第56話「お祝いする? パーティとか?」
「たぶん、つき合い始めたね」
放課後のファーストフード店、奥まった席のそのまたいちばん奥に陣取って、内藤叶音はそう言い放った。
一瞬、テーブルの上が静まる。店内を流れる、CD売り上げの上位だという軽快なアニソンが、やけに叶音の耳にくっきり聞こえた。CDで売れている曲、というのは、叶音とはあまり関係ない世界の音楽で、こういう時しか聴く機会がない。ふと耳を傾けて、意外といい曲だな、と思ったりする。
「それ、誰と誰の話?」
向かいに座った西園寺るなが、落ち着いた声音で訊ねる。るなの横では、春名真鈴が驚きを隠せない様子で、ぐっと唇を引き締めたまま叶音を見つめて、答えを待っている様子だ。叶音の横で、新城芙美はじっとうつむいて、話題そのものに対応しかねているようだった。
元はといえば、るなの言い出したことだ。今朝から教室の空気がおかしかった、と、るなは敏感に察知していたという。何が原因なのか、と首をひねっていた3人に対して、たぶん、と、叶音は自分の推測を告げたわけだ。
そして叶音は、るなの問いに、すぐに答えた。
「愛さんと沙智さん」
「えー、あのふたり!? そうなんだ!」
目を見開き、顔を紅潮させた真鈴が机に身を乗り出す。テーブルの上で食べかけのアップルパイが一瞬跳ね上がるくらいの勢いだ。そこまでびっくりされると、むしろ叶音のほうが戸惑ってしまう。翠林の高等部ともなれば、あっておかしくない話、というつもりだったから。
るなの方は、落ち着き払った様子でコーヒーフロートをストローですすり、ちょっと眉をひそめる。
「むしろとっくにつきあってるみたいな感じ、なかった?」
「あたしも、んな気してたんだけども」
叶音はうなずいて、ぬるくなったカフェラテのカップを手持ちぶさたにもてあそぶ。店内の冷房は、冷え性気味の叶音にはちょっときつい。こういう場所では、真夏こそ熱い飲み物を頼みたくなる。
「でも、今朝は距離感、ちょっと微妙だったかな、って思った」
「まあ、言われてみれば」
「けどほんとにつき合う感じなのかな、それって? 喧嘩したとか、そういうんじゃ?」
真鈴が口を挟んでくるが、叶音は首をひねる。
「だったらもっとギスギスしてそだし。そーゆーとげとげしい雰囲気でもなかったっしょ。もっとこう、ふわーん、としてたような」
「うーん」
今度は真鈴が腕組みして黙り込む番だった。そんな彼女をよそに、るなはカップを脇に置いてちょっと叶音のほうに顔を傾ける。
「でも叶音さん、よく見てるね、愛さんたちのこと」
「……そうだよ。そんなに興味ある?」
るなの問いにかぶせて、芙美もじっと叶音の様子に注目する。今日の芙美は、特に化粧っけもなく黒髪を下ろしているので、うつむき気味の位置から目線を向けられると、なんだか闇の奥から見つめられているみたいで不穏だった。もっとぱっとするメイクや髪型を叶音が教えているのに、どうしてか、芙美は自分からあえてそういう暗い顔を選んでいる節がある。
「そこまでじゃないけどさ。ただ、ちょっとかおさん……薫子さんから、小耳に挟んで」
「なんて?」
「え? いや、たいしたこっちゃなくて」
芙美の問いに、叶音はかるく答える。実際、ほんとうにたいした話ではなかった。薫子が、電車で乗り合わせた棗沙智の表情がひどく悩み深げだった、みたいなことをちらっと話しただけだ。
その言葉が印象に残っていたから、すこしだけ、沙智の様子をしっかり観察していた、というのはあるかもしれない。
そして、沙智が愛に向けるまなざしが、とても優しくて幸福そうだったから、どんな変化が起こったのかもだいたい察しがついた、というだけ。
実際に、沙智と愛の間に何があったのかはうかがい知れないし、叶音が踏み込むことでもない。
「深く立ち入るよな話でもないし、いいじゃん、そこは」
「まあ、そうね」
「でもびっくりだよ。ほんとにそんなのあるんだね。女子校って」
外部生の真鈴にとっては、どうやら衝撃的なエピソードだったらしい。ずっと翠林に通っている叶音たちの感覚の方が、ちょっと特殊なのかも、とは思わなくもない。
「ずっと同じ学校に通って、いっしょにいたら、自然と好きな相手ができるよ。女の子同士でもさ」
叶音がそんなふうに言うと、るなもうなずく。
「そうそう。それに人口比で言えば、クラスにひとりかふたりくらいは同性が好きな子がいるっていうし」
「へー、そんなもんなんだ」
るなの豆知識に、真鈴は感心しきりの様子だ。こういう情報を、すなおに受け止めて受け入れられるところが、真鈴のいいところだと思う。特殊だ、とか、変だ、みたいなことを、彼女はひとことだって口にしない。
「でも、ほんとにつき合ってるんなら、どうすればいいのかな? お祝いする? パーティとか?」
「結婚式でもあるまいし」
真鈴の提案にるなは苦笑する。でも中学じゃカップルができたらみんなでプレゼントしたよ、と、真鈴は無邪気なことを言っている。どうやら真鈴の友達はいろいろオープンだったらしい。
うらやましい話だ、と、叶音も笑いがこぼれる。
「そっとしとけばいいんよ、こういうのは。わざわざ公表することでもないしさ、芸能人じゃなし」
「……それもそっか」
「騒ぎ立てられたくない人もいるもの。こういう話は」
芙美がそう言って、さもありなん、と、みんなしみじみとうなずいた。
それから、るなと真鈴と別れて、家の近い叶音と芙美だけが、いっしょの道を帰ることになる。それが、4人のいつもの道行きだ。
普段なら、叶音がよくしゃべって、芙美が相づちを打つのだけれど、今日は珍しく芙美の方から話しかけてきた。
「……誰かと誰かがつき合ってる、って、そんなに分かるもの?」
彼女はちょっと髪をかきあげて、のぞき込むような目で叶音の横顔を見つめている。彼女はときおり、そういう探るような目をする。
「ちゃんと見てれば、なんとなく、ね」
「うちのクラスで、ほかに、そういう感じの人っていると思う?」
「そこまではわからんって」
沙智のことだって、薫子に言われたから注目していただけのことだ。他の生徒のことまで、そこまでまじまじチェックしてなんていられない。自分と、自分の周りの子たちを見ているだけで、けっこう忙しいのだ。
「詮索するようなことじゃないっしょ、そゆのは」
「……うん」
芙美はどこか、納得していないような顔をしていた。濃いまつげの奥で、瞳が不満そうに揺れている。自分の話もしたがらないし、他人に話を聞こうとしないのに、芙美は、ときおりひどく他人のことを知りたがる。
下ろした髪の奥から、表情を知られずに、世界をのぞき込むみたいに。
安全な場所から世界を知り尽くしたい、とでもいうみたいに。
叶音は、そんな芙美の肩を、ぽんぽんと叩く。芙美は、びくりと身をすくめるが、叶音を避けたりはしない。
触れられるのは苦手でも、叶音だけは受け入れてくれているらしい。
「あたしは、何か大切なことがあったら、ちゃんと芙美さんには話すから」
「……うん」
こくり、とうなずいた芙美の表情は、ふたたび黒く長い髪に隠れた。目を細めた叶音は、他愛ない話題を繰り出しながら、芙美と並んで帰った。
仲良し4人組。みんな揃ってエピソードに出てくるのは実は今回が初めてですね。




