行き遅れ魔女は三百年後に目覚める
「くあ、」
大きなあくびをしながらのっそりと体を起こす。
凝り固まった指先、順番に一つ一つ指を動かしていき、手首から肩、足も同じように動きを確かめていく。
ずっと寝ていたからどこかに綻びができていやしないか不安だったが、問題なく魔法は発動していたようでひとまず安堵した。
目の前にかざした手の甲。肌の張りは以前と変わりない。二十代前半の頃のまま。爪は丸く整えられていて、しかし見覚えのないコーティングが施されていて首をかしげる。
(はて、寝る前に爪に装飾などしたかしら)
身を起こした時に流れていく髪の毛がさらさらとむき出しの肩を撫でていく。デタチッド・スリーブになっている緩めの着心地のワンピース。全体に薔薇の刺繍の施された白い衣装は一番お気に入りのやつだ。
ウェーブのかかったストロベリーブロンドを乱雑に掻きあげる。
目覚めたと同時に、眠りの間の守護の魔法は解けたようだ。
「おはよう寝坊助さん」
「ああ、おはよう……」
声のした方向に反射的に挨拶を返しながら顔を向ける。
つやつやした短い黒髪、瞳は黒いのに星をちりばめたような虹色の光彩が揺らぐ対の瞳が目を細めてこちらをみる。
ベッドの傍に低く腰を下ろしていても、背が高いことが分かる見事な体躯。身長はゆうに百九十ほどはあるだろうか、優男然とした顔が乗っかっている割りには、肉体はしっかり鍛え上げられていることが分かる。
白シャツに黒パンツと格好は地味なくらいだが、しゅっとした出で立ちはどこか気品も感じる。
が、それはどうでもいい。男の顔が良かろうが関係ない。
ぱちぱちと瞬きをする。目の前の男が消える気配はない。夢の中にいるわけでもなさそうだ。
「誰だおまえ」
淑女らしからぬ声が喉からでる。
大きなあくびをしたのを隠そうともしなかったあたり、淑女とはとても言い難いが今はおいておこう。
体の中で魔力を練り上げる。
全身に行き渡らせると、体中に力がみなぎるのを感じる。
肉体の衰えはない。眠る前と全く変わらない状態か、休んでいた分元気なくらいだ。力は前よりも増している気がするが、考えるのは後で十分。目の前の闖入者を排除する方が先だ。
膨れ上がった魔力を前に、男があわてた。
「ちょちょ、ちょっと待て!オレだ!」
「オレオレ詐欺なら間に合っている」
「違う!オレだ!アインだ!」
「――アイン?」
知人の名前が目の前の男から飛び出し、膨らんでいた魔力を抑えた。
体中に循環させて、いつでも魔法を発動できる状態にして警戒こそときはしないが、この男が何か知っているならば、物言わぬ死体になる前に遺言くらいは聞いておいてやるべきだろう。
これでも気は長い方なのである。
よくよく目の前の男を観察していく。
外見は、やはりあったことのない知らない男をしている。しかし、目の前の男の身体から感じる魔力のにおいは、知己のものだった。
どうやら、男がまるきりの嘘を言っているようには思えない。
「……確かに、私のよく知るアインに似ている。あなたいつから人間になったの?」
私のよく知るアインは、始祖龍と呼ばれる存在だったはずだ。人間の男ではない。彼の性別は確かに男(雄)だったけれど。
「君が眠ってから、五十年後くらいに、人に化けるすべを覚えたのさ。ただ家の前で待っているのに飽いたからね」
「五十年……ちょっと待って、私はどれくらい眠っていたの?」
「君が眠って、だいたい三百年くらい経ったよ。さすがに待つのは退屈だった」
私は軽く目を見開く。
男の美しい夜空の様な瞳にも、ぽかんと口を開けて呆ける私の間抜けな顔が反射している。
「話したいことはたくさんある。まずはお茶でも入れようか、アリア」
