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第226話「そろそろ残念会しますか?」

 昨日とは別の場所で張り込んでみたけれど、やはり麗しのあの人の姿は確認できなくて、光原(みつはら)青衣(あおい)はいくぶん悄げた様子だった。


「なんかごめん」

「ぜんぜん平気ですよ。覚悟の上ですから」


 申し訳なさそうな青衣の謝罪に、香西恋は笑って応じる。


 夜道はすっかり暗くなって、街灯や軒先の明かりがぽつぽつと路上を照らすばかりだ。歩くふたりの姿は、光と夜陰を交互に通り抜けて、その振幅の狭間であいまいになっていくような、不思議な快感があった。ガードレールの向こうを駆け抜けていくヘッドライトが、つかのま彼女たちをカッと照らすのが、むしろ不躾に感じられる。


「そろそろ残念会しますか?」


 青衣との距離をすこし詰めながら、恋は訊ねる。


「まだ二日目だし、気が早いよ」

「それもそうですね」


 昨日とそっくりのやり取りを交わして、恋は苦笑した。

 青衣の相談を受けてから、まだ3日ほどしか経っていない。成果が出るにしても、諦めるにしても、区切りをつけるには早すぎる。

 だから、また明日、と素直に言い切って、別れてしまってもよかったのだ。


 でも、かんたんに別れるのがなんだか名残惜しくて、恋はずるずると、青衣のそばを歩き続けている。


「明日からも待ち伏せを続けるんですか?」

「どうしようかな。このまま同じこと続けて、うまくいくと思う?」

「さあ……」


 何しろ、相手の正体がよくわからないままなのだ。新しい手立てを考えるにしても、取っかかりがない。

 そういうときは、待ちの姿勢に入るのが、恋のスタンスだ。同じことを続けて、様子を見て、いい結果が出るように期待する。たいてい、彼女はそうしてきた。


 青衣はどう思うだろう。かるく首をかしげて、恋は青衣の表情をうかがう。

 街灯の下に入った彼女の表情は、ふだんよりすこし薄いメイクの奥から、じんわりと強い自信をのぞかせているように見えた。不健康な顔色に、彼女は内なる推進力を隠している。


 白いうなじを自分でそっとなでて、青衣はふわりと空を仰ぐ。あっというまに日の沈むこの季節、とっくに空は真っ暗で、ぽつぽつと星が瞬いている。


「やっぱ、中等部まで乗り込んで探しに行こうかなあ。その方が手っ取り早いよね」

「……でも、それにしたって、雲を掴むようなものですよ」

「そうかな? あんな目立つ子なら、顔を知ってる子も多いかもしれないよ。ほんとに背が高くて、かっこよくって、すごい目力があって」

「ええ、ええ。何度も聞きました」


 校門の前で待っている間中、恋は何度も青衣の思い人のことを聞かされ続けたのだ。曖昧な情報ばかりではあるけれど、次第に姿形のイメージが頭の中に出来上がってきて、一度も会ったことのない相手なのに顔を知っているような気分にさえなる。


 でも、それだってしょせんは恋の空想だ。実際に会ってみたら、まるきり別の顔かもしれなくて、恋は身勝手にガッカリしてしまうかもしれない。

 先走りした空想を、恋は、静かに肩をすくめて追い払った。


「けど、高等部の生徒が中等部に入っていくのって、なんか恥ずかしいよね」


 ひとりごとのようにつぶやく青衣に、無言でうなずく。翠林のような一貫校なら、他よりはましかもしれないけど、それでもかつて通り過ぎた学舎にふたたび入っていくのは独特の気恥ずかしさを伴う。


「それに見たでしょ? あの中等部の子たち、とてもきらきらして純粋そうで、まさに翠林生、って感じ。高等部生になるともうスレちゃってるな、って思うよ」

「青衣さん、やっぱり基本的に年下が好きなのでは?」

「違うってば」


 青衣は眉をひそめて首を振るが、その仕草に微妙に力がないのは、思い当たる節があるからかもしれない。自分の衝動はなるべく素直に認める方が楽になるのにな、と、恋は内心で思いつつ、微笑する。


「とはいえ、一目惚れの相手を探す青衣さんも、相当に純粋ですよ」

「……かもね。どんだけ青春なの、って感じ」

「いいじゃないですか、そういう情熱。わたし、そういうの好きですよ」

「じゃ、恋さんもついてきてくれる?」


「……それは、ちょっと、迷いますね」


 わずかに目線をそらして、恋はつぶやいた。足元のアスファルトが真っ黒に染まって、一瞬、自分が足元を失ったような感覚に襲われる。

 はたと、隣にいる青衣に視線を戻すと、彼女と目が合った。


「何ですか、その目」

「意外だな、って思って。そういうの、絶対見逃したくなさそうかな、と」

「そこは微妙に違うんですよ。自分からのぞきに行くのと、偶然目にするのとでは、価値も、心構えも違います」

「ふうん」


 恋の長広舌に、青衣は無関心そうに首を振って、また前を向く。


「まあ、恋さんにその気がないなら、私ひとりでも捜してみるけど」


 さっ、と顔をなでて、青衣は自分の掌を見つめるように視線を落とす。


「とはいえ、高等部の制服で中等部に入っていくのは、やっぱり恥ずかしいかなあ」

「なら、いつものゴスロリ服で行けばよろしいのでは?」

「それは」


 いいかけて、わずかに口を開けたまま、青衣は思案顔になる。つかのま重たくなった表情は、しかしすぐに新しい色に切り替わった。


「いいかもね」

「でしょう?」

「学校に着替えを持ち込むのめんどくさいけど……でも、楽しそう。秘密の悪事って感じ」


 恋の方にいたずらげな視線を向けて、青衣はほくそ笑む。

 光と影の合間で、彼女の面差しは半分だけ青白い。複雑な陰影を宿した顔のまんなかで、彼女の瞳は、まっすぐな強度を保って恋を見つめていた。

 その、心の芯を曲げない力が、青衣のほんとうにすてきなところだと思う。


 件の生徒が、どんな子なのか、恋は知らない。

 でも、こんな青衣に見つめられたら、きっと恋に落ちるだろう。


「恋さんも、悪い子仲間だね」

「……いっしょにしないでください」


 肩をすくめて、すこしだけ青衣から距離を置くように、恋は足を速めた。追いかけてくる青衣の顔を、恋はまともに見られない。


 恋のしている悪事は、そんな隠しごとじゃない。

 本来ここにいるべき誰かの場所を、勝手に占有していること。狡猾な横取り。


 早く、青衣のほんとうに大切な人が見つかればいいと思う。

 そうしたら恋だって、こんな似合わない真似事なんかやめて、いつもの場所に戻れるのに。


 そう思いながら、でも後ろ髪を引かれるような心地で、恋は早足に歩き続けた。

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