Cage-Out 翠(3)
「……翠」
映像が終わり、モニターは役目を終え、一面黒に切り替わった。それが翠の記憶の終わりであり、彼女自身の終わりを意味しているようで、私はひどい虚無感と寂しさを感じた。だがそれ以上に、私は衝撃を受けていた。
――違う。
「意味が分かったか。あんたが必要な理由が」
私は頷く。
翠の記憶。
翠の中では、私が死んだ事になっている。そこで終わってしまっているのだ。
違う。
私は、死んでなどいない。
全てが間違っているわけではない。
あの日、九条君に仮想現実でいいからまた会いたいと願い、装置の中で眠った日。
私は確かに、死ぬつもりでいた。
全てが終わった後、私はそのままこの世を去るつもりだった。
『あなたが殺したようなもんでしょう』
警察から事情を聴かれ、起こった出来事を全て話した。その時はまだ、自分がストーカーであるという認識すら出来ていないほど、まともではなかった。
ただ彼と話しがしたいから、彼を追いかけた。それでそのまま――。
しかし話を聞いた警察からの言葉は辛辣だった。
今であればちゃんと理解出来る。だがあの時の私には、横暴な解釈にしか聞こえなかった。自分の罪を認めるには頭を冷やす時間が必要だった。
自分の中の大きな支えを、私は自分の手で壊してしまった。
既に真紀という支えを失っていた事も、私の心を不安定にした要因だったかもしれない。
「いやですねー。そんなわけないじゃないですか」
会社のトイレの個室に入っていると、真紀の声が聞こえた。
「仲良くやってるじゃない。よく二人で遊んだりなんて出来るわね」
もう一人はどうやら菊池のようだ。真紀と菊池。私の前では菊池を軽蔑する同志である彼女だが、会社では私と違い菊池とも表面上では普通にやり取りはしている。だから二人が一緒にいるという絵面自体に違和感はない。
「あんな地味女に構うなんて、時間と体力の無駄じゃない」
ヒヤッとしたものが背中を伝った。
地味女。菊地が社内でそう呼ぶ存在なんて私ぐらいしか思い当たらない。それに対する真紀の反応も合わせて、私の事を指しているのは明らかだ。
真紀がどう答えるのか。不安で身体が小刻みに震えた。菊地の手前だ。ある程度の言葉は覚悟しておいた方がいいだろう。自然と腹の下に力が入った。
「皆でイジメてひどいんですもん。ああいう人見ると手を差し伸べたくなるんですよね」
――真紀。
腹に込めた力がすうっと引いていく。
ずっと不安には思っていた。裏では結局、悪口を叩かれてるんじゃないかって。どうせ影で私の事を笑っているんだろうって。
それならそれで構わない。それでも私を気遣ってくれて、実際に仕事を手伝ったりもしてくれている。感謝はすれど、彼女を悪く言おうという気持ちなどない。
「でも、もうそろそろ食べ頃かな」
「食べ頃?」
「はい」
腹に再びすっと力が入った。
彼女の声はいつもと変わらない明るく元気なものだ。だが、何かが違う。
「信じていた人に裏切られた人の顔って見たことあります? あの時の人間の顔って、ほんとたまんないですよ」
私は今、どんな顔をしているだろう。
「真紀、あんたちょっと、ヤバイね」
菊池の声も、どこか震えているように聞こえた。
覚悟なんて痛み止めは、何の役にも立たなかった。急に腹から何かがこみ上げ、思わずその場に吐きそうになった。
真紀と過ごした場面がいくつも蘇る。一緒に残業してくれた時。一緒にご飯を食べに行った時。笑顔の彼女に癒されてきた。伸ばしてくれた優しい手に私は縋ってきた。
だが私が掴んだのは、天使ではなく。悪魔の手だった。
私はその日、会社を早退した。
重ねすぎた罪と己の身勝手さと惨めさ。支えを失くし、全てに嫌気がさした。自分という人間はこれ以上生きていてはいけない。最後に自分のわがままだけを叶えたら、潔くこの世から消えようと思っていた。
だから私は、走ってくる車に飛び込んだ。
そこまでは正しい。でも私は、死ねなかった。無様に生き残った。安易に死を選んだことを、神は許さなかった。それも罪か。私は妙に納得した事を覚えている。
そこで終わっていればよかった。だが私の最後のわがままは、私にとって最後の大切な人を終わりへと導いた。
『美咲、ごめんね』
幸福を追求する為の研究。親友と思ってくれていた私を救おうと装置を使ってくれた翠は、自分の装置のせいで私を死なせる所だった。そう勝手に自分を追い込んだ。そんな彼女の思いを残したメールが私に送られたその日、翠は施設の屋上から飛び降りた。