(1)
「柊君?」
「はい?」
「いや、何か最近、良い事でもあったの?」
「いいえ。別に」
「そう……」
田上課長は不思議そうに私の顔を見たが、やがて諦めたのか視線を手元の書類に戻した。私は自分の頬を手でぐりぐりと触ってみる。
――顔緩んでるかな私?
いけないと思い、顔に力を入れる。相変わらず仕事に面白味はないし、やる気はないはずだが。
「美咲先輩、最近なんだか雰囲気明るいですね」
しかし課長だけではなく、真紀にまでそう言われてしまう始末。どうやら私という人間は自分が思っている以上に単純に出来ているらしい。
「いやいや、何にもないよ」
真紀になら言ってもいいかとは思った。でも、浮かれた自分を見せるのはまだ照れや恥ずかしさがあった。あくまでこっちの私はクールで通っている。真紀の事は信頼はしているが、だからと言ってふやけた自分を惜しげもなく見せられるかどうかとなれば、自分の中ではまだそれを良しとする事は出来なかった。が、それもどこまで持つのか。時間の問題かもしれない。
『今日もお疲れ。週末はどうする?』
携帯に九条君から連絡が来ていた。少し前まではありえないと思っていた出来事が、今や日常の中に当たり前に溶け込んでいる。
まだ少し不思議に思っている自分もいる。こんな事ってあるのか。でもそんな当たり前が幸せで、それを素直に喜んでいる自分もいる。頬が緩むのも当然だ。もはや不可抗力だ。
『アナタノコウフクドハ、55点、デス』
定期的に脳内に届けられる幸福度の診断結果も調子が良い。
赤点が常の私はようやく平均値に点数が乗り始めた。点数なんて測らないでと思いながらも、実際いい点が出てみると気分は悪くなかった。このあたりも単純なものだ。
また会えないか。彼にそう言われた同窓会の日、私は九条君と連絡先を交換した。
連絡を取り合うようになった私達は、改めて小学校を卒業してからの時間を埋めるようにいろんな話をした。それだけならば、そこより進展はなかったかもしれない。それで終わらず、私達の関係性が続いたのは、私と彼の位置関係だった。
お互い知らなかったが、私と彼の住んでいる場所は距離にして一時間程度で会えるほどのものだった。こんなに近くにいながら、私達は会う事もなかった。これなら何も同窓会で会う事もなかったじゃないかと笑い合ったが、きっかけとしてあの会がなければそれを知ることもなかったし、知っていたとしても言葉を交わす事はなかったかもしれない。
全ての歯車が廻り始めた。そんなふうに思えた。
くだらないと鼻で笑っていた人生。世間でいうような女としての幸せなんて無縁だと馬鹿にしていた私が、その幸せを意識し始めている。本当に、分からないものだ。
「分からないもんだよね」
「何が?」
「今こうしてる事が」
「本当に」
休日に時間が合えば、こうやって二人でご飯を食べに行ったりもする。味気のない私の生活では人間関係もしれているし行動範囲だって広くもない。かたや九条君はデザイナーという仕事柄、いろんな外的刺激を得る為にいろんな所に足を広げたりもしているし、人間関係も広い。私と真逆な彼が、こうして自分と同じ時間を過ごしている事が当然嬉しくもあるが、ふとその事を申し訳なく感じたりもする。
「どうした?」
「ん? ううん、どうもしないよ」
「なんか、顔暗かった」
「いや、私なんかといて、楽しいのかなって」
人の根の性格というものはなかなか直るものではない。昔はもっとひどかったが、さすがに大人になってそのままではいけないと思って、せめてあまりネガティブな事を口に出さないようにしようとは努めていた。けど、油断するとこんな調子でぽろりと口に出てしまう。特に彼といる前ではそうだった。その度しまったと思うが、いつも言葉に出した後なので始末に負えない。
「そんな事言うなよ。楽しくない相手をわざわざ誘って一緒に過ごそうなんて、そんな奇特な事を考える人間じゃないよ」
なんて自分は面倒な人間なんだろうと思う。わざわざこんな気を遣わせるような事を言ってしまう自分。なのに、嫌味一つ言わず優しい言葉で包んでくれる。
「うん、ありがと」
だから、私の気持ちがまた彼に傾き始めるのは当然の流れだった。