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幸福偏差値  作者: greed green/見鳥望
二章 幸福の予兆
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(6)

「ほんと懐かしいよな。この道を毎日毎日通ってたんだよな俺達」

「九条君、なんかおじさんくさいよ」

「おじさんだよ。もう二十代後半なんだ。早いもんだよ」

「全然まだお兄さんで通用するよ。見た目も若々しいし。そんな事言ったら私だってもうおばさんだよ」

「よく言うよ。十分綺麗だよ」

「……そういう事をさらっと言わないでよ」

「え、なんか言った?」

「なんでもなーい!」

「うわっ! 急におっきい声出すなよ!」


 全くとは言えずとも、話しかけるまでの緊張に比べればかなり心はほぐれていた。会話も軽妙になり、私は純粋に今ここにある二人の空気を楽しんでいた。

 

 ――あの日以来か。この道を二人で歩くのは。


 二人並んでの下校。思い出せば一瞬で顔が熱くなるような記憶。嬉しさと緊張でどうにかなりそうになりながら、決死の思いで叶った彼との下校。

 そんな彼と、また同じ道を歩いている。そんな事をあの日の私は想像もしていなかった。そんな事は、二度と出来ないと思っていた。


「あ、この坂も懐かしいな」

「うん……」


“あの、帰り道、一緒だよね?”


 愚かなぐらい初々しかった自分。あの頃の私にはクールのクの字もないほど恥ずかしりがり屋で引っ込み思案で、人からどう思われているか、嫌われたらどうしようなんて繊細な気持ちに振り回されながら毎日を過ごしていた。


「一回だけ、一緒に帰った事あったよな。覚えてる?」


 当たり前だ。忘れるわけがない。


“私、九条君の事がね……”


「なんか恥ずかしいから、言わなくていいよ」

「何だよ。青春の思い出の一ページじゃないか」

「セリフがくさすぎるよ」


 思い出の一ページ。その厚みはきっと、枚数は同じでも彼と私の中ではきっと違う。

 

“私、九条君の事がね、ずっと好きだったんだ”


 頭がぐるぐるして、目眩がして、その場に立っているのもやっとの思いだった。

 九条君は表立ったスターではなかった。でも、「九条君って結構カッコイイよね」なんて静かに噂されるような存在だった。故に隠れファンは多く、彼に想いを抱いている女子は少なくなかった。無論その中の一人に私もいた訳だが。


「九条君の方こそ、よく覚えてたねそんな事」


 皮肉でもなんでもなく、純粋にそう思った。実際彼に告白した者だって私が知る限りでも何人かいた。そんな密かな存在ながらしっかりとモテ男だった彼が、私のようなその他大勢の、陰の方で目立たず想いを募らせていたような存在との一場面を覚えてくれていた事があまりにも意外だった。


「覚えてるよ。美咲って決して積極的な子じゃなかったし、自分から話しかけて来るようなタイプじゃなかっただろ。そんな子からいきなり一緒に帰ろうなんて言われたら記憶には残るよ」


 彼の中で私が特別というわけではない。当然の事だが、ただただ地味な私がいきなり彼を誘ったという事実が記憶として残っているだけで、それは私にとっての記憶の形とは大きく違う。

 

「そっか。そうだよね」


 ずっと好きでした。ノートに何度もその言葉を綴ってみた。書けば簡単にしっかり浮かび上がる言葉。頭の中では何回でも言えた言葉が、彼を目の前にして一切喉の奥から出て来る事はなかった。

 それが二度と彼とここを歩くことがなかった理由。そして、静かに恋が散った場所。

 ここは思い出深く、そして古傷が開くような場所でもあった。彼にとってはさして何でもない場所でも、私はここを通る度に身を切られるような辛い思いだった。辛くて、果てはこの坂を通る事すらやめた。

 彼に想いは届けられなかった。そこで私の心も折れてしまった。


 その後、私から彼に話しかける事はなかった。自分の気持ちをどうする事も出来ず、ただもう私から彼に近づく勇気はなかった。私には、彼に好きだなんて言える度胸も根性もなかったのだ。勇気を振り絞った癖に、傷つくのを怖がったのだ。彼にちゃんとぶつかろうとしなかった私に、彼に想いを伝える資格などない。

 思えば、私が擦れだした大本の原因はここにあったのかもしれない。

 彼は悪くない。自分で自分を勝手に傷つけているだけだ。どうにもならない自傷行為だ。でも辛くて辛くて、辛くても心に自分で刃を立てる事が止められなくて、自分の心についた傷と向き合わないといけない毎日が嫌になるという矛盾を繰り返した。

 どうする事も出来ない気持ちを癒すたびに、こんなにも好きになってしまった事自体がそもそも間違いだとすら思うようになった。必要以上に心を人に傾けて、それでこんな辛い思いをするなら、最初からそうしなければいい。そうやって自分の心を救おうとした。

 そうしてやっと、だんだんと気持ちが安らいでいった。でも、引き換えに他人へ心を開くという事が、いつしか出来なくなっていた。


「なあ、美咲」


 横を歩いていたはずの九条君の声が、少し後ろから聞こえた。不思議に思い振り返ると、彼はその場で足を止めていた。

 九条君の顔は、さっきまでの柔らかいものではなく、どこか反省するような硬い表情に変わっていた。


「ごめんな」

「え?」


 何に対しての謝罪なのだろう。彼の言葉の意味を汲み取ることが出来ず、急な彼の態度の変化に私は戸惑った。


「あの日、本当は俺に何か言いたかったんだろ?」


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