第一話 お人形のお姉ちゃん その6
「え、ちょっ! 柚君なんでそっち行くの!? もう帰ろうよぉ……」
「いや、この人形、ばあが大事にしてたものだから。一緒に燃やしてあげたら供養になるかなって」
「さっき喋った人形をっ!? 何考えてんの!?」
唖然とした表情の咲奈を無視し、柚は人形を抱き上げて、間近でまじまじと観察する。
「ばあ、この人形のことなんて呼んでたっけ。ねえ咲奈さんは覚えてない?」
「待って、私まだ頭が追い付いてないからっ! ねえ、何で怖くないの? 馬鹿なの? 頭おかしいの?」
言いたい放題であったが、本当に怖い感じがしないのだから仕方がない。そもそも、さっきの御守りを取り上げられたときだっていきなり人形が喋り出したからびっくりしただけであって、怖いという感じとはまた違う感情だったのではないかという気さえしてくるくらいである。
「だから、もうこの人形から怖い感じしないんだって。きっとさ、大事にしてくれたばあが死んじゃったから、この人形も一緒に燃やしてもらいたくて僕らを呼んだんだよ。そんなことよりこの子の名前」
「あぁもう! なんでそこまで冷静に観察できるのにその子の名前を思い出せないのよ! ……確か、さっちゃん。ばあはその子、さっちゃんって呼んでた」
そう言われてみると、そんな気もする。柚はぼんやりとした記憶の中で、ばあがこの人形をさっちゃんと呼び、『このお姉ちゃんが今日は一緒に遊んでくれるからね?』等と言って二人と一体で色々な遊びをしたことを思いだした。
「さっちゃん。そうだ、『さきお姉ちゃん』だ。ばあは確かにこのお人形のこと、そう呼んでた」
柚が『さきお姉ちゃん』と名前を言った瞬間、その通りだと言わんばかりに、人形は柚の腕の中でぶるりと震えた。目に見えるほどはっきりと震えたその人形に、咲奈は「ぴゃっ!?」と叫び再びしゃがみこんでしまう。
「あ、やっぱり合ってるって」
「今の震えはそういう意味なの!? なんでそんなあっさり順応してるの!? 私もうちょっと意味わかんないんですけどっ!?」
この男は何故怖がらないのか。咲奈は、もはや明らかな心霊現象を繰り広げる人形より柚の方が怖いんじゃないかとさえ思い始めていたのだが、当の柚本人はそんなことはお構いなしに久しぶりに見つけた思い出の人形を懐かしそうな表情で眺めている。
そして、柚の腕の中で大人しく抱かれている人形は、再びぷるぷると震え始める。今度は何が言いたいんだろう、とちょっとわくわくさえし始めた柚は、その小さな腕がひとりでに持ち上がり、二階に続く階段を指し示していることに気付く。
これは言ってみるしかない。柚は、わくわくする気持ちを抑えきれず、満面の笑みでしゃがみこんだままだった咲奈に手を差し伸べ、言い放った。
「なんか『さきお姉ちゃん』、僕らを二階に連れていきたいみたい。行ってみよっか?」
「だからぁ! なんであんたは平気なのよ? 人形が喋るのよ? 私たちを呼んだのよ? ねえ、わかってる?」
「うん。でも、この人形はばあが大事にしてた『さきお姉ちゃん』だから」
「なんでそれだけで納得できるのかわからないわ……」
そう力なく呟く咲奈に、柚はそれならばとしばし考えると、こう切り出した。
「じゃあ、僕だけで上を見てくるから、咲奈さんは先に母屋に戻ってる? おばさん達にもうちょっと遅くなるって言っておいてくれるとありがたいなぁ」
「いやっ! ここまで来て途中で戻ったって気になるだけじゃない! ……それに、万が一柚君が危ない目にあったらやだし」
「危ない目に合うかもしれないなら一人の方がいいんじゃないかなぁ」
「そういう意味じゃないのっ! やっぱり柚君馬鹿でしょ!?」
そう言い放つと咲奈は、手提げ袋から自分の分のスリッパを取り出し、差し伸べられていたままだった柚の手を掴んで柚を支えにして履き替える。それから、一度だけゆっくりと深呼吸をし、小さな声で「えいっ」と気合を入れると、柚の手をしっかりと握り締めたまま自分からずんずんと階段に向かって行く。
「大丈夫? 僕が先に昇ろうか?」
「いいっ! どうせ怖いのは二階じゃなくてその人形だもん! さっさと終わらせてさっさと戻るの!」
そんなことを言いながら咲奈はそのままの勢いで、怖さをかき消すようにどすどすと音を立てながら階段を上っていく。咲奈に手を引かれながらもそんな咲奈を冷静に観察していた柚は、その姿が朝一で柚を怒鳴り散らした叔母が奥の部屋へと向かって行く様子にそっくりだなぁなどと考えていた。当然口に出したら何が起こるかは目に見えているので、黙って咲奈に手を引かれるまま、階段を上っていく。
