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幸福偏差値  作者: greed green/見鳥望
四章 幸福の枯渇
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(2)

『今日未明、都内に住む女性、有村静香容疑者三十二歳が、知人である渚美奈子さん三十一歳を、刃物で刺し殺す事件が起きました。調べに対して有村容疑者は「幸福度の点数の事から言い争いになり、かっとなって刺した」と供述しています』


「怖いね」

「うん」


 ソファで二人並んでテレビを見ていると、そんなニュースが流れた。幸福偏差値制度が始まってしばらくが経つ。その間、私と菊池が起こしたような小競り合いレベルの諍いはどこにでもあったかもしれないが、実際に殺人事件に発展したケースはこれが初めてだろう。


「これじゃ逆効果だよな」

「うん、ほんとに」

「美咲も気をつけてな」

「分かってる。とても身に沁みます」

「頼むよ」


 言いながら彼の手がそっと私の頭に触れ、そのまま優しく撫でられる。

 今私は裕君と同棲をしている。私も彼も一人暮らしだったので、今は九条君の部屋に転がりこむような形になっていた。それ以外に大きく変化した事と言えば、私が九条君の事を裕君と名前で呼ぶようになった事ぐらいだろうか。


 幸せだ。紛れもなく。しかしそんな幸せが発端で、今日みたいな醜い争いが起きてしまう。当然と言えば当然かもしれない。制度自体が周囲との競争を意識した上でつくられたものなのだから、誰かが高い点数で高質な幸福を手に入れる一方で、当然その逆も存在もするわけだ。全体的に幸福の底上げと言いながらも、結局は誰かの悲しみや痛みが底に押しやられる形にはなるわけだ。


「幸せってなんなんだろうね」

「今あるこの生活は、幸せそのものだよ」

「うん、そうだね」


 結婚して、子供を産んで。それが幸せである為の必須条件のように、特に女性である私達にはそれが付き纏う。最近になってようやく、それだけが女性の幸せではないという流れが生じ始めたが、それでもまだその考えは根強いだろう。少し前に流行った負け組なんて表現をあまり耳にする事はなくなったが、口にはせずともどこかでその文化はまだ死に絶えず呼吸を続けている。

 くだらないと思い続けてきた。そんなものに左右されたくない。でも今、こうやって幸せな生活を手にすると、やはりこれがあるべき幸せなのだろうとも思う。それは女性としてではなく人間として生まれた本能的なものとして、誰かと人生を共にし命を授かるという事への使命に、見えない力で突き動かされているからなのか。

 幸せという目に見えない形を誰もが自然と求め、それを手に入れようとする。見えないからこそ、それを何かしらの形に当て嵌めて、幸せの代名詞とする。結婚もその一つかもしれない。


「結婚って、幸せなのかな」

「ん?」

「あ、ううん。何でもない」


 またやってしまった。相変わらず彼の前では口が緩んでしまう。


「いいよ、続けてよ。何か思う事があるんだろ?」


 それはこうやって彼が優しくしてくれるせいでもあるのだが。


「結婚ってさ、幸せの象徴みたいな感じじゃない。でもさ、どこか結婚イコール幸せになってて、そこに到達すればもうそれでオッケーみたいな、そんな感じがするの」

「目的と手段の違い、みたいな?」

「うん。幸せだから結婚すると、結婚したから幸せ。これって同じようで全然違うよね」

「そうだね」

「うまく言えないけど、それのせいで結婚してないから幸せじゃないとか劣ってるとか、そういう所に話がいっちゃったりするんだよね。だから私、くだらないなってずっと思ってた。そんなので幸せどうこう言われたくないなって」


 この話に明確なゴールはない。でも話出すといつも止まらない。自分の中にあり続けた疑問や鬱憤。さらけ出すのはいいが、こんな事を聞いて彼は困らないだろうかと喋りながら不安に駆られた。


「なるほどね」


 ふっと裕君の手が私の頭から離れる。そしてそのままソファからも立ち上がってしまう。促したのは彼だったが、やはり言葉にすべきではなかったか。

 彼は部屋の隅で屈みこみ、何やらごそごそしている。何をしているんだろう。そう思っているとほどなくして彼がまた戻ってきた。しかし横に座らず、何故か私の目の前に膝を立てて座った。


「じゃあ、しようよ。結婚」


 言いながら彼は、手にした小さな箱をぱかっと開いて見せた。その中には、小さいがどこまでも輝く光が治まっていた。

 思わず彼の顔と、目の前の指輪を交互に見る。


「結婚……?」


 つまりこれは……プロポーズ、という事になるのか。

 こんな唐突に? 

 あまりに唐突すぎて、日常にふいに現れたバグのように凄まじい違和感を覚える。でもそれは次第に心に溶け込み、温かく内側から外側まで私の全てを包んでいく。


「おいおい、泣くなよ」


 彼に言われて初めて、私は自分が涙を流している事に気が付いた。

 何故私は泣いているのだろう。でもそれは決して悲しいものではない。心が温かくなり、心に呼応するようにじんわりと滲み出してきた喜びの欠片だった。


 ――ああ、そうか。


 私は納得した。この心を包むものと、涙の意味を。

 幸せだ。これが幸せだ。私は今、幸せなんだ。


「嬉しい。すごく」


 私は今、笑えているだろうか。この幸せがちゃんと、彼にも伝わってるだろうか。

 

「そうか。良かった」


 裕君が、私の左手をとった。薬指に、すっと指輪をはめてくれる。

 はじめからそこにあったかのように、ぴったりとはまった。


「悪くなさそうだろ。結婚も」

「うん」


 ここがゴールではない。これはスタートだ。ここから幸せが始まる。なのに、今こんなにも幸せで大丈夫だろうか。


「これからもよろしく、美咲」

「こちらこそ、裕君」


 いや、いいじゃないか。こんなにも幸せでいれる事を、不安に思ったり恐れたりする必要などない。

彼と一緒なら、私は大丈夫だ。


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