第05話 マサシ セクスィを知る
今回コメディなしです。
――――神が地上を視るとき、その眼に人間はどう映るのだろうか?
勤勉な人間を好ましいと想っていただけるのだろうか。
愛情深きことは、希望を持つことは、信心深きことは、公正なことは、耐え忍ぶことは、慎ましやかであることは、本当に神が考えた美徳なのだろうか。
人の成功を妬むことは悪徳なのだろうか。
必要以上に食事を取ることは、欲深いことは、憤りを覚えることは、怠けることは、虐げることは、欲情に溺れることは、本当に神が考えた罪なのだろうか。
……私には、人が世界を作るにあたり定めた規律にしか思えない。
神が何にその眼を向けているのかがわかるのだとしたら、それは覆るのではなかろうか。
◆ ◆ ◆
『Q ペットショップの猫を選ぶときにどういう基準で選ぶか?』
俺の書いたとあるノートの1ページ目にそう書かれていた。
まず、思い浮かぶのは種類だろう。
アメリカンショートヘア、スコティッシュフォールド、ブリテッシュショートヘア……売れ筋はカワイイ猫が多く、目を引く。
他には雌雄、年齢、表情、あどけない仕草、つぶらな瞳、甘える鳴き声……細かく分析すると、好みにも様々な要因があり、結果として人々は猫を選択する。そしてその殆どの要因が、外的要因である。インターネットで検索するときも、性格を検索する人は殆どいないだろう。
ページをめくる。そこには先の質問に対する答えはなく、次の質問が書かれていた。
『Q 神が人を視るとき、質問1に類似したものなのであった場合、どうすれば神に選んでいただけるか?』
同じであるなら、最初は内的要因で選ばれない。外的要因で選ばれ、注目されることにより内的要因の良さを視ていただけるようになる。
……しかし、どうしようもないものが多い。猫の例えで言うと、実際に行うことができるのは、仕草や目を潤ませることくらいだろう。キジトラに生まれた以上、三毛猫になることはできない。
『そう、生まれ持った要因以外で、故意に神の注目を集めることは出来ることが限られている。
……そして、この世界では、人に出来るその最後の足掻きを【セクスィ】と呼ぶ。』
続く3ページ目には、俺の知りたかった答えが書かれていた。