第一話 お人形のお姉ちゃん その4
――柚ちゃん? 柚ちゃんは優しいから、誰とでも普通にお喋りが出来るんだねぇ。でもね柚ちゃん。世の中にはね、簡単にお喋りしちゃいけない相手もいるんだ。柚ちゃんにとっては当たり前のことかもしれないけれど、向こうにとってはお喋りが出来る相手はこの世界に柚ちゃんだけだと思って、必死になって追いかけてくる。
昔、祖母が優しく言い聞かせてくれた言葉。当時は何のことかよくわからなかったが、今思うとこの言葉は、柚が幽霊を見ることが出来ることを知ってのものとしか考えられない。
――だからばあと約束してね? 知らない人とはお喋りしちゃダメ。お喋りしていい相手かどうかがわからなかったら、お母さんとかお友達とか、柚ちゃんが良く知っている誰かがその人とお喋りしてるのを見てから、柚ちゃんもお喋りに混ぜてもらいなさい。自分でお喋りしていい相手とそうでない相手がわかるようになるまででいいからね。ばあとの約束。
そう、それでこの後柚は、ばあと指切りをしてこの御守りを貰ったのだ。怖いモノから柚を守ってくれる、大事な大事な御守り。今、はっきりと理解した。ばあは、柚が幽霊と会話をしている所を見たのだ。それで、悪いモノが柚に憑かないようにと御守りを授けてくれたのだ。
「……本当に生きてる人と死んでる人の区別が付いてなかったんだね。そしたら、急にこんなこと言われたらびっくりしちゃうよね? ……でも、それで納得した。柚君ってば、ここに来るまでの間も幽霊とすれ違う時、普通の人間と同じように避けるんだもん。私はもう、柚君が私に『僕も見える人ですよ?』って教えてくれてるのかと思っちゃったくらい」
どうやら、この世界には柚が思っている以上に堂々と幽霊が辺りを歩き回っていたらしい。今までずっと見えていたらしいのにそのことに一切気が付かなかったという自分の鈍感さや、もし咲奈の言う通りなのであれば自分は今まで外を歩くときに相当奇妙な目で見られていたのではないかとか、色々なことが頭を駆け巡り、柚は驚きを隠せずにいた。
「咲奈さんは、区別付くの? その、幽霊と普通の人……」
「なんとなくだけどね~。なんかこう、薄っぺらいっていうか、見ていて重さを感じないっていうか。後は、スイッチが入るまで全然周りの人に目を向けない感じ?」
「スイッチ?」
幽霊にスイッチと言われ、そんなわけないとわかっていつつも頭の先にボタンが付いた虚ろな表情をした幽霊というシュールな画を思い描く柚。
「そう。やっぱり、普段はあっちもこっちのことが見えてないっていうか、なんとなくぼやーっと眺めてるだけで一人一人を認識してないんだと思う。それが、何かの弾みで目が合ったりして気付かれちゃうと、スイッチが入るみたいに急にこっちを認識するようになって、ふらふら~って追いかけてくる。うちのおばあちゃんも、普段はずっとお母さんのことしか見えてないみたいで、何かの拍子にふっと私とか他の人にも一瞬目が行くって感じだもん」
そう言われてみると、柚にも何人かそういう奇異な様子の人を見かけた心当たりがあった。
「ああ、そういうのが幽霊なんだ。それなら確かに見たことあるかも」
柚の言葉は余りにも間が抜けたものに聞こえたのだろうか。咲奈はぐたっと脱力してしまった。
「柚君ってさ、天然? なんていうか、今まで見かけた人の中に幽霊が混ざってました! とかそもそもさっき話してたおばあちゃんが実は幽霊でした! ってもうちょっとびっくりするものじゃない、ふつ~?」
そう言われてみても、今まで特に恐さを感じずに眺めていたものを幽霊だとわかった瞬間に怖がれという方が難しい、と柚は思った。
「いやだって、全然怖くなかったし。テレビで見る幽霊は怖いのばっかりだもん」
「怖いのだっていっぱいいるの! 私たちが平気なのは、ばあのこの御守りのおかげだよ? 普通は霊に見つかって憑いてこられたら肩が重くなったり体調崩したり、怪我しやすくなったり大変なんだから!」
そう言って、咲奈は大事そうに御守りを抱きしめる。
「ばあが死んじゃったのは悲しいけど、こうして見える仲間が見つけられてよかった。私のこと、ばあしかわかってくれなかったから。ばあが死んじゃったって聞いて、これから怖いことがあった時誰に相談したら良いんだろうって不安だったの。おばあちゃんみたいに、いつまで経っても心配で天国に行かせてあげられないのも嫌だから」
そう言われてよくよく考えてみると、姑が嫁をいつまで経っても放っておけないと言って成仏もせずに憑いて回るというのも不思議な話である。少し気になった柚がそのことを咲奈に聞いてみようと口を開きかけたその時、咲奈はスマホを取り出して叫んだ。
