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第64話「生活する場所だからね、楽しくなくちゃ」

 駅ビルの地階、スポットライトのような白い照明に彩られた百円ショップを訪れると、武藤(むとう)貴実(たかみ)はいつも、ほんのりとした高揚を感じる。田舎のテーマパークよりもずっと華やかな店内装飾と、原色の素材をそのまま使った色とりどりの商品には、客の心を刺激する波長がふんだんに含まれているに違いない。


「何を探してるんだっけ?」


 貴実は、隣にいた春名(はるな)真鈴(まりん)に訊ねる。彼女とは家が近いおかげで、ときどき帰りがいっしょになる。翠林女学院の生徒はだいたい駅より北に住んでいるから、線路を越えた先までつき合ってくれる相手は、わりとめずらしい。


「んー、マステと糸と……そうそう、洗濯ばさみがひとつ壊れちゃったんだよね」


 彼女は慣れた足取りで、棚の間をすいすいと歩いていく。その後ろを歩く貴実は、ついつい棚の商品に目を引かれて、つい足取りが鈍ってしまう。こういう場所だと、うっかりよけいなものを買ってしまいそうになるが、ぐっと堪える。

 そして真鈴は、マスキングテープの棚の前で足を止めた。


「あ、この柄いいな、新しい奴」


 棚を上から下まで見渡し、真鈴が選んだのはブラウンと緑のストライプ柄。いかにもナチュラル志向、というその色合いは、真鈴のふだんのファッションにはあまりそぐわない。


「へえ、そういうの好きなの?」

「あたしじゃなくって、おばあちゃんがね」


 言いながら、真鈴は他のテープの柄もチェックする。手のひらの中でためつすがめつする彼女の眼光は鋭く、その表情は真剣そのものだ。

 自分のものではなく、他人のためにこういう顔を出来るのが、春名真鈴だった。


 彼女の言う”おばあちゃん”が、実の祖母ではないことくらいは、貴実も知っている。

 真鈴は、福祉活動の実績によってAO入試に合格し、高等部から翠林に編入してきた。学校でもボランティア部に所属して、放課後や、休日にまで街の各所の福祉施設を回っているらしい。

 真鈴には、きっとたくさんの”おばあちゃん”がいるのだ。


「何か最近さ、流行ってるんだよね、ホームで。ケータイとか杖とか車いすとか、何でもかんでもマステぺたぺた貼っちゃうの。自分の持ち物だって主張してるみたいな感じで」

「いまいち想像しにくいんだけど……」


 百均のマステで華やかに飾られた介護施設、というのは、いまいちピンとこない。貴実の頭にあるホームのイメージはむしろ病院に近いのだろう。真っ白い壁と天井、まっさらのリネンと、健康的で味の薄い病院食。

 あんまり色が多すぎるのは、何か不謹慎な気がしてしまう。

 貴実のそんなもやもやを、真鈴は朗らかな声であっさりと笑い飛ばす。


「生活する場所だからね、楽しくなくちゃ」


 はっ、とした。

 立ち尽くした貴実を横目に、真鈴は、手にした買い物カゴに数本のマステをいっぺんに放り込む。


「次はあっち」


 歩き出した真鈴に、貴実は慌ててついていく。真鈴は、しゃがみ込んで商品を検分する客の後ろを軽やかに通り抜け、カラフルな刺繍糸や布を次々に指さす。


「地味なものに囲まれてると、心も地味になっちゃうもの。おじいちゃんおばあちゃんは、ただでさえ動きにくくて、お部屋にいることも多いからさ。お部屋や持ち物を楽しくしといた方が、気持ちも晴れるってわけ」

「なるほどね……」

「貴実さんだって、しょぼい家具ばっかりの部屋じゃつまらないでしょ? シャーペンとかかわいい奴使いたいでしょ?」

「あー、うん。そっか、年を取っても気持ちは女の子、って感じか」

「それそれ」


 真鈴はひょいと刺繍糸をカゴに入れる。彼女の脳裏には、きっとここから生まれる華やいだ生活の風景が見えているのだろう。年経て節くれ立った老女たちの指先は、貴実よりもずっと器用に布を縫い合わせ、シールを貼りこなし、日々を健やかにしていくことが出来る。

 きらきらとすがすがしい生活の風景は、どこにだってあり得る。それは、ちょっとした工夫の産物だ。


 貴実も、何も買わないのがもったいないような気分になってきた。あらためて棚を見回すと、キッチン用品や小物はほんとうに充実している。ちょっとした収納や、あったら便利そうなグッズが、所狭しと並んでいた。


「これだけあれば、ここだけで生活できそう」

「コンビニと百均だけで完結しちゃう生活、あり得るね」


 苦笑いする真鈴には、ひょっとしたら、心当たりでもあるのかもしれない。


 ともあれ買い物を終え、真鈴と貴実は駅ビルを出た。まだ明るい夕方の街並みを眺めると、このまま帰宅するのがもったいなくなる。あたりを歩いている人々も、帰路と言うよりもむしろこれから出かける雰囲気のように見える。


「真鈴さん、これからヒマ?」

「ん、うん」

「それじゃ、いっしょに晩ご飯とかどう?」

「いいけど……あんまり高いとことか勘弁よ?」

「分かってるって」


 貴実だって、奨学金をもらっているような生徒だ。翠林の他の生徒みたいに、金に糸目をつけない生活をしているわけじゃない。


「どっちかっていうと、量を心配した方がいいようなとこ。真鈴さん、体ちっちゃいけど大丈夫?」

「そういうの、嫌いじゃないよ」


 目を見交わして、ふたりはいっしょに笑い合う。いつも学校では見せないような、ちょっとぎらついた視線。


「よかった。撫子組で仲のいい子、あんまり誘えなくてさ」

「ああ、なんか分かる。食細そうだよね、範子(のりこ)さんとか」

「それより恵理早(えりさ)さんよ。あの子がパン以外のもの食べてるの見たことないんだけど、あれで栄養足りてるのかなあ?」

「霞を食べて生きてるイメージ……」


 教室では言えないような冗談で、くすくすと笑う。と、ふと真鈴は真顔になって、貴実の顔をまっすぐ見つめた。


「貴実さんがそういうこと言うなんて、けっこう意外。学校だとけっこうキツい感じだし」

「そう? 私もわりと、はめ外す時は外すよ? 時と場合はわきまえてるの」

「何かほっとしたよ、貴実さんも、けっこうカラフルって感じで」

「そんなに私、お堅く見える?」


 心外な思いで、貴実は首をひねり、きゅっと縛った髪をもてあそぶ。1年撫子組は奔放な生徒が多くて、クラス委員の貴実は彼女たちを仕切らなくてはいけない時もある。そういう損な役回りを嫌いだと思ったことはないが、それだけが自分だと思われているのなら、すこし寂しい。

 その隙間を、真鈴が埋めてくれるのかもしれない。


「じゃあ、私も真鈴さんのカラフルなとこ、見てみたいな」


 貴実がそんなことを言うと、真鈴はふいに、大人びたような顔をして、肩をすくめた。


「それはまた、そのうちにね」

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