***
私はアリア。ただのアリアでいい。元より出は平民だった為に性はない。性を持つのは貴族だけだし、あいつらが勝手につけた名はあったが、名乗ってやるのは癪でアリアで通している。
龍の男が言う三百年前に私は眠りについた。
呪いに掛けられたとか、そういう理由ではなくあくまで自主的にだ。
私が生まれたのは、それよりも更に百年以上前の話。
私は生まれつき魔力が強かった。
世界で見ても、この世を統べるドラゴンよりもはるかに強かった。
魔力を使うのは生まれつきの才能がまずものを言い、体内に保有できる魔力の量は成長と共に器が大きくなるか、努力して育てるかすれば増えることはある。
大気中には魔素と呼ばれる魔力の元になる元素もあって、魔力を持たないか、将来的にもつ魔力の量が少ない人のために、大気中の魔素をエネルギーに変換して使うような便利な魔道具もあったし、この世界は基本的に魔力ありきの文明だった。
ドラゴンを筆頭に魔素によって変質した魔獣と呼ばれる生き物も世界には多く存在して、人間はそれらとお互いの生存圏を争いながら暮らしていた。
私は人より体に取り込める魔力も多く、大気中の魔素をエネルギーに変換して扱うことも得意としていた。
一人で一騎当千と言われるほどにドラゴン蔓延る戦地に赴き何度もたたかった。
本来一所にとどまる理由も恩義もないが、国に重用されて、何となく居座っていた。
魔力と魔法について学ぶうちに、体内のテロメアを再生・活性化させて若返る術を見つけた私はその内に不老と呼ばれる存在になっていた。
何となく身を置いていた国にもそれなりに愛着を感じており、ドラゴンが現れれば討伐し、湖が呪いに汚染されていると聞けば浄化へ赴き、せっせと働き続けて気が付けば百数年。
王族も勧誘してきた王とは代変わりして新しいトップが立ち、姫や王子も生まれていた。
ワイバーンの群れを退け、王都の近くに湧いたダンジョンの封印作業を終えて、帰ってきてやっと休憩と思いきや次の仕事も申し付けられ、こうも立て続けに仕事が入ってくると流石にいらだちながら城の中を歩いていると、呑気にお茶会をしている姫と令嬢たちの会話が耳に飛び込んできた。
「ああいう行きおくれにはなりたくないものですわ。若作りだけして外見はお綺麗ですけど、あれでもう百歳超えてらっしゃるんでしょう?」
「まぁ。国の為に働いてくださっているアリア様に失礼ですわ。……確かに、結婚もせずに若いままというのはいやですけれど」
「ああいう方ですもの、今更相手にして下さる殿方もいらっしゃらないのではなくて?」
「いやですわ、はしたない」
美しいが耳障りな笑い声が響く。
それを聞いて私は足を止めた。
全身をどっと疲れが覆い、心が黒く塗りつぶされていくようだ。
私の侍従としてずっとついてきているマリオという名前の男は、令嬢と姫の会話を聞いて青ざめている。
わたわたと慌てて「アリアさま、あれは茶会の戯言です」と取り繕っている声が聞こえるが、そんなことはどうでもいい。
私の中の堪忍袋は、疲労と共にすり減りきっていたのだ、今に始まったことではない。
百数年。
自分の祖国でもなんでもない国。
ただ何となく歓待されたから、住む家もそれなりに高い地位も与えられて持ち上げられたからそれに見合う力を奮って守護してやっていただけの国だ。
働いて働いて働き続けて、寝る間も惜しんで労働し続けて今になる。
恋愛も結婚も働いているうちにタイミングを逃した。そんな暇を与えなかったのはこの国の方だ。
それでも、民衆がよろこんでくれるうちは、守ってあげようとおもっていたし、結婚できなくてもいいと思っていたのだ。
いつしか私が働き守るのが当たり前になって、感謝される機会も減った。
既に亡くなった先々王にはよくしてもらったし恩義を感じているが、いまは何となくずるずる関係を持っているだけでいつ見限っても良かった。
