(2)
「ごめんね、美咲」
目の前に翠がいる。この最悪の中、親友が自分の前に現れてくれた事に嬉しさはあるが、それよりも驚きや疑問や、とにかく分からない事が多すぎた。
「ねえ、こんな所で何してるの? っていうか、ここどこなの?」
翠がゆっくりと近づいてくる。その表情には私への心配が見て取れた。
「ごめんね。色々戸惑ってると思う。分かるよ。とにかく、今美咲の心も身体もすごく乱れてる」
翠は言いながら私の手を取り、その上に小さな何かを置いた。それは何かの薬のような、小さなカプセルだった。
「何これ?」
「鎮静剤みたいなものよ。大丈夫よ。私も精神が不安定な時にたまに飲むんだけど、よく効くから」
「でも、いきなりこんなの渡されても……」
「不安なのはわかる。ちゃんと全部説明するから。美咲、私は今、あなたを助ける為にここにいるの」
翠の表情や言葉に嘘はなさそうだった。だが、あまりにも今の状況が理解出来ない。
唐突に現れた親友。私を助けるという言葉。カプセル。まるで何かの映画みたいな、創りもののような展開だ。
どうするべきだろうか。
だが確かに、翠の言う通り今の私の精神は乱れている。まず落ち着く必要はあると思う。それに、もう終わったと思っていた私の前に彼女はわざわざ現れてくれた。これが嘘であっても、どうせ終わりだと覚悟を決めた人生だ。彼女の言葉に、とりあえず従おう。
「……わかった。ありがと」
私は掌のカプセルを口の中に放り込み、そのままぐっと飲み込んだ。
「ありがと、美咲」
翠はほっとしたように表情を和らげた。
「警官にここまで連れてきてもらったでしょ? 実は、あの人警官じゃなくて私の仲間なの。あのままじゃ、大変な事になってただろうから」
「仲間? ちょっと待って、じゃああの人本物の警官じゃないって事?」
「うん」
「じゃあこれって……」
「一時的だけど、あなたを匿う為にここに連れてきてもらったの。手荒なまねしてごめんね」
ますます訳が分からない。私はあの場で真紀を殺してしまい、事故とはいえ裕までも失った。あの状況を助ける為に、翠が警官を装った男を派遣した?
そんな都合のいい事が、どうして可能なのだ。
そんな事、私の事を監視でもしてなければ――。
「翠、あなた、一体……」
「本当は、こんな事するべきじゃなかった」
翠が静かに呟いた。暗く悲痛な表情だった。私に会ってから、翠はまだ一度も明るい表情を見せていない。
「……あ、れ……」
ふいに視界がぐにゃりと歪んだ。
「ごめんね、美咲」
翠は最初から、私にずっとごめんねを繰り返している。
翠は一体、何を謝っているんだ。
「全部私のせい。あなたを助けたいと思った、私の浅はかな決断のせい。あなたの為だと思った。でも、やっぱり断るべきだった。あなたの頼みを」
気のせいかと思ったが、まるで大量のアルコールにでも酔ったかのように平衡感覚が失われていく。たまらず私はその場に膝をついた。
「み、どり……何、これ? あの薬、何なの……!?」
終わりだと思った所に、追い打ちのように更なる終わりがもたらされようとしている。
親友の裏切りという、この上ない悲劇の上塗り。だったらまだ、あのまま静かに終わらせてくれた方が良かった。
――こんなの、あんまりだ。
「ごめんね。あなたを助ける為に、もうこれしか手段がなかった」
翠がまた謝る。謝るなら、何故こんな事をするんだ。何もかもが意味不明だ。
徐々に視界が暗くなっていく。意識が沼の底に沈むように、ゆっくりと無の世界へと引きずり込まれていく。
私の人生、一体何だったんだろう。
こんな形で、終わってしまうのか。
「み、ど、り」
そのまま、私の意識は完全に途絶えた。