第212話「途中で飽きちゃっても、別にいい、って思うよ」
ゴールからだいたい45度、ちょうど良さそうな角度だ。
パスをもらった桜川律は、顔を上げてゴールを見据えると、ぎゅっとひざを曲げて、ジャンプ。
空中で一瞬、自分がぴたりと跳躍の頂点に来たのがわかる。サビの最高潮のパートで会場の全員といっしょに思い切り飛び跳ねたときのような、自分が光のなかに滞留して、永遠にそこにいられるように感じる瞬間。
体重も何もなくなったような、その一瞬、律は両手を伸ばしてボールを放り投げた。
きれいに飛んでいったボールは、ボードの四角形の右上の角に当たる。リングに当たってわずかに跳ねた後、反対側の円周の内側にするりと滑り込む。そして、ネットを通り抜けたボールが、ばたん、と床に落ちた。
歓声が上がり、律は、はにかんだ照れ笑いを浮かべた。なんだか、自分でしたこととは思えなくて、ひどく面映ゆかった。
律のうつくしいゴールで、ミニゲームは終わった。チームが総入れ替えになり、律たちは休憩時間だ。
そこそこ持久力には自信がある律だが、今日はちょっと疲れていた。なんだかいつもよりよけいに走って、無理な位置からシュートを打って、強引にブロックに入って、とあれこれ動きすぎたせいだろう。成功も失敗もあったが、チャレンジ自体はみんな賞賛してくれた。
壁に背中を押しつけて、ずるりと座り込んだ律の肩を、高良甘南が上から叩いた。
「ナイスシュート」
「……ありがと」
1ゲーム終えた後でも甘南は涼しい顔だ。クラスメートを相手にする程度なら、たいして体力も使わないのだろう。明らかな余裕の感じられるその表情を見て、律は、ただただ感心してしまう。
「でも、結局、1ゴールだけだった」
無理矢理ゴール下に切り込んだり、フリースローサークルより手前からロングシュートを狙ったり、あれこれ挑戦はしたけれど、自分では点を取れなかった。律自身の収穫は、結局、最後のシュートだけだ。
「お、実は悔しい?」
「……どうかな。こんなもんだろうな、って気分のほうが強いよ」
付け焼き刃や思いつきで、そうそう成果が上がるものでもない。いきなりバスケの達人になんてなれっこないのは、しょうがないことだ。
それに、あまり悔しくないのは、甘南のおかげでもある。
「それに、こぼれ球は甘南さんが拾ってくれたし」
失敗したシュートのフォローをしてくれたのは、だいたい甘南だ。ふしぎと、律の失敗したボールが甘南の元に魔法のように舞い込んで、最終的に、甘南が得点を決めてくれた。
チームの得点の大半を甘南が稼ぐのはいつものことだが、今日は、すこしだけ様相が違った。
ふだんは甘南のワンマンプレーで、防御から攻撃まで全部持って行ってしまう。へたをすると、ドリブルでコートの端から端まで駆け抜けてしまうこともあるくらいだ。そうでなくとも、パスは自然と甘南に回るし、1対2ぐらいでも甘南はぜんぜん止まらない。敵チームが過半数で甘南を取り囲み、残りのメンバーがぐだぐだなプレーに終止する、という時間も多くなる。いずれにせよ、いささか退屈なゲームになりがちだった。
それが、今日は、律のいささかがむしゃらな頑張りを甘南がフォローするような展開になった。敵も、律相手なら与しやすいと踏んで挑んでくることが多かったし、緊張感があった。
最終的には甘南のゴールになったにしても、それまでのプロセスが変われば、別のゲームだ。
「だからまあ、役目……仕事……やりたいこと……何だろ?」
「こっちに訊かれても」
感覚がうまくことばにならなくて、結局、甘南も律も首をひねった。
「ともかく、満足いくゲームだった、ってこと」
「ならよかったよ。バスケだと、どうしてもあたしばっかり活躍しちゃって、みんなはつまんないかも、って思っちゃうから」
ずっと律の横に立っていた甘南が、すとん、と腰を下ろす。ふたりの距離が近づくと、甘南のうっすらと上がった体温が体操服越しに伝わってくる。余裕げな彼女だって、疲れてないはずはない。
もちろん、部活や試合とは比べものにならないだろうけれど、甘南だってそれなりに真剣に取り組んでいたはずだ。
だって、彼女の好きな、バスケットボールの試合なのだから。
「律さんは楽しかった?」
「うん」
甘南の問いに、こくり、とうなずく。たかだか5分とはいえ、出来るだけのことはした気がするし、それで満足だった。体育の授業なんかで、こういう心地よい疲れを味わえるなんて、いままで思ったこともない。
それも、甘南のおかげだろう。
律は、横目で甘南を見やる。彼女は、両肘を膝の上に載せて、すこし脚を広げた状態で授業の様子を眺めている。すこし開いた太ももが、短パンから上に伸びている。そのしなやかな脚線美を、律はつい、凝視してしまう。
「あたしも、今日はなかなか楽しかったよ。律さんのおかげで」
「そりゃよかった」
「人が精一杯なのを見るのもいいけど、自分で一生懸命になるのも、いいよね」
「体動かして疲れるって、わりとそういうもんだよ。体と一緒に、意外と頭も気持ちよくなる」
「わかる気がする……」
体育館の隅には外気と冷えが流れ込んできて、体を動かした熱量があっという間に奪われていく。それでも、体の奥がしっかりとほぐれた快感は、そうかんたんには消えていかない。
「……でも、ずっと一生懸命で居続けるの、って、難しいよね」
「それね。疲れるから」
「甘南さんって、そういうペースをちゃんと心得てる印象」
「全力出し切ってない、って時々怒られるけどね。自分ではちゃんとやってるつもりなのになあ」
肩をすくめる甘南のおどけた声に、律は微笑む。甘南のレベルはきっと律よりずっと高いのだけど、なんだか、似たようなことを考えている気がしたからだ。
傍から見る全力と、自分の中の全力は、あんまり合致しない。
外野は、限界を超えるような努力を平気で他人に求めるけど、それが出来るかどうかなんて本人にもわからないだろうし、無責任な気がする。
コートの中では、あまり体育の得意でなさそうな翠林の生徒たちが、あたふたとボールを追いかけたり、責任逃れするみたいにパスを回したり、やけっぱちになったみたいにボールを明後日の方にシュートしている。先生も、苦笑い気味に笛を吹く。
それは全然、スポーツとしては成立していないけれど、どことなくみんな楽しげだった。
「ぶっ倒れるほど頑張らないのも、頑張るうちだよね」
甘南の、そんなひとことが、疲れた律のおなかの底に落ちてきた。
それは何となく、彼女を許してくれるような、自分の中に凝り固まっているものをほぐしてくれるような、そんな感じがあった。
長続きしなくても、何も達成できなくても、バカみたいでも、頑張った記憶は消えない。
「途中で飽きちゃっても、別にいい、って思うよ」
「やる気ないのかな、あたしたち」
「それでもいいんじゃない? 私たちらしくて」
放り投げられたボールが、ふたりの頭上に飛んできて、ぼん、と派手な音を立てた。
ふたりは、まるで怒られたみたいに首をすくめる。壁に衝突したボールは、そのまま跳ね返ってコートの真ん中に戻っていく。
甘南と律は、目を見交わして、忍び笑いをした。




