第1話 愛花はお玉なFカップ
ようこそいらっしゃいました。
お目を通していただけるだけで、幸せです。
駿くんとFカップ愛花さんの下宿生活から、色々なことが起きます。
どうぞ、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
いすみ 静江
「おっ玉で、おっ玉で、キンコンカーン! はーい。下宿屋佐原荘ラブリーお夕飯ですよ」
気配で分かる。背後からやってくるんだ。ビビッドピンクのエプロンにハッピーの文字が、ぷるるんと迫ってくる。一足、二足。そして、目隠しだ……。
二階の廊下に射し込む夕陽が消えてなくなった。けれども、か細い指の隙間から幾分かは明るくなる。いつも通りの裸エプロンだよ。俺はどうしたらいいんだ。裸エプロン、裸エプロン。もう! 妄想するだろうが。
「出たよ。佐原愛花さん」
俺は、さっとあしらうつもりだったが、そうもいかないらしい。
キミが後ろから抱きついているのは、バストで分かる。だって、Fカップなんだもの……。こんなに巨乳を押し付けられては、無視はできないな。
今は、お目目キラキラモードなんだろう? オレンジの輝きが瞳に宿っているのだろうな。例の、あのモードでないのは確かだ。
「いやん。ぷう。愛花って呼んでよ。皆月駿くん」
「恥ずかしいから、勘弁してください。佐原愛花さん」
目隠しを外そうとするが、お玉から何やら雫が出ている。何を拵えていたのだろうか?
「おっ玉で、おっ玉で、はい! 駿くん」
「おっと、佐原さん。その手には乗りませんよ」
「えー。いけず。しかも、愛花も呼んでくれないの?」
「呼べませんよ。参ったなあ」
かわい子ぶったってダメだよ。ひっつき虫はしつこいですね。
「佐原さん……。困ります」
「ぷう」
やっと離れてくれて、ほっとした。その途端に、佐原さんが、始めちゃったよ。モーションはかなりスローだったね。お玉を振りかざしてーの、きたっ。
「愛花ちゃんの! おっ玉フリフリー、投げキッス!」
「嫌だ!」
バシッと掌をラケットにしたよ。俺も毎度のことだ。佐原荘にきてからな。
「お玉フリフリ投げキッス弾かないでよ」
このお玉でのお呼び出しと投げキッスに、俺は、翻弄されている。そもそも、女性が苦手なんだよ。なのに、この佐原愛花さんだけは、俺にベタベタだ。
「分かった、キッチンへ行くよ」
出窓に小瓶があって、綺麗に飾ってある。佐原さんからは想像がつかないくらい繊細な色合いだと悩んでしまう。
ここは、弘前城の城下町だったんだろうな。坂のキツイところを上がったてっぺんに、我が『佐原荘』がある。
俺の部屋は、二階。二〇二号室だ。隣の部屋は、二〇一号室になるのだけれども、チューリップの香りがする女子の部屋だ。何故かって、佐原さんが空き部屋使用中さ。
「愛花、カレーライス、まだ?」
「はーい。お父さん」
お父さんの前だよな。そりゃあ、素早い。さっと真っ白なシャツに袖を通す。
そうだ、俺のだ。お、お玉を振り回していたな。それって、カレーのお玉だったのか? 俺のとっておきの猫シャツが、黄色くならないか? 胸元を確認すると、何もついていない。
「佐原さん。カレーのお玉ではないの?」
「これ? お味噌汁のよ。それに洗ってあるって」
このキッチンでは、佐原愛花さんとそのお父さんの玲祐さん、俺の分。そして、陰膳を出窓を後ろにした席に毎日置いている。この出窓の主について訊きたくなっても、無粋な感じがして、踏み出せないままだ。優柔不断な俺ってヤツは、限りなくいるな。
「あれだね。もう慣れたけれども、こっちではカレーライスだろうがスパゲッティだろうが、お味噌汁を出してくれるんだね」
「んんー? んんん?」
カレーライスをほおばっている彼女は、日本語が総崩れだ。
「これ、愛花。飲み込んでからにしなさい」
「んん」
干瓢のお味噌汁で流し込む。この干瓢は、俺が春先に里帰りした際のお土産だ。宇都宮で、暫く、弘前第一大学のことは忘れていた。お味噌汁が沁みる。俺は、今年卒業なんだ。そのこと、彼女は分かっているのか。
◇◇◇
「ご馳走さまでした。美味しかった」
俺も勿論、食器を洗う。佐原さんが主婦湿疹とも呼ばれる手荒れになりやすいので、俺が洗う係で、彼女が拭く係だ。たまにお父さんが、しまう係を黙ってしてくれる。
ここまではいい。ここまでは。
美少女モードラブラブーなキラキラお目目なのだろう。これからだ。
「本当に美味しかったですか? カレーライス」
「甘口ながら、スパイシーでいい塩梅にとろけている具、言うことなしじゃないか」
佐原さんの目が……。目が!
「美味しかったなんて、嘘ですよね? 干瓢のお味噌汁も美味しくありません」
「それは、夢の料理研究家さんと比べているからだよ」
佐原さんの目が、餃子になっている……! 餃子みたいに、つり上がって怖い目つきになっているじゃないか! 出たよ、イカリーモード。
「ええ、確かに。私のカレーライスは、美味しくありませんでしたよ」
彼女が軋んでいる。人間なのに、餃子の目になったり、マネキンみたいにギシギシと動いたり。おもむろに、お玉をかざす。ゆっくりと、ピンクのお玉は弧を描く。
「三日月斬り!」
ああ、俺の下宿先のシンデレラは、パッションが激しいなりよ。とほほ。
それでも、佐原さんは俺にべったべたなんだよな。
――お玉は正しく使ってください。