CAGE5
「うわっ!」
「ああ、すみません!」
八木君が僅かな段差に躓き、そのままの勢いで私とぶつかりそうになる。
「相変わらずおっちょこちょいだね」
「ほんと、すみません」
ずれた丸眼鏡をくいっとあげながら、八木君は苦笑いを私に向ける。未熟で危なっかしい彼の存在は、時折場を心底うんざりさせる事もあるが、緊張感の詰まった仕事場においてムードメーカー的な役割を担っている部分もある。私の張りつめた心が少し弛緩する。心の中だけで、私は彼にありがとうと呟いた。
「おい。乱れ始めてるぞ」
「あ、はい!」
だが、油断は出来ない。冴木主任の言う通り、目の前のモニターに映し出される曲線は始めは穏やかで規則的でふり幅も小さいものだったが、今は大きく不規則に触れ始めている。
「まだ、続けるか?」
「……まだ、です」
言葉とは裏腹に、私はもう終わらせたいと思っている。
ここでやめるべきだ。見ていられない。でも、私は既にその止め時を見失っている。油断した。唐突な乱れを予想出来なかった。
「通常の解放は、無理な状態だな」
冴木主任の言うように、通常終了は不可能だ。おそらく受け付けられない。かといって強制的に切ってしまえば、それこそ取返しのつかない事態になる。
――どうする。
とは言っても、しばらくは見届けるしかない状況だ。
「あれしかねえか」
冴木主任が後ろでくくった黒い長髪の毛先をがしがしと手でいじる。苛立っていたり、落ち着かない時にする仕草だ。主任がこの仕草を見せる事はそうない。表情や声音はいつものようにどっしりとした落ち着いたものだが、主任もそれだけ今の状況を重く捉えているようだ。
「あれって、まさか……」
私もその案を頭に置いてはいた。だがあまり使いたくはない。出来れば、通常通りの正常終了に持っていきたかった。しかし、それが難しい状況である事も理解はしている。
「準備しておけ。最悪の事態が見え始めてる。次の乱れがいつ起こるか分からねえ」
「そうですね……」
暗く重い気持ちになる。こうなる事も想像していた。だが、いざ現実として直面すると冷静さを保っていられなくなる。
私だけならいい。でももし最悪……。
「いっ」
ふいにつんと、側頭部を指で強く突かれる。
冴木主任が私の方を見ていた。無表情。いや、僅かながら目元が下がっている。
心配してくれている。主任のそんな微々たる感情の動きを読み取れるほど、私も長くここにいるんだなと、ふとそんな事を思った。
「そばで見守ってやれ。大事な友達なんだろ」
思わず瞳がうるみそうになる。
「はい」
私は、強く頷いた。