昔秘密基地を作って遊んだ二階の小部屋は、柚が思っていた以上に小さく見え、所狭しと色々なものが詰め込まれていた。
「とりあえず窓開けないと、埃がすごすぎてどうしようもないわね……。よ、っと」
カラリと音を立てて開いた窓の周りの埃が、その振動を受けてキラキラと舞い上がる。
「あ、この段ボール秘密基地作った時の奴だ。懐かしいなぁ」
「柚君、ここまで来ると本物よね……。どんだけマイペースなの? あ、こっちの箱の中身、私のお絵かき帳だ」
ばあは物持ちの良い人だったらしい。こうして、なんでもないような思い出の品の数々が大切に保存されているのを見て、柚はちょっと嬉しいような、もっとばあに会いに来ておけばよかったという寂しいような気持ちになった。
「なんだかんだで咲奈さんも懐かしがってるじゃん。それで、さきお姉ちゃんは僕らに何を探してほしいのかなぁ」
「ナチュラルにそのお人形を『さきお姉ちゃん』呼びする辺り、私と一緒にしないで欲しいんですけど」
ジトっとした目で睨み付けられた柚は、自分なりの理由があってのことだと言い返す。
「いやだってさ、人形ではあるけど、こうして僕らに話しかけてここまで呼んだわけだし。名前があるんだからそっちの方がいいかなって」
ぶるり。腕の中で震えて見せた人形が、その震えで喜びを表しているのがわかった柚はほら、と言わんばかりに咲奈に抗議の視線を送る。
「ほら、さきお姉ちゃんも名前の方が嬉しいって言ってる」
「ああもうわかったから! ナチュラルにさっちゃんと会話しないで!」
なんだかんだで柚に流されて『さっちゃん』呼びを始めた咲奈に、心なしか人形も嬉しそうであった。
「それでこの部屋のどこを探せばいいの?」
もはや返事が返って来るのが当然と言わんばかりに人形に話しかける柚を、咲奈はあきれた表情で眺めていたのだが、実際にそれで人形の方も腕をぷるぷると持ち上げて方向を指し示すのだから始末に追えない。
「うーん、あっち? ああ、押し入れの中を見て欲しいのか。でも色々荷物が積み重なっちゃって邪魔だなぁ。咲奈さん、ちょっとさきお姉ちゃん持ってて」
「……えっ? あ、ちょっと! 心の準備! 心の準備させてよもうっ!」
ぎりぎりの所で追い付いているのだから、もうちょっと色々と配慮をしてほしい。そんな咲奈の心の叫びを無視して、柚はマイペースに荷物をどかし始める。
「あ、ちょっと待って! 軍手! 軍手持ってきてるから。あとマスクも」
「咲奈さん、スリッパといい軍手といいめちゃくちゃに準備がいいね……」
「……お母さんが家中埃だらけでも良いようにって、行きの車でコンビニに寄って買っておいたの」
咲奈の母親は、なんだかんだで気が回る人のようだ。そしてその娘である咲奈も。軍手とマスクを手渡し、交換するように人形を受け取った咲奈は、荷物に阻まれてぎりぎり手が届くかどうかという窓に向かって腕を伸ばす。
窓を開け放った瞬間、先に開けておいた階段側の窓へと春の風が吹き抜けていき、部屋中に充満していたかびや埃の臭いを一気に吹き飛ばしてしまった。それは同時に、部屋中の埃を風が巻き上げてしまったということも意味するのだが。
「きゃっ! げほごほっ! 窓開ける前にマスクしておくんだった~……。ちゃっかり自分だけマスクして準備万端なんて、柚君ちょっとズルくない?」
「いやだって、埃舞いそうだよなぁって」
「気付いたなら言ってよ!」
そんなことを言い合っているうちに、気が付けば怖さがすっかり薄らいでしまっていたことに気付いた咲奈は、それならばと人形をその辺の箱の上に座らせ、押し入れまでの障害となっているあれやこれやをどかし始めようとしていた柚の隣に並んだ。
「一人より二人の方が早いでしょ? もうさっさと終わらせちゃって、さっさと戻って美味しいお寿司食べよ?」
「あ、まだお寿司狙ってたんだ」
「いいの! 早く手を動かして!」
何から手を付ければいいのかとたらたらどんくさいことをやっている柚に対しテキパキと指示を出しながら自分もどんどんと荷物をどかしていく咲奈。そんな二人の様子を眺める位置に、積み上げられた荷物の上にちょこんと座らされた『さきお姉ちゃん』は、不思議と優しい表情を浮かべているように見えた。
いるのが当たり前、見えるのが当たり前なら怖さも感じないんじゃないかな、と思うのですが、皆様はいかが思われますか?
次話の投稿は明日25時です。