第25話「リフレッシュの季節だから」
リフレッシュの季節だから、と真木歩は言う。
「だからって、どうしていつも私をつき合わせるわけ?」
駅前のショッピングモールにある大規模ステーショナリーショップの筆記用具売場。十色近い種類の蛍光ペンを両手で抱えた歩を、武藤貴実はじっと横目でにらむ。彼女の手には、白と青のケースに入った消しゴムがひとつだけ。
貴実自身は、こんな大きな店で買い物する用事はなかった。それが、歩の一声で家を連れ出され、こんなにぎやかな場所まで連れてこられてしまったのだ。
歩の方は、うきうきした様子でペンを物色し続けている。両手の指の間にカラフルな蛍光ペンを挟んで左右に振っているのは、なんだかアイドルのライブ会場にいるファンみたいだ。
「歩さんと違って、なるべく物は大切に使う方なの。そうちょくちょく、買い換えたりしないのよ」
大げさに肩を落とし、わざとらしくあきれたそぶりを見せる貴実。しかし、歩はちっとも堪えた様子がない。もとより、説教に心を動かされるような子ではないのは、長らく友人をやってきた貴実もよく知っていた。暖簾に腕押しというやつだ。
移り気で、マイペースで、思いつきのままに突拍子もない行動に出る。歩には、そういうところがある。
歩は3,4ヶ月に一度、リフレッシュと称して、自分の持ち物をすっかり一新するという癖がある。性癖というか、周期的に訪れる衝動と言ってもいい。
アクセサリーを赤から黄色に総とっかえしたり、集めた漫画を全部売り払って別の作品を大人買いしたり。一度などは、クローゼットの中身を丸ごと入れ替えたこともあるという。さすがにそのときは親に説教され、お小遣いをしばらく減らされていた。
今回はペンケースと中身を買い換えるだけだから、かわいいものだ。
「連れてくるなら、範子さんや恵理早さんでもいいじゃない。それか、妃春さんとか。最近仲いいんでしょう?」
「んー」
小首をかしげて、歩は、エメラルドとライトグリーンの2色を見比べ、エメラルドの方を棚に戻す。それから、貴実に振り返った。シャツの襟元が無造作に開いていて、素肌が際どいところまでのぞいている。
「私が、貴実さんを連れてきたいと思ったから。ほかに理由、必要?」
自分勝手だな、と思いながらも、貴実は押し黙るほかない。両腕を組んで、歩の視線からちょっと顔をそらして、ほころびそうな表情を見られまいとする。そうして、あえて突っぱねるように口にする。
「私の都合はどうなるのよ」
「迷惑だったら、貴実さん、そう言うでしょ?」
「……そうね。回りくどく言ったって空気読めないものね、歩さん」
「五感で感じ取れないものに興味はないから」
しらっと言って、彼女は5色の蛍光ペンを買い物かごに放り込む。
「あとはシャーペンが2,3本欲しいかな。折れずに書けるっていうの」
「好きに選べば? 私はついてくだけだから」
すたすた歩き出す歩の隣に付き添って、貴実はあたりをなんとなく見回す。翠林生には独特の雰囲気というか、外見から醸し出す気配みたいなものがあって、一瞥すればそれと知れる。今日も、ショッピングモールのそこかしこで、先輩や同級生の姿を見かけた。
休日に、知り合いのいた痕跡を見つけてしまうのは、楽しくもあり、ときどき、こそばゆい気分も生む。
「まだ気にしてるの?」
いきなり歩に問われ、貴実は一瞬、答えに窮した。歩は無表情に、練習問題の分かりきった解法を聞かされているような退屈そうな目で、貴実の横顔を見ている。
「誰がいようといまいと、会ったときにどうするかなんて、そのときに決めればいいじゃない」
「……そうかんたんに割り切れないよ」
「ずっと悩んで何も決められないなら、今の自分には答えが出せないってこと。考えない方がいい」
端的で、おそらくは正論であろう歩の言葉に、しかし、貴実は素直にうなずけない。すこしうつむく、肯定とも否定ともつかない仕草で、歩の視線から逃げた。斜め下を向いて、こぎれいに清掃された床を見つめながら、のろのろと歩く。