それが今だっただけの話だ。
「マリオ、貴方には感謝しているわ。私なんかの世話をして付き従ってくれてありがとう。貴方の娘の侍女もとてもいい子だし、この国であなたたちだけは好きよ」
「あ、アリアさま……」
「貴方たちには感謝しているから守護の魔法をかけてあげる。この先戦争に巻き込まれても、ドラゴンが襲ってきても寿命以外では死なないように」
くるりと指先をふるうと、きらきらした光がマリオを覆う。もういくつか光が飛んで行ったのは、彼ら一家の元へ。
にこりと微笑んで、ドレスの裾を摘み軽く腰を折った。
「それじゃあ私、しばらくお休みすることにするわ。邪龍の群れが飛んでこようが、呪いが湧こうが、本来それはこの国の騎士や聖職者や冒険者が片付けるべき仕事であって私には関係ないもの」
「そんな、どこへ行かれると言うのです」
「どこかに拠点を構えて暫く眠るわ。働きすぎで疲れたもの」
「貴方無しではこの国を覆う結界は維持できないのに」
「あら、別にそんなことないでしょう。ちょっと大変だけよ」
この国には、邪悪なものを弾く結界が設けられている。アリアの作った魔道具で、ドラゴンくらいなら弾くし、周辺国家と戦争をせずに済んでいるのもこの結界のおかげだ。
アリア抜きに結界を維持させようとすれば、ざっと魔法使い二百人ほどが毎日せっせと魔力を注げばどうとでもなるだろう。
国全体を覆っているものを規模を縮小すればもっと楽に済む。
「考え直してはいただけませんか、アリア様……」
「行き遅れのババアはさっさと引退するべきだったのよ。でしょう?あなたには悪いけど、王様によろしく言っておいてね。貴方には被害がいかないように、そのために守護の魔法をかけたのだから」
にっこり微笑んで、私は姿を消す。
転移魔法で目指したのは世界の果てとも言われる魔の森。
魔素が強すぎて普通の人間では暮らせないと言われる山の中腹にあるアリアの別荘だ。
大きすぎず小さすぎない別荘には、アリアの生活の全てが置いてある。普段は王上で暮らしていたが、大事なものは全部ここにあった。
かつて暮らしていた村の生活道具や今まで作った魔道具。両親の形見。
お金は少しだけで基本的には宝石に変えて保管してある。
帰ってくるのを待っていたように、友人のドラゴンが私の家を取り囲むように居座っていた。
全身黒く固いうろこでおおわれた巨大な始祖龍。私よりもずっと長生きのドラゴンは、何十年か前に戦って拳で語り合ううちに仲良くなった、今では親友だ。
数千年生きてきて始祖龍という呼び名以外ないというものだから、私がアインという名前をつけた。
「やっとあの国を見限る気になったのか」
ドラゴンは表情に乏しいが、いやらしく楽しそうな声音でドラゴンが言う。虹色の交際を輝かせて、大きな瞳にちっぽけな私が映る。
「まぁね、もういいわ、マリオには悪いことしたなぁと思うけれど、感謝も忘れた国に用はないもの」
「代わりに滅ぼしてやろうか」
「やめてよ、後味が悪いわ。私の関係のないところで勝手に滅びてくれるならいいけど」
「そうか。……眠るのか、アリア」
「働きっぱなしだったしいいでしょう?テロメアは修復できて身体は若いままでも、精神はそれなりに疲れるもの」
「君がいないとオレは退屈でしょうがないよ」
「起きたら遊んであげるわ」
一番お気に入りの服に着替えて、柔らかい羽毛であつらえたお気に入りのベッドに横になる。
窓からドラゴンが覗きこんでいるが、彼は体が大きすぎてこの中には入れない。
家が壊れないように守護の魔法をかけて、私の身体にも生命維持の魔法をかける。テロメアは勝手に修復され続けるから、よっぽどのことがない限り私は死ぬことはないだろう。
寝るのにも飽きたら勝手に目が覚めるだろう。
そうして私は眠りについた。
