第66話「クラスメートに話しかけられないくらいで、死ぬことはない」
「何で勇気が出ないのかなあ……」
人気のない公園のベンチに腰を下ろし、コンビニで買った棒アイスをかじりながら、宇都宮凛はしみじみとつぶやいた。隣に座った八嶋妙は、チルドカップのカフェラテをすすった。
「見てる方が性に合うタイプだもの、私たちは」
「そうかもねえ」
「しかも、相手がるなさんだし」
「ほんとに」
妙の言葉に、凛はいちいち深くうなずく。本心から同意している、というより、それは、自分の心を納得させようとするための儀式みたいに見えた。唇の横についたアイスのかけらをなめとって、凛は、あまり整っていない前髪の奥から、たそがれる夕方の公園を眺めている。
そうしていると、身も心も、この憂愁の景色の一部に馴染んでしまいそうな気がする。
凛も妙も、好きこのんでこんなうら寂しい場所の片隅に座り込んでいるわけではない。女子高校生が放課後に落ち着いてしゃべる場所は、意外と多くないのだ。
のんびり座って話し込めるカフェは、少々彼女たちには敷居が高い。ファーストフードの騒々しさは嫌いではないが、当の西園寺るなとはち合わせる可能性が恐い。そして、互いの部屋に行くほど、ふたりの関係性は深いわけでもない。
そうしてたどり着いたのが、公園だった。今時の少女たちには、たむろできる場所もないのかもしれなかった。
「……『そのアクセ、どこで買ったの?』って。たった12文字だよ、言ってみれば」
「俳句より短いのにねえ」
妙の言葉を聞いて、凛はがっくり肩を落とす。手の中で、上下にぴょこぴょことアイスが動く。うっかりすると真下に滑落しそうなそのアイスをじっと見つめる凛の面もちは、まるで、自分もそのアイスみたいに落下して、潰れて崩れてしまえばいい、とでも言いたげだった。
クラスメートに話しかけられないくらいで、死ぬことはない。そんな教条的な慰めは、きっと凛の耳には届くまい。妙は、だから何も言わずにおいた。
長くなりすぎた髪を、かるくかきあげて後ろに流す。そうして、隣にいる凛が死にそうな顔をしているのを、しばし無言で見つめる。
教室にいるときは、凛の姿はよく見えない。妙の席と、凛の席の間に、ちょうど西園寺るなが座っているからだ。
その高身長と、カバンや制服や素肌を覆い尽くすような派手なアクセサリーと、自信に満ちた普段の所作とで、るなは教室でもかなり目立つ存在だ。真後ろの席にいる妙にとって、その威光はまぶしいくらいで、ときどき目が疲れるような気分になる。
クラスでもいちばん派手なギャル系のグループにいるるなは、妙や凛とは接点がない。たとえ同じ学校で10年以上過ごしていても、まとう空気が違えば、触れ合う可能性は無に等しくなる。るなと妙たちは、そういう水と油のような存在だった。
そんな相手に、凛が興味を抱くようになったのは、1週間ほど前。
凛たちが愛好するインディーズバンドのグッズを、るながカバンにつけていたときだ。
その、ほんのささいな接点が、どうやら凛の心をはげしく揺さぶったらしい。
凛が、真後ろにいるるなの方に目を向けようとして、不自然に肩をそびやかしたり、シャーペンを落としたふりをするのを、妙はずっと見ていた。
話しかけようとして、口を開きかけて、すぐに閉じてしまうのも、見ていた。
そして、ひっそりと後悔のため息をつくのも。
肝心のるな自身は、たぶん凛の一喜一憂にすこしも気づいていないだろうことも、すぐ真後ろにいる妙には分かっていた。
「そういや、こないだ妙さん、芙美さんと話してたよね」
「なに、急に」
唐突な話題に、妙は首をかしげる。新城芙美と妙が話したのは、つい昨日。水泳の授業から帰るときの、ほんのささいな雑談だ。
「いや、芙美さんって、るなさんのグループでしょ? 関係あるのかな、と思って」
「ぜんぜん。どうでもいい話だよ……夢の話とか」
「将来の?」
「ううん、寝てるときの」
「はあ……」
「何、自分から訊いといてそのリアクション」
「芙美さんと妙さんの会話が想像つかなかった」
「そういうもんよ」
よく知らない相手と何を話せるかなど、事前に予測できるものではない。まさかあの夢の話を芙美に打ち明けてしまうなんて、自分でも思いも寄らなかった。
「凛さんも、あんまり気負わずに話しかけてけばいいのよ。意外と話、弾むかもしれないし」
「えぇ……でも、あっという間に会話途切れそう。気むずかしそうだし」
「そう? るなさん、わりと誰とでも気安く話してない?」
「そうかな?」
そこで凛が疑問を呈するのは、なんだか釈然としない。これではまるで、妙の方が、るなのことをよく観察しているみたいだ。
とはいえ、案外その通りなのかもしれない。凛の目に映っているのは、るなのつけていたアクセサリーだけで、ひょっとすると中身には興味がないのかもしれなかった。
そんな状態では、話しかけるのも恐くなるだろう。未知のものが恐いのは、人の摂理だ。神父さんの説法でも、そんなことを言っていたことがあったような気がする。
「ううん」
凛は、滑り落ちそうになっていたアイスをくわえた。着色料で真っ青なアイスをかじって、飲み込むまでの間、彼女は無人の遊具をひどく遠い目で見ていた。
子どものころは、とても大きくて頼もしく見えた動物の乗り物も、今となってはひどくみすぼらしく、体重をかければかんたんに壊れてしまいそうだった。公園そのものが、無限の広がりを内包した空間から、ただの空き地に変わってしまった。
妙も、凛と同じ方を眺めながら、カフェラテを口にした。ミルクばかりが濃くて、けれど、そのくらいが妙の口にはちょうどいい。コーヒーの苦味がほんとうにわかるような歳ではないから。
撫子組になら、ブラックコーヒーの飲める子がいそうだ。それが誰とも、彼女たちにはわからないけれど。
「……今度さ、るなさん、ご飯にでも誘ってみれば?」
「へっ!?」
口の中のアイスを吹っ飛ばしそうになり、凛は慌てて口を拭った。数秒して、ごくり、とアイスを飲み込んで、ふう、とひと息。
「ハードル高い! 高すぎ!」
「別にディナー誘えとかでなくても、お昼どう、とかさ」
「叶音さんたちに混じって……? むりむり!」
「じゃ、今度ためしに私が誘ってみるよ」
「それもだめ!」
ああ、と、妙は気づいた。凛はたぶん、この状態、宙ぶらりんで頭を抱えて妙と話しているのが、いちばん満足なのだ。ずっと悩んで、苦しんで、どうしようもない自分に浸っていたいのだ。
だったら、もう妙から言うことはない。凛も、放っておけば何も喋らず、ひとりで呻いているばかりだろう。
そういう時間がいやかと言われれば、そうでもない。たぶん、妙も、凛と同じ穴のむじななのだろう。
まだ日の高い夕暮れの中、ふたりはそうして、並んだまま座っていた。それからはもう、るなの話はしなかった。
ある意味、昨日の続きの話。