貴実の脳裏に残っているのは、さっき、携帯ショップの店先で見かけたタブレットだ。液晶画面に、場違いなほど正確な筆跡で記されていたのは、クラスメイトである佐藤希玖の名前だった。おそらく、ドロシー・アンダーソンの仕業だ。
初等部のとき、貴実は一度、希玖にひどく激昂されたことがある。あのときのことはちゃんと覚えているつもりだが、あそこまで大声でののしられた理由はどこか判然とせず、いまだにうまく咀嚼し切れていない。
高等部1年撫子組で同じクラスになってからも、貴実は希玖とうまく話せていなかった。苦手意識が、心の底に乾いた泥のようにへばりついて、拭えないままだ。
案外、いまなら自然に話せるのかもしれない。
そう思いながらも、なお、貴実は希玖に声をかけることをためらってしまう。
歩のように、物事をうまく切り替えられなくて、空っぽになったシャープの芯の空き箱がいつまでも筆箱に残っているみたいに、余分な屈託が心をふさいでいる。
低い雑踏と目立たない音楽が、店内を覆い尽くしている。このどこかに、希玖とドロシーがいるのかもしれない。目を上げて確かめたいような、そのまま逃げ出したいような、相反する気持ちが貴実の心を惑わせる。
「ね、貴実さん」
ふたたび、歩の声で正気づかされた。歩はさっきのお説教なんか忘れたような顔で、シャーペンの試供品を手にしている。試し書き用のメモ帳にさらさらと字を書いて、ふむ、と首をひねり、一回り太い芯でふたたび書き直し、ちいさくうなずく。
「どっちがいいと思う?」
試し書きの紙をさしだして、歩が訊ねた。丸っこいひらがなで書かれた彼女の名前は、線の太さは違うものの、どちらもそう大差はない。
彼女はちょくちょく、こうして、貴実に選択を迫る。そして、こう言うのだ。
「好きなほう、貴実さんも買ってね」
「……また?」
いつも笑っているような歩の表情が、ひときわ楽しそうにほころぶのは、このときだ。甘くて鋭いその笑顔にほだされて、貴実はいろんなものを買わされてきた。オレンジのブレスレットも、恋愛漫画も、短すぎるスカートも。
歩が自分をリフレッシュするとき、貴実はいつだってそれにつき合わされて、そしてお揃いの品を買わされる。
だって、貴実さんと同じもの持ってないと、どこか飛んでっちゃうような気がするんだよね。自分が。
スカートのとき、いいかげんうんざりだと文句を言った貴実に、歩はそんなふうに答えた。自然で、淡々として、嘘のなさそうなその応答に、貴実はかなり長いこと、言葉を失っていたのを覚えている。そしていつの間にか試着させられ、購入して帰っていたのだった。
結局、歩がそのスカートに飽きた今でも、貴実はときおりそれを履いて外出する。
「私だったら、こっちかな」
貴実が、太い線で書かれた名前を指さすと、歩は納得ずくという様子でうなずく。
「貴実さんならそうだと思ってた」
「それならもう、私が選ぶ必要なくない?」
「だって、万が一にも、予想外の答えが来たら面白いでしょ?」
「万が一なの……」
頭が固くて頑固だ、と暗に言われている気がして、貴実は苦笑するほかない。当然ながら、自覚はある。
歩は太いほうのシャーペンと替え芯をふたつずつ手に取り、片方を自分の買い物かごに、もう一組を貴実に手渡す。細くて動きやすそうな指の先から、貴実はブリスターパックを受け取った。むしろ男子が好きそうなメカニカルで角張った設計は、自分の手にそぐわないかもしれない。
だけど、結局、貴実のほうがそれを長く使い続けるのだろう、という気はする。
変わり続ける歩のそばで、貴実は頑迷に何かを保ち続ける。
歩にとっては貴実は重石だけれど、きっと、貴実にしてみれば歩は羽根のようなものだ。
放っておけば重たく止まり続ける彼女を、歩の軽やかな力が転がしてくれる。一度動き出せば、貴実のほうが、ずっと遠くまで行ける。
ふたりはそんなふうにして、互いの最適な速さを探っているのだと思う。
「大切に使ってあげてね」
「そっちこそ」
歩に言い返して、貴実は不敵に笑った。
貴実と希玖のいきさつは、第10話に ちょっと詳しく書かれています。そちらは希玖視点なので、また違う印象ですね。
11/15追記:記述ミスを修正しました。貴実と希玖の一件は初等部です。




