(7)
全身に電流が走るような感覚を覚えた。彼の言葉はあまりにも唐突だった。
「あの日以来、美咲、俺の事避けてただろ」
――嘘。そんな……。
もう私の事なんて見ていないと思っていた。あの日の限りの事で、彼の中で何てことのない時間で、引きずるようなものは何もないものだと思っていた。
「分かってたよ、薄々。勇気振り絞って言ってくれたんだって。それがどういう事を意味してたのか、さすがに小学生の俺にだって分かってた」
私の頭の隅に彼はずっと残っていた。でもまさか、九条君の頭に、私の事がそんなふうに残っていたなんて思ってもいなかった。
「でも、照れくさいって思ってしまった。どうしたんだって一言言うだけでも良かったのに。その一言が言えなかった」
あの時、私が言い出せなかった言葉。
その裏で、彼の中でも留めた言葉があったなんて、想像もしていなかった。
「美咲。あの時は、ごめんな」
頭を下げる九条君を前にして、さすがに私は慌てた。
「ちょっと、やめてよ! そんな昔の事、気にしてないよ!」
気にしていないは少し嘘だが、こんな風に謝られる事でもない。私が声を掛けると、九条君は頭を上げた。彼は頭をかきながら、申し訳なそうな表情をまだ浮かべていた。
「そっか。でも、ずっと自分の中でしこりが残っててさ。いつかこの話はしたいと思ってたんだ。だから、今日会えて本当に良かった」
真っ直ぐに私を見つめる目に、嘘偽りなど一切ない。
疑ってるわけではないが、私からすれば不思議で仕方がなかった。九条君がそこまでこだわるような事ではないと思えて仕方がなかった。
私の方は、彼への好意があった。だからいまだに、過去の気持ちの残骸のようなものがずっと残り続けて、それでもそれが大事で捨てきれずに取っておきたくて、私の中に残してきた。でも、彼が私の何かを彼の中に残して続けてきた理由が、私にはよくわからなかった。
「何年前の話よ。九条君がそこまで気にする必要なんて、どこにもないよ」
「あるよ。あるんだよ」
彼は何を言ってるんだろう。どういう事なんだろう。
「良かった。今日こうして話せて。来てよかったよ」
九条君はそう言って笑顔を見せた。
「なあ、美咲」
「何?」
「また会えるかな」
何だ。次から次へと、何が今起きてる。意識がぐらぐらする。それなりに酒は飲んだが、もう酔いはある程度冷めてきているはずだ。なのに、頭がぐらついて、思考がまるでついて行けない。
「だめか?」
また会える。今日で終わりじゃない。ゆっくりと言葉を噛み締める。
駄目じゃない。全然駄目じゃない。答えなきゃ、はやく。沈黙すればするほど、拒否の意にとられてしまう。
――でも。
「だめじゃない。だめじゃないけど……なんで?」
警戒ととられたのだろう。九条君の顔は不安で更に翳った。焦って私は、違うのと急いで首を振る。
「嫌じゃないよ。そんなんじゃないけど。嬉しいし。でもなんか、急だし。正直、なんでそんな事言ってくれるのか、全然分かんなくて」
そこまで言うと、彼の表情が少しだけ和らいだ。
「あの時の俺と、なんだか同じだな」
ん? と私は言葉の意味が分からず首を捻ると、それに答えるように言葉を続けた。
「あの日美咲が言おうとしてくれた言葉の意味を考えて、すごく後悔した。それと同時に、何でそう思ってくれたんだろうって思った。考えたけど、よく分からなかった。多分今の美咲が、まさにあの時の俺と同じような状態なんだと思う」
そう言いながら、困ったように彼は自分の頭をかいた。
「まあでも確かに、これじゃ気持ちの仕舞い所がよく分からないな」
自嘲気味に笑った後、彼は再び言った。
「難しい事はなんでもいいや。とにかく、また会えないかな」
少しだけ、少しだけ彼の気持ちを自分の中で理解出来た気がした。でも、そんなわけがないという気持ちが圧倒的に強かった。唐突すぎるし、こんなにうまい話があるわけがない。普段の擦れた疑り深い自分が顔を覗かせた。
真意は。本音は。
自分の予想するものと彼の本心が同じであれば、それほど嬉しい事はない。でもあまりに都合が良すぎる。良すぎるが、彼の言葉を借りるなら、難しい事はもうなんでもいい。
――いいじゃん。それならそれで。
考えるのをやめた。こんなふうになるなんて予想はもちろんしてなかった。でも、どこかで彼との次を夢見ている自分もいた。いざ形になれば不安や疑心もあるが、不満があるかと言われれば何もない。
「うん、いいよ」
考えはまとまっていなかった。だがもう面倒だった。こんな時にまでわざわざしんどい思考を巡らせるのも馬鹿らしくなった。
私は彼が昔から好きで、そんな彼とまた会いたいとどこかで思い続けて、そしていま目の前に彼がいる。それだけではなく、彼も私とまた会いたいと言ってくれている。これほどの幸せを、わざわざ自分の手で握り潰す必要などどこにもない。
「ありがとう」
安心したように彼が呟いた。
礼を言うのは、私の方だ。
ろくでもないと思っていた人生に、光が差し込んだ気がした。