(3)
平穏平和な週末。真紀の言葉を拝借すれば、支配からの解放である休日。が、解き放たれた私がじゃあ何をするのかと言えば、特に何もない。だがそれでいい。日頃の鬱陶しい人間関係を一切気にせず過ごせるだけで心穏やかだ。
私はひとしきりベッドの中でごろごろと平穏とじゃれあう。そしてそんなじゃれあいへの飽きと空腹を感じるといよいよ身体を起こす。
「ん?」
そこで初めて携帯のランプが光っている事に気づく。連絡は真紀からだった。
『お疲れ様です。もし今日の夜とか空いてたら、この前のパスタどうですか?』
よほど私にその店のパスタを食べて欲しいらしい。私はふっと微笑む。
真紀なら私なんかじゃなくて、もっと楽しくて明るい友達がいるだろうに。そう思うのだが、真紀は何かと私を誘ってくれて、よく懐いてくれている。
「美咲先輩って、クールでカッコイイです。周りに影響されなくて、ブレなくて、芯を貫いている感じがして」
過大評価と誤認識もいい所だ。私はそんなカッコイイ存在ではない。単にめんどくさくて冷めてるだけなのだが、彼女は私に過剰なフィルターをかけてくれる。
そんなふうに懐いてくれる存在は珍しい。過干渉は苦手な私だが、真紀の人柄なのか、そういった煩わしさを彼女から感じる事は全くない。なんだかんだ、私自身嬉しいのだ。
『いいよ。暇だし』
返信して間もなく、真紀から喜びを表す絵文字が返ってきた。
*
「うわ、ほんとに美味しいね」
「でしょー! こんなに近くにあったのに今まで気付かなったのがほんっと悔しいですよ。まだあたしも全部食べれてないですけど、今ん所どのパスタも外れなしなんで、美咲先輩もまた暇な時に違うの食べてみてくださいね! ちなみにピザも絶品なんで!」
「しばらく通い詰めになりそうね」
真紀があれほど推すだけあって、味は確かなものだった。
私が頼んだジュノベーゼパスタは、バジルベースで優しい自然な色合いと香ばしい香りが心地よくそれだけでも空腹が満たされそうだ。口に運べば生パスタのもっちりとした腰のある食感が口の中で弾み、噛む度に顔が思わず綻びそうになる。真紀が食べている若鶏のクリームパスタも横取りしたくなるほどの美味しそうな見た目だ。次来るときはそれを食べようと、私は心の中で決めた。
味もさることながら値段もリーズナブルな所がまた素晴らしい。本当にこれなら毎日通っても良いかもしれない。
「あ、そういえば菊池先輩達って今日女子会してるらしいですよ」
「へー。真紀も誘われたんじゃないの?」
「誘われましたけど、かったるいんでうまく言い訳して断りました」
私は彼女と仲良くないので当然のように誘われてはいないが、真紀はそうではない。持前の人懐っこさと器用さで誰とでも分け隔てなく関係を築いている。
「大丈夫なの?」
「何がですか?」
「私なんかと一緒にいて。はぶられちゃったりしないかなって」
「心配してくれてるんですか? 嬉しいー! もう、好きです!」
「熱いお気持ちありがとう。でもほんとにちょっと心配してんのよ。真紀が嫌な思いするような事あったら、私多分本気であいつ殴るよ」
「ダメですよ。それに心配には及びません。あたし、器用ですから」
「私とは違ってね」
「ちょっとー! 嫌味で言ったみたいに聞こえるじゃないですか! 違いますからねー」
「分かってるって」
あの菊池という女はとても分かりやすい。
私があの女に気に入られていないのは学歴のせいだ。入社当初、初めて彼女に挨拶した時、「大学はどこに行ってたの?」と聞かれた。確かにレベルの高い学校ではなかったが、私はそんな事を気にした事もなかったので、普通にその問いに答えた。
「へー。そう」
あの時の馬鹿にしたような表情は今でも鮮明に思い出せる。あからさまに私の学歴を知ってから、言葉や態度が一変した。
ああ、いるんだ実際と私は妙に感心したのと同時に、私も相応の態度で対応した。
「何よあんた生意気に!」
と彼女は面白いほど想像通りの反応を見せた。私達は当然のように犬猿の仲となり、彼女の取り巻きからも距離を置かれる事となった。
