(5)
「く、九条君」
緊張のせいか声量の調整が出来ず、思ったより大きな声が出て思わず自分でも驚いてしまう。九条君は私の声に気付き私の方を見た。遠目で見るより、近くで見る彼はやはりカッコ良かった。
「ああ、美咲。美咲は二次会行くの?」
柔らかい笑顔で話しかけてくれる。それだけで胸が高まっている自分がいる。
「どうしようかな……九条君は?」
「うん……休みは休みなんだけど、やっておかないといけない仕事があるからね。残念だけど、ここで帰ろうかなって思ってる」
声をかけて正解だった。けど、参加しないのなら話せる時間は限られている。いっぱい喋りたいと思ってたのに。そう思うと心がとても悲しくなる。でも悲しんでいる場合じゃない。せっかく切り開いた時間だ。悔いを残さないように。そう自分を奮起させ、彼へと言葉を投げかけた。
「そっか、忙しいんだね。何の仕事してるの?」
「建築デザイナーだよ。それなりに大変だけど、これが面白くてね」
「すごい! デザイナーだなんて、そんな才能あったなんて知らなかった」
「才能だなんて。色々勉強して何とかだよ」
言いながらも、彼の表情は仕事の充実さを物語っていた。自分がやりたいと思ったことに打ち込み、そして誇りをもって臨んでいる。そんな一面がかい間見えた。
「美咲は?」
「ん?」
「仕事。何してるの?」
「私? あ、ああ。事務職だよ。どこにでもあるような会社の。単純作業ばっかりで、退屈な仕事だよ」
彼と自分の姿を比べて、思わず自嘲気味な言葉が出てしまう。せっかくの会話なのに、愚痴っぽい事を言ってしまって、彼に悪い印象を与えしてまっていないかと全てを言い終えた後に後悔が襲ってきた。でも、言い終えた私の言葉を聞いて、彼は「はは、そっか。退屈か」と綺麗に笑い飛ばした。
「でも、その仕事を美咲がやってるから、他の社員さんも仕事が出来て会社がまわるんだよ」
――ああ、やっぱり素敵だ。
こんな風に言葉を返せる彼は、やっぱり優しい人だ。綺麗事じゃないかと思えなくもない言葉だが、もちろん九条君は着飾ってこんな事を言う人じゃない事を私は知っている。
「美咲も頑張ってるんだな」
「そ、そんな事、ないよ」
だからこそ自分が恥ずかしくなる。真っ直ぐに仕事に対して向き合って、着実に上に登っていこうとしている彼と違って、私は今の仕事に何のやりがいもない。もっと言えば、生きていく事にすら無気力に近い。面倒な目に会いたくない。穏やかでいたい。出来るだけ生きる力を削られないように生きていこうとしている。そんな私と違って、九条君は自分の姿勢を誇示したりもしない。それが余計に私の気持ちを後ろめたくさせる。
「さて、俺はそろそろ行こうかな。美咲はどうする?」
「え、あー……うん……」
酒も相当入りがやがやしている皆は、ぞろぞろと二次会の会場と思しき方向に進んで行き始めていた。その中に翠の姿を見つけた。翠は一瞬あら、と驚いたような顔を見せた後、にっと笑って見せた。
頑張れよ。そう言うように私に片手をあげた。
――そうだよね。
こんなチャンス、もうきっとない。
今までだらだらと生きてきた。何も面白くないと斜に構えてきた。でも、今日は、今は違う。この感覚を私は大事にするべきだ。
「私も、いいや」
「いいの? 皆行っちゃったけど」
「いいの。もうこれ以上飲めないし」
「はは、確かに。あいつら皆、これから意識飛ばすぐらい飲みそうだしな」
彼の笑顔に、私も合わせて笑顔になる。まともで冷静な意識なら、踏み出せなかったかもしれない。本当にこれ以上お酒を身体に入れるのはしんどくて無理だというのもある。でもそれ以上に、今目の前にある選択肢を私は間違えてはいけない。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
私は九条君と並んで歩き始めた。