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第32話「山で出くわしたら、妖精の類と勘違いしかねない」

 翠林女学院のある山裾からずっと北西、函坂のハイソな高級住宅街を越えると、あたりの景色は一変して緑の濃い山岳地帯へと移り変わっていく。肌寒い高地へと向かう太い幹線道路は、右を見れば段々に民家と畑が埋めつくす斜面、左を向けばまだ平らかさを残す土地にさびれた町並みが広がる。

 あきれるほど広々としてうつろな街の片隅にある錆び付いた公園で、春名(はるな)真鈴(まりん)は、知り合いの顔を見つけた。


千鳥(ちどり)さん、ごきげんよう」

「ごきげんよう、真鈴さん」


 ベンチに腰を下ろしていた初野(はつの)千鳥が、ちいさく会釈した。休日とあってお互い制服ではなく、服装は対照的だ。雑誌で紹介されたファッションをベースに随所にアレンジを施してばっちり決めた真鈴と、いつでも山登りに行けそうな堅実で地味な色合いの千鳥とは、同じ学校の同じクラスの、出席番号一番違いにはとても見えないだろう。


 真鈴が千鳥の隣に座ると、千鳥はリュックの中から紙袋を取り出した。開けると、中からふわりと香ばしさと瑞々しさの入り交じったにおいがわき上がる。


「サンドイッチ?」

「今朝焼いたバゲットをBLTサンドにしました」

「ひょっとしておうちで?」

「いえ、朝一で近くのパン屋に行って」


 どうぞ、と千鳥に紙袋を渡され、真鈴は中をのぞき込む。程良く焦げ茶に焼けたバゲットが真横に切れ目を入れられ、レタスとトマトとベーコンがぎゅうぎゅうに押し込まれている。一目見ただけで、食欲がおなかの底からわき上がってきた。


「いいの? もらっちゃって」

「こんなこともあろうかと、余分に用意してきたものですから」

「そんな想定する?」


 ポーカーフェイスの千鳥の言葉は、いつもどうとらえていいか分からないのだが、その善意については疑いようもない。真鈴はありがたく、サンドイッチを頂戴することにした。


 かさかさと袋の左右を引っ張って、すこしだけバゲットをはみ出させる。日の光の下に姿を見せたサンドイッチは、野菜の新鮮な色合いと、バゲットの質感とが相まって、真鈴の目を引きつけた。

 一口、かぶりつく。朝作ったというわりには、レタスにはしゃきっとした歯ごたえがあるし、パンも外側がぱりっと固くて、中はとろけるように柔らかい。野菜とパンの甘みが心地よく絡み合い、そこにベーコンのぴりっとした塩味がアクセントになり、多重の満足感が得られる。

 思わず、真鈴は無言でもう一口。


「あわてないでくださいね。飲み物もありますから」

「ん」


 こくりとうなずき、真鈴は千鳥からペットボトルの緑茶を受け取った。

 シンプルなサンドイッチの奥深い味を堪能し、かるく緑茶で口の中を湿らせ、またサンドイッチへ。

 何も言わずとも、真鈴の満足感が伝わっているのだろう。千鳥は、すこし目元をゆるめた。他の人にはなかなか伝わらないが、真鈴には、それが笑顔だというのが分かる。

 あれだけ山や街を歩き回っているだけあって肌はそこかしこ日焼けしているのだが、不思議と顔はおどろくほど白い。そこに、筆ですっと描いたような目鼻立ちが相まって、なんだか顔だけ見れば日本画の美人のようでもある。ただ、瞳は鳶色というのか、いくぶん色が薄いし、髪もふわふわと波打っている。総じて、どことなく浮き世離れした気配が漂う。


 山で出くわしたら、妖精の類と勘違いしかねない。実際、そう思いこんでいるハイカーもどこかにいるのではないだろうか。


「今日もここまで歩いてきたの?」

「はい。真鈴さんは、バスで?」

「せっかく定期持ってるしね、有効に使わなきゃ」


 こちらに来る用事の多い真鈴は、市バスの定期券を作っている。とはいえ、週末や休みの日にしか使わない上、本数もすくないから、便利とは言い難い。

 千鳥ほどに行動力が有り余っていれば、どこまでも徒歩で移動したいのだけれど。


 でも、真鈴の靴はヒールの高めなファッションブーツだし、服もあちこちバッヂやアクセでごてごてして、機能的ではない。いまも、ベンチの背にフリルが引っかかってしまいそうで、ちょっと背中が気になる。

 こういうこだわりを捨てる気がない以上、真鈴はきっと千鳥のようには歩けない。


「サンドイッチに緑茶、意外と合うね」

「でしょう?」


 真鈴のひとことに、我が意を得たり、とばかりに千鳥がうなずく。

 彼女を一度、めいっぱい着飾らせてみたいけれど、たぶん受け入れてくれないだろう。彼女にも、どこか侵犯しがたい心の領域があって、流行の最先端をいく服というのは、それに抵触してしまいそうな気がする。


 結局、ふたりの生き方が噛み合う時間なんて、この公園でのひとときのように儚いのかもしれない。

 そんな瞬間的な出来事が大好きだから、真鈴は千鳥と遭遇するのが楽しいのだ。


 バゲットは、あっという間になくなって、レタスの切れ端とパンの欠片しか残っていない。

 真鈴はためらわず、それを口に放り込んだ。


「ダイナミックに食べますよね、真鈴さん」

「早食いが癖になっちゃっててさ」


 人に食べさせることを優先するのに慣れていると、つい、自分の食事はおろそかというか、早めに平らげるように心がけてしまう。叶音たちといても、たいてい、真鈴が真っ先に食べ終えてしまって、みんなが食べるのを眺めることになる。

 ただ、そういう時間も、彼女は好きだった。


「ごちそうさま」


 ぱん、と両手をたたいて、真鈴は紙袋をきちんと折り畳んでからバッグにしまう。この公園にも、昔はくずかごがあったらしいが、真鈴は見たことがない。子供たちが遊ぶ姿も、そのための遊具も、かつてと比べてめっきり減ってしまったという。

 公園をにぎわすのは、ときおり一斉に訪れるハトと、こんなところまでぶらついてくる暇な翠林生くらいのものだ。


「じゃあ、そろそろバスの時間だし」

「ええ。ごきげんよう」


 真鈴はあっさりとベンチを立ち、千鳥もそれを引き留めたりしない。

 出会ってからの時間は長いけれど、つきあいの密度は、けっこう薄い。


 そんな相手がいるのも、悪くはないな、と思いつつ、真鈴は公園の柵の間を抜けて道路に出た。ごつごつしたアスファルトを歩くのは、やっぱり、この靴じゃ面倒だ。

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