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第24話「コーヒーには、ミルクを2杯と砂糖を3個」

 こじんまりした地方の駅前のショッピングモールでも、日曜ともなれば人であふれ返る。どこに行ってもありそうなファストフードや100円ショップでさえ、そのスケールと明るさのおかげで特別な空気をまとい、人々の消費をいっそう強くいざなう。


 お祭りのような空間を、ドロシー・アンダーソンと佐藤(さとう)希玖(きく)は連れだって歩く。さすがに休日の外出に制服は着てこないのだが、ふたりともシックな色合いのおとなしい服装で、どことなくあか抜けない。

 店内を見回しても、彼女たちと似たような地味目の若い女子が、静かな足取りで歩いているのが目に付く。その中の幾人かは学校で見覚えのある子だし、そうでなくとも、醸し出す雰囲気が明らかに同類だった。


「翠林生、何を着てても翠林生」


 学内にいつからか受け継がれる標語を、ドロシーは恨みがましくつぶやく。あいまいに笑って、希玖がちょっとこちらに顔を近づけてくる。せっかくのよそ行きだというのにちっとも着飾らない彼女だが、ナチュラルに切りそろえた前髪は、いつもより涼しげだった。


「いいじゃない、別に。やましいことがあるわけでもないんだから」

「そうかな。なんだか気持ち悪くない? どこにいても、肩書きがつきまとうみたいで」

「肩書きで守られてるって思えばいいんだよ」


 希玖の声音は自然で、すぐにフロアの雑踏の中に消えていってしまう。けれど、その褐色の面差しに宿るひとしずくの苦みは、ドロシーの胸にもかすり傷のような感覚を残した。

 上着の襟に指を引っかけ、胸元に手首を当てるようにする。呼吸がすこし楽になるような気がした。でないと、また、胸の底に沈澱した声を、吐き出したくてたまらなくなってしまう。

 恥じらうように、ドロシーは足を早めた。


 彼女の目的地は、イーストエリアの1階、南側のフロアの大半を占めるステーショナリーショップだ。堅実で手頃な文房具から、センス良くおしゃれな雑貨まで、スケールメリットを生かした豊富な品揃えに定評がある。

 ドロシーの狙い目は、文具マニアである書道部の先輩に勧められたメモ帳だった。生産量がすくないためメジャーではないが、しっかりした作りには定評があり、玄人に愛される逸品だという。実際その先輩にさわらせてもらったが、ざらつきを残しながらも書き味のいい紙質と、携帯に適したほどよい大きさは、ドロシーの好みに合った。


「ねえドロシーさん、ちょっとあれ、見ていかない?」


 半歩後ろからついてきた希玖が、近くにあった赤い看板を指さす。携帯ショップの店頭に、最新のタブレットがまるで神棚みたいに飾られている。


「あんなの買わないよ」


 書き物に使うには紙のメモとノートがあれば十分だし、インターネットは手に余る。だいたい、最新機種なんて高価すぎて高校生の手には届かない。


「ちょっと遊んでいくだけだよ。ほら、画面」


 しつこい希玖の視線の先を追えば、タブレットの画面上に大きな猫の顔が描かれている。素朴で粗雑なタッチは、たぶん小学校低学年くらいの子どものものだろう。どうやら、自由に試筆できるようだ。


「ドロシーさんも試してみたら? 最新型の書道」

「芸術家もテクノロジーを追い求める時代なのかしらね」


 100年前から言われていそうな愚痴を述べつつ、ドロシーは希玖に根負けして、彼女についてショップに足を踏み入れた。

 店内には最新型のスマホやタブレットを物色する若者が多い。よく分かっていなさそうな老人に、店員がつきっきりで説明しているのも目に入る。総じて忙しそうで、女子高校生ふたり組にかまう余裕はなさそうだった。

 さあさあ、と希玖がせかすので、ドロシーは仕方なくスタイラスを手に取った。希玖はタップひとつで画面をまっさらにして、うきうき顔でドロシーの一筆を待っている。よけいなボタンは触ったらややこしそうなのでいっさい気にせず、そのまま液晶画面に手を伸ばす。


 希玖、と、友人の名前を大書した。


「ええ……?」


 彼女は右手で頭を抱えつつ、左手を頬に当てて顔を覆う。喜んでいるんだか、恥ずかしがっているのか、その両方という感じの微妙な表情だった。


「うん、よく書けた。さあ行こう」

「え、このままにしていくの?」


 希玖が驚きの声を上げる。自分の名前が店頭にでかでかと残されるのは、さすがに落ち着かないらしい。画面を消そうとする希玖を、ドロシーはむりやり引きずってタブレットから遠ざける。


「書き初めみたいでかっこいいじゃない。ほらほら」

「でも」

「いいから。おきくも、自分の名前が世間に晒される気持ちを理解すればいいの」

「でもこれじゃ、わたしが過剰に自己アピールしてるみたいだし」

「考えすぎなのよ、おきくは」


 後ろ髪を引かれる希玖を、ドロシーはそのまま目当てのステーショナリーショップまで引きずっていく。希玖は途中で抵抗は諦めたものの、なおもぼそぼそと愚痴る。


「もう、いらない恥かいちゃった」

「私も同じ恥かくし、おあいこだと思ってさ」

「結局ドロシーさんのせいじゃないの?」


 ショップの中は中高生でにぎわい、どこもかしこもかしましい。カップルや友人同士で顔を寄せ合い、あれがいい、これがいい、と、選ぶための会話そのものを楽しんでいるようなそぶりで喋り続けている。

