第5話「最高! じゃないよ!」
光原青衣の長い黒髪の合間を縫って、イヤホンのコードが胸元に延びている。彼女の頭は前後左右にリズミカルに揺れ、かすかに動く口元は歌詞を刻んでいるようだ。
今朝の彼女は、登校してきたときからずっとこの調子だった。休み時間になるとすぐにイヤホンを耳にさして、スマホにインストールした音楽をしじゅう聴き続けている。授業の最中も、先生の話なんかまるで耳に入らない様子で、まるで曲の残響が残っているみたいだった。
「夢中だね、青衣さん」
「ほんとに」
邪魔しちゃ悪い、とばかり、八嶋妙と宇都宮凛はひそひそ声でささやきあう。
彼女たちはだいたい音楽好きで気が合っている友達なので、青衣の気持ちはお互いよくわかる。お気に入りの新譜が出れば、ずっと聴き続けたくなるのがファン心理というものだ。
そんなわけで、妙と凛はちらちらと青衣の様子をうかがいつつ、小声で雑談を続ける。
とりとめもない話をゆるゆると続けていたところ、ふと、妙は青衣と目が合った。頭を揺らしているのは変わりないが、視線は妙たちのほうを見つめている。
「何、青衣さん?」
聞き返してみるが、青衣は頭を左右に揺らすばかりで、口を開こうともしない。イヤホン越しだから聞こえてないのかな、と、妙は青衣に顔を近づけ、唇の動きも伝わるようにはっきりと発声する。
「青衣さん、何か用事?」
しかし青衣はやっぱり首をかしげるばかり。むう、と妙は唇をとがらせた。
「イヤホン外したら?」
言いながら、自分の耳元をちょんちょんと指さしつつ、手で摘まんで引っ張る仕草。これで伝わるだろうか、と思いながら青衣のリアクションを見つめる。
と、青衣は、髪に隠れた自分の耳を指さし、首をかしげる。どうやら伝わったかな、と安堵しながら、妙はうなずいた。
青衣は、びしっ、と右手の親指を突き上げた。
「最高! じゃないよ!」
突っ伏しながら妙は突っ込む。どうやら話も通じていないようだし、イヤホンを外すつもりはまったくないようだし、新譜はいい出来らしい。
かたわらの凛が、妙の背中をぽんぽんと叩いて慰めてくれる。妙が顔を上げると、いつも寝不足気味のような暗い目つきの凛が、いまだけいくぶん温かみのある目をして、首を左右に振った。
「今は、コミュニケーションできないと思ったほうがいい」
「だよねえ……私たちも、いっつも似たようなことしてそうな気がする」
物事に夢中になると、他人が目に入らなくなって、話が通じなくなるのは彼女たち共通の習性かもしれなかった。青衣と話をするのは、今日は諦めたほうがよさそうだ。
青衣はいよいよ目を閉じ、ヘドバンの勢いもどんどん忙しくなる。あれでイヤホンが飛んでいったりしないのは不思議だ。髪を振り乱して暴れる彼女を、他のクラスメートたちも胡乱な目で眺めている。にわかに自分たちが注目を集めているような気がして、妙と凛はそろって身を縮める。もともと目立つのは好きではないのだ。
「青衣さんのおかげでなんか調子狂うんだけど……」
「困るね……」
額をつき合わせ、妙と凛はひそひそ陰口を交わし合う。青衣が反応しないのを見て、ふたりの言葉はエスカレートする。
「青衣さんのばーか」
「青衣さんの中二」
「青衣さんヘビメタマニアー」
「青衣さん数学のテスト二十点ー」
「青衣さん実はノートがかわいい系ー」
もちろん本気ではないし、悪口だかなんだかよくわからない。しかし、そうして陰にこもって誹謗中傷を重ねていると、何かひどくゲスなことをしているような気になってくる。コスプレ趣味もあってしばしば悪魔気取りの青衣などより、自分たちのほうがよほどたちの悪い子たちだ。
「ごめんね青衣さん本気じゃないからね」
「ごめんね青衣さん」
ふたりそろって頭を下げるが、もちろん青衣には見えていない。でも、妙の中でだけは満足な気分だった。
と、そろそろ授業の始まる時間が近づいていた。他の生徒たちも三々五々席に戻っていく。いいかげん青衣をこっちの世界に戻さねばならない。妙は、振り乱される青衣の黒髪をかいくぐり、彼女の肩をぽんぽんと叩く。
「ほら、授業始まるよ」
目を開けた青衣は、うなずいて素直にイヤホンを外す。
「……妙さん」
じっ、と、まっすぐな目でこちらをにらんでくる。はっ、と気圧されて後ずさりした妙と、その気配にただならぬものを感じた凛は、雁首そろえて青衣に向き合う。
青衣は、まるで刑を宣告する閻魔大王のごとき、おごそかな声で告げた。
「ヘビメタじゃなくて、デスメタルだから」
「突っ込むとこそこ!? てか聞こえるんじゃない!」