「あー! お母さんからメール来てる! もう親戚の人いっぱい来てるんだって。柚君のお母さんはまだみたいだけど。 早く帰って今度はお寿司つまみ食いしなくちゃ!」
半分こにすると言っていたはずのポテトもほとんど咲奈に食べられていた気がするのだが、それでも寿司は別腹らしい。ささっと立ち上がり会計を頼む咲奈に遅れるようにして、柚もまた帰り支度を始めるのだった。
「形見分け?」
「そうよ! あんた達もなんか適当にちゃっちゃと選んで持って行きなさい。ただ、ちゃんと一度あたしに見せるんだよ、あんたらみたいな子供が身の丈に合わない良いものを持っていても良いことなんか何一つありゃしないんだから。ついでに母さんの棺に入れてやるものも選んでるから、欲しい物探すついでにそっちも選んでやりな」
一通り準備が終わり、親戚たちが続々到着してきたことでようやく一息付けたのか、先ほどよりは幾分柔らかい口調で叔母が言った。
見てみれば、居間の机の上には櫛やネックレス、畳の上には鞄や着物といった形で所狭しと物が並べられており、親戚づきあいの乏しい柚からすると馴染みのない親戚の大人たちがああでもないこうでもないと話し合っている。
「みきちゃんなんて、この着物はどう? 私もこの色は欲しいけど、ほら、この体型だから叔母様の着物は多分入らないわ」
「あらぁ、じゃあそうさせてもらおうかしら。佐和子さんはじゃあこっちの櫛なんていいじゃない。櫛は体型関係ないわよぉ」
「あ、この万年筆はもしかして叔父さんが使ってた物じゃないか? 叔母さんの形見分けで貰うのもちょっと変な話だけど、俺はこれにしようかなぁ」
「相変わらずちゃっかりしてるなぁ兄さんは。それなら俺も、叔父さんが使ってた腕時計が気になるけど、あれは叔父さんの葬式で誰かがもう持って行っちゃってるかなぁ」
柚や咲奈の母親よりも歳が上に見える初老の男女が、目ぼしいものは無いかと好き勝手に祖母の化粧台やタンスを開けていく。その様子が、死者を悼む儀式を建前に、単純に欲しいものを物色している泥棒のように見えてしまったのは、自分が葬儀というものに慣れていないからなのだろうか。
「……最っ低」
どうやら柚と同じ感想を抱いたらしい咲奈は、柚よりもはっきり拒絶反応が出てしまったらしい。そう一言呟くや否や、咲奈はそのまま居間を飛び出して行ってしまった。それをぼーっと見送ってしまった後、これは追いかけるべき場面なのではないかという考えに至った柚は、慌てて自分も廊下に飛び出したのだが、既に咲奈の姿は見えない。
どこへ行ったのだろうかときょろきょろ辺りを見回していると、また、背中越しに誰かの声が聞こえてきた。
――こっちだよ。こっちに来てよ。
声がしたのは掃き出しの向こう、祖父が亡くなってから物置と化している離れの方向である。そういえば、小さい頃は今柚がいる母屋ではなく、昔ながらのおもちゃがいっぱい置いてあった離れでよく遊んだものだった。もしかすると、あの中に咲奈はいるのではないか。掃き出しを開け、置いてあった小さなサンダルにぎゅっと足を詰め込んで、離れの方に向かっていく。
ふらふらと歩いていく柚の姿は、傍から見るとまるで離れに吸い寄せられるようで、とても奇異なものに見えていたのだが、そんなことは柚は知る由もない。
「離れに行くのか? 離れは叔父さんの葬式の時にだいぶ片づけたから、何もないと思うぞー。そもそも離れの鍵、ちゃんと持ってるのか?」
背中越し、すぐ後ろから聞こえた親戚の声は、もやがかかったようにぼやけ、妙に遠くから聞こえた気がするが、今の柚にとってそんなことはどうでもいいことだ。声をかけてくれた親戚も、小さなサンダルに無理やり詰めた足の痛みも無視して、柚はただ、何も言わず何も考えずに離れへと歩いていく。
離れの建物は、母屋と同じ昔ながらの家屋といった外観で、二回りほど小さい。それもそのはずで、離れには確か大部屋と2階の小部屋、そしてトイレくらいしかなかったはずだ。かつて曽祖父、そして祖父の隠れ家として使われていたその建物は、主を喪ったことで見るからにボロボロとなってしまっている。
「昔、ここの2階を秘密基地にして遊んだっけなぁ……」
そんなことを呟きながら、何気なく扉に手をかけると。
――ガラリ。
昔ながらの引き戸の玄関は、何の抵抗もなく開いてしまった。
窓際で昼寝していたら、窓のすぐ向こうでこちらを眺めている紫色の着物を着たお婆さんが見えました。
マンションの3階のベランダなんですけどね。
まあお盆ですから、そういうこともありますよね。
でも、あれは誰だったんだろう。
こちらを見て嗤ってるように見えたんですよね。
次話の投稿は明日25時です。