「君が眠っている間にあの国は君に討伐指令がでていた邪龍の群れに襲われた。その時に結界も壊れてね、アリアはどこだって煩かったけれど、隣国にも戦争を仕掛けられてみるみる間に国力をおとして潰れたよ」
「そう。このお茶美味しいわ、どこの国の?」
「レーゼン国のものだよ。君を馬鹿にしたエイデル国を壊滅させた」
「ふぅん」
「因みに君が守護の守りをかけた侍従の一族は、今商人として元気に生活しているよ」
「無事なのね、あの国はどうでもいいけれど、元気にやっているのならうれしいわ」
「そのお茶とお茶菓子も、マリオが作った商会で仕入れたものだよ」
「へー。その商会とやらも見て見たいわね、一度くらい」
喉を抜けるほのかな苦みが目覚めには丁度いい。
アインが用意した茶菓子も見たことのないもので、中に入っている白いクリームとは違うものがくどくない甘さでいくつでも食べれてしまいそうだ。
「それで、あなたはどうしてたの?」
「あの国が潰れるのをただ見ているのも退屈だったし、この家にはドラゴンの姿のままじゃ入れないから、人化の術を覚えた。それで君が寝てる間ずっと君の手入れをして過ごしていたよ」
「なるほどね」
何だか妙にピカピカしている爪も、アインの仕業という事か。
黒く塗られた爪はきらきらした粒がちりばめられていて、目の前の男の目そっくりだと思う。
きれいだからまぁこのままでいいかと思う。
お茶が美味しいし。
「それで、これからどうする?アリア。オレと遊んでくれるんだろう?」
「んー……とりあえず、三百年も経ってるんだから結構文明も変わってるんじゃない?あちこちぶらぶらして美味しいものとか食べたいわ。それにあなたも付き合って」
折角自由になったのだ。
今は自分がかつて馬車馬のごとく働かされていた国ももうない。
いろんな国を渡り歩いて、お金を稼ぐなら冒険者ギルドにでも登録して冒険者になってみるのもいい。
ダンジョンも新しいのがいくつも出来ているかもしれないし、新しい魔獣も湧いているかもしれない。
美味しいご飯や綺麗な服をみるのもいいだろう。
よその国にはあまり行く機会がなかったから、新しいものが見たい。
家にある宝石類をどこかの国で売ればそれなりにお金は手に入るだろうし、当面の金に困ることもないだろう。
考えているだけで楽しくなってくる。
「それに私の事なんて忘れているだろうし、新しく恋をするわ!」
「え、」
「もう行き遅れなんて二度と言わせない!素敵な人を見つけて結婚してやるんだから」
別段、結婚に興味があるわけではないったらないのだが、行き遅れと嘲笑われたのは三百年経ったところで癪に障る。
「――アリア」
人間の姿をしたアインが手をとってくる。
やはり、こうしてまじまじと見ると顔が良い。ドラゴンの姿でも他の龍とは比べ物にならないくらいかっこいいと思っていたが、イケているドラゴンは人間になってもイケメンなのか。
私はもともと小柄な方で、体躯の大きなアインに手を握られると、大人と子供のように違う。
「結婚するならオレにすればいいじゃないか」
真剣な顔で言われて、思わず吹き出してしまった。
「あはは、貴方も三百年も経てばそんな冗談言うようになったのね。励ましはいいのよ。私頑張るわ!」
「あ、アリア、励ましなんかじゃ、」
「あの顔が綺麗なだけの姫だって生きてたらあっと驚くぐらいの良い男捕まえるんだから!」
ぐっと握り拳を作って意気込む。
「…………絶対阻止しよう……」
「ん?いま何か言った?」
ぼそぼそとした呟きは、興奮して腕を振り上げている私の耳には聞こえなかった。
アインがにこりと微笑む。
「何でもないよ、アリア。君との旅が楽しみだ」
こうしてアリアは旅に出る。
アインに恋路の邪魔をされていることもにも気が付かないまま、様々な国を渡り歩き、第二の人生を謳歌する。