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始まり

 新緑の芽吹いた街路樹が、窓の外を過ぎてゆく。その様子を二海藤 穂花にかいどう ほのかはバスの中からぼんやりと眺めていた。


 兄さん、帰ってくるかしら。穂花の頭の中はその事でいっぱいだった。兄のことを想う時、真っ先に思い出されるのは、彼と最後に会った日のこと。

  6年前、兄が訓練所に行った日のことは今でも覚えている。当時、唯一の肉親だった兄がいなくなると知った十歳の私は、それは酷く当たった。


「兄さんも私を置いてくんでしょ!」


 目を真っ赤に腫らしながらいう私に、兄は困ったような笑みを浮かべていたっけ。去っていく兄の背中に、私はいくつもの罵声を浴びせたが二度と彼が振り向くことはなかった。今でこそ遠き日の思い出になっているが、幼い私にとっては軽くトラウマだった。

 膝の上に置いたバッグから一枚の封筒を取り出す。消印はちょうど今から三年前の3月31日を示していた。

 中にはこう書かれている。




 拝啓 穂花へ


  元気にしてるか。


  散々手紙を送ってもらったのに返事をしてやれなくてすまなかった。


  今更だがもっと手紙を送るべきだったと少し後悔している。


  さて、この手紙が届いている頃にはもう、“最終試験” が始まっているだろう。


  穂花が聞いているように、この試験の突破率はかなり低い。穂花が不安に思うのも当然だ。


  けどな、俺は必ず生きて帰ってくると約束する。


  幼いお前を一人残していくなんてことはしない。


  だから三年後、穂花の成長した姿を見れるのを楽しみに待っている。


  親父にも宜しく伝えといてくれ。


  圭より


  P.S. もし、仮に俺に何かあったら星井 聡という男を探してくれ。穂花の力になってくれるはずだ。




 兄らしい簡潔な文章だった。本音を言えば、長ったらしくてもいいからもっと書いて欲しかったのだけど。

 今日は2019年3月31日。生きているならば兄が帰ってくる日だ。兄は無事に試験を終えたのだろうか、それとも──。

 胸に一抹の不安を残しながら、穂花は待ち合わせ場所の空港へと向かって行く。


 胸の内の不安とは対照的に、空は限りなく蒼く澄んでいた。



 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



 S県T市、10,000メートル上空。東の空に昇る暖かな陽射しを背に、彼らを乗せた輸送機が飛んでいた。


「降下十分前! 」


 プロペラの駆動音をかき消す程の大音量で教官が怒鳴り込む。それまで談笑で騒ぎ立っていた機内も、幾分か静かになった。


「ケイ、いよいよだね」


「ああ」


 向かいの席に座る少年、星井 聡に圭は答える。俺達は実技戦闘試験、通称“最終試験”と呼ばれるものを目前に控えていた。


「ケイは訓練所で交わした約束、忘れてないよね」


「当たり前だろ」


 忘れるはずがない。──ここから生きて帰ること──それは胸の奥深くにしっかりと刻み込まれている。


「ケイ、見ろよ」


 そう言いながら窓の外を指すのは獅子上 裕哉ししがみ ゆうや。ついさっき知り合ったばかりなのだが、まるで旧知の仲のごとく話し掛けてくる。気さくな奴だが正直なところ鬱陶しかった。


「何だよ」


 言われるがままに、窓の外を覗き込む。眼下には雲海が、スカイラインの彼方まで広がっていた。遠くにはポツリと浮かぶ島のように山々が顔を覗かしている。


「な、凄いだろ」


 表情に出ていたのだろうか。圭の心を見透かした裕哉の顔は自慢げだった。しかし、彼の言う通りである。圭はその雄大な光景に圧倒されていた。


 しばらく見惚れていると雲の合間から下に街が広がっているのが見えた。

 戦闘区域10-A、圭たちの最終試験会場だ。広さは120?にも及び、周囲を高さ10mの壁が取り囲んでいる。さらに町の周りには5kmの田畑が広がっており、訓練所で小耳にした話では、地雷原になっているとのことだった。刑務所顔負けだ。

 もちろん以前はれっきとした街だった。だがそれも10年前の話。“プログラム”が施行されるようになって住人は追い出された。当時は国と住人の間でかなり揉めたらしい。国は破格の金額を提示して丸め込んだらしいが、黒い噂は絶えなかった。今でも区域の外側ではデモが起こっている。


 なんて顔も知らない人たちに思いを馳せていた俺は「降下七分前! 」と言う教官の声で気を取り直す。裕哉は相変わらず窓の外を眺めていた。

 目の前の聡に目を遣る。先程まで約束云々と言っていた態度とは一変して聡は自信なさげに俯いていた。


「緊張してるのか? 」


 少し嘲笑うような態度で尋ねる。普段なら反抗してくるのだがこの時は様子が違った。


「見てよこの手」


 聡が目の前に腕を伸ばす。促されて彼の腕を見やると、小さくだが震えているのが分かった。


「僕はね、ビビってる」


 裕哉はまだ窓の外を見て恍惚とした顔を浮かべていた。裕哉の奥に座ってるやつも、これまた聡の隣に座ってるやつと他愛のない話をして笑っていた。

 周りとの空気の差に、まるで俺達だけが別の空間にいるように感じた。


「大丈夫だって、お前の頭の良さなら十分やってけるよ」


 俺は心にもないことを口にする。


「大陸にいたケイならわかるはずだよ、そんなの意味がないって」


 聡は食い下がった。ああ、その通りだ。お前の頭の良さなんて戦場では通用しない。なんて言葉が喉元まで出かかる。今日の聡はいつにもなく弱気を見せていた。下手にここで冗談を言っては本気で受け取りかねない。


「落ち着けって、今そんなこと考えたってしょうがないだろ」


 聡はそれ以上聞こうとしなかった。

 これでフォローになったのだろうか。そんな不安が頭をよぎったが深くは考えなかった。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「降下六分前、減圧を開始! 総員降下態勢に入れ!」


 教官の合図で皆が一斉に立ち上がる。機内からはもう話し声はしなかった。

 準備を終えた俺は相変わらず窓に張り付いてる裕哉を引き剥がし、後ろに並ばせた。


 ついでに悟られないように隣に並ぶ聡を一瞥する。既に降下用のマスクを着けていて彼の表情までは分からなかったが、先程まで見せていた気弱な態度とは一変して、テキパキと準備を進めていた。よく分からない奴だ。


「兄さんには私の気持ちなんか分からない! 」


 いつだか妹に言われた言葉が頭の中をよぎった。


「降下三分前! 」


 後部ハッチがゆっくりと開き始める。うっすらとだが風が吹き抜けていく。列の最前部にいた俺達は射し込んでくる陽光に目を細めた。思えば三年前、家を出た日もこんな風な陽射しに手を翳かざしてた気がする。

 などと思ってると脇腹を小突かれた。振り向くと聡と裕哉が拳を出していた。いつだか見たハリウッド映画にこんなシーンあったな。

 それに答えるようにコツンと一度、拳をぶつける。裕哉が寂しげな目で何かを訴えてくるのを無視して俺はハッチの淵に立った。

 

「降下五秒前、四、三、二──」


 機内のランプが赤から緑へと変わる。相変わらず、東の空には太陽が俺達を睨みつけるように、そして眼下には分厚い雲が浮かんでいた。


「オールグリーン、行け! 」


 ハッチから一歩踏み出す。世界が反転していく――。


 俺達は、地獄への一歩を踏み出した。



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