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第209話「何で毎日のようにクッキーもらえてると思ってんの?」

甘南(かんな)さん、これ。またバスケ部の人とでもいっしょに食べて」


 ラッピングされたビニール袋のなかには、手作りのクッキーが満タンに詰め込まれていた。朝一からお菓子作り、というわけでもあるまいから、昨日部活か何かで作った余りだろう。冷めてはいるが、ふっくらと焼けた生地と、練り込まれたチョコレートの色味は、口の中でふんわり広がる甘みを想像させる。

 佐藤(さとう)希玖(きく)の手からそれを受け取り、高良(たから)甘南はあいまいに笑う。


「ありがと。なんか悪いね、ちょくちょく」

「いいの。基本的に趣味だし」


 家政科部に所属する希玖は、部活でも家でもお菓子作りが趣味らしく、しばしば教室に持ってきては周囲に振る舞っている。中でも、甘南はそのおこぼれを預かることが多い筆頭格だった。運動部員はカロリーを使うし、部員も多いから、余ったスイーツの消費にはうってつけ、というわけだろう。

 甘南も、いまさらそれを受け取るのに躊躇いがあるわけでもない。


 ただ、今日はなんとなく、その袋をじっと見つめて考え込んでしまう。


「……希玖さんはいいなあ」

「え、何? 急にどうしたの」

「あたしも自分でお菓子とか作れたらよかったなー、みたいな」

「ん、ひょっとして興味ある? いままで食べるほうばっかりだったのに」

「ちょっとは、ね」


 甘南はつぶやきながら、しかし、自分のことばに自分でちいさく苦笑してしまう。クッキーの袋を机の中にしまいながら、彼女はすこし昔のことを思い出す。


「ちっちゃいころにも、年上の友達といっしょにチャレンジしたんだけどね。ぜんぜんうまくいかなかった。黒こげのクッキーとか、ぜんぜん膨らまないケーキとか、そういうの」

「あー、まあよくあることよ。初心者のうちは」

「けど、その失敗で懲り懲りって思っちゃって。それからはもう食べる専門だったんだけどさ」


 いまにして思えば、そこであきらめるかどうかが、趣味になるかならないかの違いなのだろう。

 そこで、自分で甘いお菓子を作るのではなく、腹ぺこになるまで活動してお菓子をたらふく食べるほうを選んだのが、甘南だった。それは、希玖とは別の路線だったということだ。


「向いてないのかな、って、そのときは思った」

「それが甘南さんの選択なら、よかったんだよ、きっと。人間に出来ることには限りがあるんだからさ」

「そっかな」


 机の中に押し込んだお菓子の、甘い匂いがふんわりと漂っているような気がする。それが甘南の首筋あたりにまといついて、甘南の食欲をそそる。もちろん、いまここで食べてしまうわけにはいかないけれど、あと半日もそれを我慢できるものかどうか、さすがに迷ってしまう。

 ごそり、と、甘南は袋をいっそう奥に押し込む。


「どうしたの、甘南さん。今日はずいぶんアンニュイだね」

「……何か、ここんとこ、そんな感じ」


 つぶやいて、甘南は机に両肘を突いた。今日は朝練もなかったのだけれど、何となく両腕がけだるく重い感じがする。ここしばらく、シュートの調子が良くないのも、そのせいかもしれない。


 ちょっと目を伏せて、希玖の胸元を見下ろすようにする甘南を、希玖が興味深げに見つめ返す。


「そういう甘南さんも、けっこう魅力的だよ」

「……何いってるの」


 苦笑して返す甘南。希玖は椅子をがたんと持ち上げて、まっすぐに甘南と向き合う。彼女のふだんはうかがえない細やかな表情を間近にすると、何だか新鮮だった。唇も眉も睫毛も丹念に手入れされていて、蛍光灯の明かりでつやつやと光った。

 その、希玖のきれいな形の瞳が、微笑む。


「そういう笑い方、すてきだよ」

「だからさ……」

「ほら、そういうとこ」


 甘南の、左右に振りかけた頭に、希玖が両手を伸ばした。

 頭をつかまれる。


「わ」


 ぎょっとする。希玖の両手は、甘南の頭をぴったりと固定して離さない。そうされると、なんだか、自分の頭の小ささがわかる。実際、いつも両手で扱っているバスケットボールと、そんなに感じが変わらないのだ。もちろん重さは違うけれど。

 自分の存在まで軽々しく投げ飛ばされてしまいそうな、ひやっとする恐怖を感じる。


 まっすぐ見つめる希玖の瞳から、逃れようもない。


「甘南さんって、けっこう、冷めてるよね」

「そう?」


 問い返す自分の声さえ、やけに頭に響く気がした。


「自分のやれることだけやってる、っていうか……まあそれだけなら、悪いことでもないけど。でも、何か、制限しちゃってるみたいな感覚、ない?」

「……わかんないよ」


 いきなりそんな哲学みたいな小難しいことを聞かれても、答えられるわけがない。ややこしい考え事をしないから、高良甘南なのだ。そう思う。


 そういうふうに思うのが、希玖のいってることなのだろうか?


 希玖が手を離した。離れる瞬間、耳たぶと髪を、彼女の指がそっとなでていく。こそばゆさに、甘南は目を細めた。

 ときどき、先輩がたわむれに触ってくるのと同じようで、すこし違う、繊細な指先だった。


「ま、甘南さんもたまにはお菓子作り、チャレンジしてもいいかもよ。私でよければ手伝うし、何なら家政科部に見学、来てくれても」

「……あたしが混ざっちゃ迷惑じゃない?」

「逆、逆。甘南さんなら大歓迎だよ」


 くすくすと笑う希玖の、かすかに鼻からこぼれるような吐息は、胸にやけに心地よい。


「バスケ部の、ていうか甘南さんファンの先輩いるから、絶対喜ぶよ。卒倒しちゃうかもね」

「それほど……?」

「甘南さん、自分が好かれてることも、自覚した方がいいね。何で毎日のようにクッキーもらえてると思ってんの?」


 そう告げた希玖は肩をすくめ、ちょん、とテーブルをつついた。甘南は首をかしげる。


「バスケ部の先輩、もっとたくさんもらってるよ、あれこれ」

「……あっそ」


 今度は、希玖が諦めたみたいに首を横に振る番だった。

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