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第221話「こうしちゃうと、片手が逆に寒いんだよね」

「寒ーい」


 かわいらしい焦げ茶色のマフラーの奥に首をすくめて、小田切(おだぎり)(あい)は消え入るような声でつぶやいた。(なつめ)沙智(さち)は、巣に隠れる小動物にも似た愛の仕草を横目に、うなずく。


「今朝から急に冷えたもんね。日中は、まだ下がるって」


 夜更けからの雲が空を覆い、11月の朝は灰色に染まっている。この調子では、ただでさえ弱い陽射しは地上に届きそうもない。色彩の失われたような通学路には、モノトーンの人の群れがのそのそとうごめいている。


「もっと下がったら死んじゃうよ」

「弱音吐くの早すぎない?」


 氷点下にも到達しない気温で死ぬなら、ここより寒い国に住んでいる人々はどうなるのだろう。あれは皆ゾンビだとでも言い張るつもりだろうか。それとも、愛はほんとは寒さに弱い変温動物だとか。

 ぼんやりと頭のなかで突っ込みながら、沙智はかぶりを振る。彼女の頭も、寒さのせいでちょっとネジが狂っているようだった。


「もう1、2枚厚着してきてもよかったかも」


 愛は両手をこすりあわせつつ、なおもぼやく。冬服の上からカーディガンを羽織っていてもぜんぜん足りないようで、彼女の指先は真っ赤になっている。


「まだ着膨れするには早いんじゃない?」

「このくらい、膨れたうちに入らないよ」


 堂々と言い放つ愛は、ふと目を細め、まるで怪談でも述べるような声でそっと沙智に囁きかける。


「真冬の翠林には、布団と毛布をまるごと被ったまま机に寄生する妖怪が頻繁に出没するという」

「妖怪かよ」


 教室のそこかしこに出現する毛布の山をイメージすると、なんだか得体の知れない古代の集落の想像図みたいだった。近づいたら、毛布の陰から槍とか突き出されて攻撃されそうだ。


「ま、それは冗談だけど」

「冗談か……」


 それはそうだ、と思いつつ、内心で沙智はちょっとほっとしていた。さすがの翠林女学院も、そこまで怪しげな世界ではなかったらしい。


「ていうか、教室に暖房あるしね。どうにか教室まで逃げ込めば、寒さは乗り切れる……はず」

「でも、そこまでが大変そう」

「うん。家から教室までの長い道のりには志半ばで討ち死にした生徒たちの死屍累々が」

「そういうのいいから」

「うー。ちょっとでも寒さをごまかすべく和んでもらうつもりだったのに」

「いまので……?」


 ジョークの効果に疑問を呈する沙智を、愛は半眼でにらむ。

 直後、さっとあたりを吹きすぎていった風の冷たさに、ふたりは揃って首を縮めた。


「沙智さん、もっとくっつこうよ」

「賛成……」


 風の通り道をふさぐような気分で、沙智は愛のほうに数歩、体を寄せる。冷え切った愛の右手に、自分の左手を絡めるようにつないで、ぎゅっと、肩同士を寄せ合わせる。

 彼女の袖の奥、体の内側から、愛の体温がじんわりと沙智の手にしみてくる。


「……でも、こうしちゃうと、片手が逆に寒いんだよね」


 愛はぼやきながら、空いた左手をポケットに押し込む。そのなかで指先を動かしているのか、布地が風になびくみたいにうねうねと動いている。


「両手つないで歩けたらいいのにね」

「フォークダンスじゃあるまいし」


 苦笑気味に沙智がいうと、愛はむっとしたように唇をとがらせた。沙智は彼女の顔にそっと頭を寄せて、たしなめるような猫なで声でささやく。


「何、まだ気にしてるの?」

「別に」

「あれは愛さんが勘違いしたのが悪いんじゃん」

「そうだけども」


 後夜祭のフォークダンスで、愛はどうしても沙智と踊りたかったらしいのだが、輪に入るタイミングと移動する順番を間違えたせいで逆方向に一周してしまったのである。やっと戻ってきた頃合いで、ふたりともクラスメートに呼ばれて輪を抜け出し、けっきょく踊れずじまいだった。


 マフラーに半分顔を押し込んで、遠い目をする愛の視線は、まだあの夜の炎の色を映しているみたいに思える。日の出ない灰色の朝の空気に、うっすらとした赤みを錯覚する。


「根に持つわけでもないけど、やっぱり、なんだか残念」


 意外と、愛はこういう些細なことを気にするたちだ。いつもは悠揚としてとぼけてばかりなのに、砂利のようなちいさな問題に引っかかって、いつまでもぐずぐずしたりする。

 けれど、そういう愛の振幅に、沙智は惹かれてしまう。

 いつも同じ顔色ではつまらない。矛盾したところがあるような人の方が、かえって、目が離せなくなるものだ。


 沙智は、肩をすくめて、愛のほうに手を伸ばす。


「ん?」


 きょとんとする愛の左手を、ポケットから引きずり出して、ぎゅっと握った。両手をつなぎ合わせて、ふたりで輪を作る。

 そのまま、沙智はサイドステップで愛の前に出る。ふたりで作った輪が、遊園地のコーヒーカップみたいにくるりと回った。灰色の風景が周回して、つかのま、パノラマみたく広がった気がした。


「踊るのなら、どこでだってできるよ」


 沙智はそういいながら、愛の横に回り込む。振り回された愛は、よろけるように後ろを向いて、沙智と目を合わせた。

 愛は、笑っていた。くすくすと、軽やかな鳥に似た彼女の笑い声が、沙智と愛のまわりを取り囲んで、降り注いでくるようだった。


 1周、2周、3周。

 永遠だって、踊り続けられるような気がした。


「ねえ、愛さん、この冬の防寒対策なんだけど」

「何?」

「マフラー、お揃いの、買おうと思う」

「いいね。今度、いっしょに買いに行こう」

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