菊池は度々私に突っかかってきたりするが、彼女の取り巻きは私に関わろうとすらしなかった。
関わる必要のない無駄な存在達と、わざわざ気を遣って向き合う面倒が排除できた。私は、そう思うことにした。
「あなたみたいに器用に生きれたらね」
自分の生き方を間違っていると思った事はないが、真紀みたいに器用だったら、もっと色々うまくいったりもするのだろうと客観的に思ったりはする。
「それはそれで疲れますけどね」
「苦労してるんだ」
「それなりに。弱いんですよ。先輩みたいに強くて凛としてたら、こんなふうに色々考えながら立ち振る舞う必要なんてないですもん」
「強くなんてない。面倒で不器用なだけ」
「そんなふうに言える感じもやっぱり、カッコイイです」
隣の芝生はなんとやらだ。私が真紀になれたとて、違う苦労がそこにある。
もっとも、うまくいくかもしれないが、そんなしんどい人生を歩みたいかと改めて自分に問えば、そんなふうになりたいとはやはり思えなかった。
*
店を出た後、真紀にもう一軒と連れられ、私達は近くのバーで飲みなおす事にした。互いにほろ酔い状態な私達の話題は恋愛話からの幸福についてへと流れていた。
「先輩。点数の方はどうなんですか?」
「赤点ギリギリね。生きてるだけで幸せとやらを考慮してくれてるのか。幸福でも不幸でもない、それなりの人生って感じよ。真紀の方はどうなの?」
「ザ・平均点って感じですね。色々振舞ってる割にはそんなに点数には反映されてないかなって感じです。自分が幸せって感じてないからでしょうね。ここはやっぱり彼氏の一人でもつくらないとダメですかね」
「幸せの為に彼氏をつくるなんて絶対おかしい」
「分かってますよ。順序が逆ですもん。その点、菊池先輩はほんと優等生ですよね」
私達は互いにふふっと悪い笑顔を浮かべる。もちろんそれは彼女に対しての皮肉だ。
「金持ち彼氏さんとの玉の輿か。この国では勝ち組でしょうけど、彼氏さんが不憫ですね」
「そう? 中身スッカラカンの女の本質を見抜けない時点で同情の余地はないわ」
「かー厳しいお言葉! スカッとするー!」
酔いが回っているせいか、真紀は普段にまして上機嫌だ。そんな彼女を見ていると、私もなんだか楽しい気分になる。
「まあ別に、他人の幸せにどうこう口出しする気もないけどね」
「美咲先輩は、いないんですか?」
「何が?」
「好きな人とか」
「いるわけないじゃない。平日は仕事終わったらまっすぐ家に直行だし。休みの日だって家でぐうたらしてる方が好きだし。誰かと出会う事もなければ、出会う気もない。彼氏なんてできる気配は微塵もないし、つくる気もないわ」
「もったいないなー。絶対先輩モテるだろうに。宝の持ち腐れですよ。もっとその宝を見せびらかすべきです」
「宝なんかじゃないわよ。それになんだかそれって、菊池っぽい」
「ですよねー」
そう言って真紀はまたケタケタと笑った。
――好きな人ねー。
そんな純情を恥ずかしげもなく大事に持っている時代もあった。でもそれはいつの事だろうか。もう遠い遠い過去に思える。
ほんのり酒と毒舌を楽しみ、私達は店を出た。
「ありがとうね。楽しかったわ」
「いえいえ、こちらこそです!」
「気を付けて帰りなよ」
「えー送ってくれないんですかー。私もうこんなにふらっふらですよー」
「嘘ばっか。あんたそんなにお酒弱くないでしょ」
「ちぇ。そのままベッドインする作戦だったのに」
「浅はかな作戦ね。そういうのは狙った男に使いなさい」
「はーい。そうさせて頂きまーす」
そして真紀はしっかりとした足取りで帰っていった。ふらふらだなんてよく言ったものだ。
「帰るか」
腹も気持ちも満足だ。真紀に心の中でもう一度ありがとうと言って、私も帰路へと歩き始めた。
――好きな人か。
私はずっと一人で過ごすのだろうか。
ふと、そんな事を考えてしまった。そして不覚なことに、ほんの一瞬その未来を寂しく感じている自分がいた。
――らしくないな。
そう思いすぐにその気持ちを取り払った。一人の方が身軽で気楽。私にはそれが性に合っている。きっとお酒のせいだ。そう思いながら、私は家へと帰った。