第06話 マサシ セクハラに悩む
人生って何だろう……
午前のホームルーム。先程までの喧騒は静まりを見せており、担任の横川が事務連絡を淡々と伝えている。身につけるものには差異はあれど、朝の空気自体は元の世界と何ら変わりはなかった。
――確かにこの世界は好ましくないことが多い。
俺はクラスを一望する。
――元の世界に戻れるよう努力はもちろん欠かさない。ここは俺の世界ではないからだ。
千駄ヶ谷さんは白。リボンとレースギャザーが可愛い。清楚で可憐。その装備は千駄ヶ谷さんそのものを表していると言っても過言ではない。
――しかし、この世界を何も否定することはないと思う。
浜松さんは赤いスポーツブラ。慎ましやかな胸とブラ、そして赤いフレームの眼鏡は見事はコーディネートだ。透明感のある鮮やかな色彩のバランスはフランスの画家スーラを思い起こさせる。
――この世界には、この世界の素晴らしさがあるからだ。
藤枝さんは、白色に薄緑の花がプリントされている。綺麗な球体を包み込むその白地はやや膨張しているためか、花の絵柄は横に広がっている。白い砂浜に広がるエメラルドグリーンの波の干渉模様のようだ。
――かけがいのない級友達と過ごす青春は、どの世界でも色褪せることのない宝であることに変わりはないと思いたい。
「先生からの連絡は以上だ。ではこれより皆のセクハラ値を確認するぞ」
「ふぁっ!?」
変な声が出た。
いつの間にか、ホームルームは終わりを告げたようだ。いや、そんなことはどうでも良い。
…………まてまてまてまて。ウェイト・ア・ミニッツメイド!
どうどうどうどう。落ち着け俺! 深呼吸。そう、深呼吸は中国語では深呼吸。
「なんでそんなもん測るんだよ! どうやって測るんだよ! そもそもなんでセクハラだけなんだよ! パワハラ、モラハラ、セカハラ、オワハラ、アカハラ、アルハラ、ジェンハラ、キャンハラ、マタハラ、リスハラ、スクハラ、ドクハラ、カラハラ、スモハラ、ブラハラ、エレハラ、エイハラ、シルハラ、ドスパラ、マリハラ、スメハラ、ペハラ、エアハラ、ソーハラ、カジハラ、ゼクハラ、パーハラ、テクハラ、ラブハラ、レイハラ、レリハラ……他にも一杯あるだろうがぁぁ!!」
呼吸すらも許さない俺の突っ込みが気怠げな朝の空気を斬る。
「……斎藤、マサシを頼む」
横川は極めて冷静に対処した。
「はい。……てか、マサシ、お前すごいな。どんだけハラスメントに敏感なんだよ」
斎藤はもはや、俺が突然叫ぶことに疑問を覚えていない。
◆ ◆ ◆
横川はおしゃれな金色のモノクルを身につけていた。モノクルに施された意匠はきめ細かく、相当に値段が高いことが示唆された。
身長測定器のようなものの上に安居君が立たされていた。その後ろにはクラスメイトが列を作っている。もちろん俺も列んでいる。
「安居……195」
横川が数値を読み上げる。どうやら、身長測定器とモノクルはセットでセクハラを測定する機械なのだろう。
続いて麁玉君が機械の上に立つ。
「麁玉……18って、低すぎるな。もうちょっと、力を抜け。」
「すみませーん」
ある程度リラックスしないといけないらしい。これは良いことを聞いた。
「麁玉は210……」
他の疑問点は、絶対値がどの程度高いとセクハラ認定されるかだな。
雷電だ。雷電が必要だ。
俺はちょいちょいっと手招きし、斎藤を召喚する。
「どこからがセクハラ認定だ?」
「認定って……300もあれば凄いセクハラだと思うけど? 学生だしね」
思ったより閾値が低い。ジェントルマンの麁玉君で210だぞ。俺は低く見積もっても、麁玉君の7倍はセクハラしている。斎藤は20倍だ。
そうこうしているうちに斎藤の順番になった。
「斎藤……550」
よし、斎藤がセクハラ認定された。斎藤のセクハラ認定に周りもざわざわしている。
「近藤……330」
「匂坂上……310」
「満水……400」
続々とセクハラ認定されていく。この分だと、多少300を超えても大丈夫だろう。どうか少ない数字でありますように。神様仏様稲尾様。
俺は目をつぶり祈りを捧げる。
「マサシ……マサシ、お前の順番だ。寝るな」
失礼な。神に祈りを捧げるこの崇高な閉眼を見てわからんのか。心の声とは裏腹に唾を飲み込みながら、恐る恐る機械の上に立つ。そして、両手を天高く上げ、手首を返し、指先は地面に向ける。左足を上げ、片足立ちになる。そう、鶴のポーズだ。リラックスなど欠片もしていないぞ。
「……まあ。いい。じっとしてろ」
横川が目を凝らし、モノクルに浮き出た数字に焦点をあわせる。
緊張の一瞬だ。
「マサシ……18万6千」
……じゅうはちまん……ろくせん……じゅうはちまんろくせん……18万6千!
「ファンデルワールス!」
俺の頭の処理が現実に追いついたとき、思わず叫んだ意味不明な台詞が教室に響き渡った。
周りを見やると、皆は唖然としていた。
おお。わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?
温かな液体が頬を伝う。
パチパチ……パチパチパチ……パチパチパチパチパチパチ
静寂の後、皆が拍手しだした。
「ハラッセオ」「ハラッセオ」
何故か「ハラッセオ」という意味不明な言葉が呟かれる。なんだ?
「ハラッセオ」「ハラッセオ」「ハラッセオ」「ハラッセオ」
皆が俺を中心に輪を作り、「ハラッセオ」と言いながら拍手し、温かな視線を向けてくる。
「ハラッセオ! ハラッセオ! ハラッセオ!」
徐々に言葉は強くなり、激しく俺を責め立てる。
先生止めてください。そう思い、横川を探す。
「ハラッセオ!」
横川は輪に混じって、同じように叫んでいた。
「お前もかよ!」
全ての理不尽を込められた俺の左拳は、深く沈み込んだスリークォーターから掬い上げるように打ちだされる。右顎を撃ち抜かれた横川は、宙に浮き、ゆっくりとゆっくりと重力に負ける形で地に落ちた。
……そして、俺は生活指導室に呼び出され、反省文を書かされることとなった。