらくすると、一人また一人と楽園に移住を始めた。

 屈強な騎士、公明な魔術師。

 国を代表する優秀な人材が多く流出していくことに危機感を覚えた王は、楽園の出入りを禁止した。

 楽園を知る人は語る。

 あそこは多くのサキュバスが住まう楽園だと。

 それ故、転送魔術が発達したと熱弁する者もいた。

 恍惚とした顔で、サキュバスランドだと語る者もいた。


 自分の所有権を巡り、騒動が起きていることなど眠りにつくアベルが知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