 スマートフォンケースや多色ペンのリフィルのコーナーを抜けて、ドロシーと希玖は、店の奥のメモ帳コーナーに到着する。しゃれた作りのデザインノートや、海外製のシックなメモパッドのすぐそばに、目当てのメモ帳があった。


「これ、これ。ね、いいでしょう?」


 ドロシーは一冊手に取り、パラパラとめくってみせる。あえて濁りを残したような風合いの紙が、店の明るい照明の下でひらひらと蝶の羽のようにまたたく。

 希玖が手を伸ばして、ドロシーの手からメモ帳を受け取る。表紙と中の紙に丹念に触れながら、希玖は感心したふうにつぶやく。


「ほんとだ、使いやすそう。それにこの紙、手触りがすごく気持ちいいね」

「ちょっとざらついてるくらいが、いいんだよ。書きごたえがあって」


 ドロシーはメモ帳とペンを、希玖は足りなくなっていたというシャープの芯を買った。シールを貼っただけのメモ帳をそのまま素手で持ち、ドロシーは満足げにうなずく。


「よかった。こういうのって、ちょっと話題になるとすぐ売り切れるからね」


 それから、ふたりはショッピングモールの建物を出て、そのまま街路をすこし歩く。

 モールからちょっと離れると、あたりはいっぺんにさびれて、古い商店街の跡地のようなシャッター通りになる。けれど、その通りをそのまま抜けてさらに先に行けば、落ち着いた雰囲気の店が建ち並んでいる一角がある。翠林の生徒たちには、口コミでよく知られている隠れ家めいた場所だ。


 そのうちのひとつに、ふたりは足を踏み入れた。洋館を思わせる重たいドアを開けると、陶器の猫と古式ゆかしいドアベルが客を迎えた。

 奥の方の席に腰を下ろす。柔らかなクッションが、ドロシーの体を抱擁するように包み込んでくれる。自然と気が安らいだ。

 数行しかないメニューを眺めて、ふたりとも、ホットコーヒーを注文した。


「無理しなくていいのに」

「自分こそ」


 お互い、ブラックコーヒーなんて苦くてたまらないだろうし、ミルクと砂糖を入れても微妙なところだろう。でも、ここはコーヒーだろうな、という気分は、ふたりにとって共通のものらしかった。

 いっしょに運ばれてきた琥珀色の飲み物からは、ゆるやかな湯気が立ちのぼっている。ふたりは自然と目を見交わし、最初のひとくちだけ、ブラックで味わい、そして揃って顔をしかめた。


「大人はまだ遠いね……」


 少女の味覚に合うように、ミルクとシュガーをとぽとぽと放り込む。熱くて甘い液体でのどを潤して、ドロシーはひと息ついた。


 コーヒーには、ミルクを2杯と砂糖を3個。


 ポケットからメモ帳を取り出して、最初の1ページ目に書き込んだのが、その一文だった。テーブルの向かい側から、希玖が湯気を透かすようにしてドロシーの手元を見つめている。

 顔をこちらに突き出して、彼女はドロシーの字をのぞき込む。


「そんなことメモっておくの?」

「思いついたこと、何でも書いておくことに決めた」

「やっぱり、字、うまいね」

「それ、褒め言葉のつもり?」

「いいことは何度言ってもいいの」

「言葉にするのが当たり前って思う?」


 メモ帳を閉じ、目を上げて、ドロシーは希玖と向き合った。

 身を乗り出していた希玖の顔が、すぐ近くにある。テーブルに座って向き合えば、希玖とドロシーの10センチ近い身長差もほとんど関係なくなって、ふたりの目の高さは同じくらいになる。


 希玖の紅色の唇には、ほんのすこしの隙間があって、その薄暗い奥底から、コーヒーの香りのする吐息がこぼれている。

 息の音は、いまは、店の音楽にまぎれてドロシーの耳まで届かない。

 もどかしい距離だから、まだ、言葉が要る。


「言いたいことがある時は、声にするし、言葉に書く。そうじゃないお喋りなら、別に、する必要はない。そんな気分」

「……わたし、うるさい?」

「ううん。おきくの声は、好きだから。でも、いっしょにいたって、喋らなくてもいい時ってある、って思う」

「それは、分かる」


 一昨日の夜。無言の電話の向こうとこちら、か細く頼りない気配を感じながら、半紙と向き合っていた瞬間。

 あの時、ドロシーは、いつになく近くに希玖を感じた。すぐそこ、いや、頭の中にまで希玖がいて、ドロシーの感じること、思うことのすべてを共有してくれていると思えた。

 希玖の右手が自分のそれと重なって、いっしょに筆を執っていた。

 集中して深く息を吐くドロシーと、呼吸を合わせて、希玖が吐息した。


 私たちは、きっとひとつだった。


 あんな奇跡みたいな時間は二度と起こらないかもしれないけれど、それに近づくことはできる。

 ドロシーの黒髪が、希玖の切りそろえた前髪に触れて、重なった。


 何も言わなくても、そこにいてくれればいい。

 そう言葉にするような矛盾を、犯す必要はなかった。


 吸い寄せられるように、額と額がぶつかった。

 コーヒーの立てる湯気が、ふたりの肌をほんのりと温めていて、だから希玖の額はすこし熱っぽく感じられた。

 よけいに、強く強く、そこに彼女がいるのが分かる。


 目を閉じて、ドロシーはくすくすと笑った。

 音叉が共鳴するみたいに、希玖も笑い出す。


 ふたりの忍び笑いは、カフェの空気に溶けて、いつまでも響いていた。いつかここに来たら、きっと、同じ声を聴けるのではないか、と、ドロシーは夢見た。

 夢に思えるくらいに、ふたりはそばにいた。

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