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第198話「くっついてあっため合おうよ、雪山みたいに」

 破れかぶれに振り回したバットの真芯が偶然にもボールをとらえ、なんと外野まで飛んでいった。バットを投げ捨てたドロシー・アンダーソンは、どたばたと一塁まで走る。ベンチから聞こえる驚き混じりの味方の歓声は、意外と気分がよい。


「ナイスバッティン」


 一塁についていた内海(うつみ)弥生(やよい)が、にこにことドロシーに話しかけてくる。自軍にとっては不利だというのに、なぜかやけにうれしそうだった。


「まぐれよ」


 ドロシーはつまらなそうに首を振って、ベースを踏んで立つ。ボールは投手のもとまで戻ってきており、次のバッターが打席に向かっている。


 体育の時間、ソフトボールの試合中だった。この時期の体育の授業は、いくつかの球技のなかから希望の種目を選ぶ選択制だ。2クラス合同なので、総勢60人ほどの生徒が3種目に分配される。

 ソフトボールはその中で、いちばん人数が必要な種目で、結果として種々雑多な面々が集まる。運動能力が高くやる気のある面々はバスケットボールに集まり、まったくやる気のない生徒は卓球に集まりがち、という傾向だ。

 ドロシーは、比較的やる気はあるのだが、どうにも運動能力がついてこない。高良(たから)甘南(かんな)あたりに混じってバスケなどやっていたら、たぶんひとりでドリブルに失敗したりパスを明後日の方に投げたりして大変だろう。そういうわけで、多少鈍くても許されそうなソフトボールを希望したのだった。


「弥生さん、どうしてソフトなの?」


 次のバッターが打席に立つのを眺めながら、ドロシーは何となく訊ねる。弥生はピッチャーマウンドの春名(はるな)真鈴(まりん)のほうに向けていた目を、こちらに戻した。


「別に、たいした理由はないけど」

千鳥(ちどり)さんはバスケやってるんでしょ?」

「年がら年中いっしょにいるわけじゃないよ」


 弥生のいうとおりだ。親に四六時中ついて行く幼稚園児ではないのだから、親友と離れるときだってあるだろう。


「ほら、始まる」


 弥生のことばにはっとして、ドロシーは競技に意識を集中する。真鈴の球はまっすぐで、素人としては速い方だろう。ドロシーのさっきのあたりは、完全にラッキーパンチだ。バッターボックスに立った隣のクラスの生徒は必死に食らいつこうとするが、ぜんぜんタイミングが合っていない。

 ばっすん、と、重たい音を立ててボールがキャッチャーミットに収まる。ぶん、と一瞬遅れてバットが空を切った。


「これはもう、出番なさそう」


 つぶやいて、ドロシーは両腕を抱きかかえるようにして、ごしごしとこすって暖める。しかし、半袖の体操着から伸びる二の腕は、どれだけこすってもあっという間に冷えていく。

 だだっ広いグラウンドの真ん中は、風がよく通る。こんな場所に肌を晒して突っ立っていると、あっという間に手足がガチガチになってしまいそうだった。

 バッターボックスに入るときに、気合いを入れるつもりでジャージの上を脱いでしまったのが良くなかった、とドロシーは悔やむ。


「弥生さん、寒くない?」

「そりゃ寒いけど……」


 守備についている生徒たちは、全員が上下ともジャージを着ている。ボールが飛んできそうもないし、動く必要さえないのだから、出来るだけ厚着していたくなるのが人情だろう。


「ドロシーさん、いつになく肌が白いよ」

「早く運動してあったかくなりたいわ……盗塁しようかしら」

「出来るの?」


 素朴な弥生の問いかけに、ドロシーは首を振るしかない。ソフトボールは野球と違って投球前のリードが出来ないので、そもそも盗塁の成功率は低いのだ。

 が、それ以前の問題として、ドロシーの脚力と反射神経では、盗塁なんて夢のまた夢だろう。キャッチャーも盗塁なんて想定していないだろうが、それでも無理な気がする。


「まあ、アウトになったらベンチに帰れるし、あったまれると思うけど」


 弥生の忠告に、ドロシーは首を振った。


「それはプライドが許さないわ」

「……あっそ」


 つぶやいた弥生の顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。素朴でてらいのない、弥生らしい微笑みだ。


 バッターが見事に空振りして、1アウト。あとふたりの打席を待たないといけないとあって、もうドロシーは飽きてきていた。バッターが入れ替わる合間を使って、ドロシーはベースの上でぴょんぴょんと跳ねる。


 ベースの脇に着地したドロシーの肩を、ふいに、弥生ががしりとつかんだ。ファーストグラブの圧力が、左の肩に鈍くのしかかる。

 振り返ると、弥生がにこにことドロシーを見つめていた。唇の端がうっすらつり上がって、いたずらな気配を漂わせる。


「どうしたの」

「ぎゅってしたくなった」

「……何。浮気?」

「違うよ、ただ寒いだけ」


 ぎゅっ、とドロシーを両腕で押さえ込むみたいにして、弥生が顔を近づけてくる。よく見れば、彼女の唇もいくぶん青白い。

 ドロシーは、弥生の右手を左手で押さえる。


「うわ、冷た」

「手が凍っちゃいそう。くっついてあっため合おうよ、雪山みたいに」

「大げさ」


 そういいながらも、ドロシーは弥生の手をかるくこする。それで、お互いの指先がだんだんと温度を増していくような気がした。


 団体競技とはいえ、ソフトボールというのはなかなか孤独な競技だな、とドロシーは思う。バッターボックスでも守備位置でも、それぞれの選手はひとりきりだ。飛んでくるボールに一対一で向き合って、自分の力で何とかするしかない。

 人と人の距離が近づくのは、ベースの上に走者がいる間だけ。

 選手たちのちっぽけさに比べて、グラウンドは大きすぎるのかもしれない。


 敵と馴れ合うなー、と双方からブーイングが飛んでくる。くすくす笑って、ドロシーと弥生は距離を置く。


「ここでくっついてたら、攻撃の邪魔だもんね」

「どっちもプレーの妨害でしょう」


 ベースを踏んだままつぶやいて、ドロシーは、投手のフォームを見すえる。もちろん真鈴は盗塁なんか想定していないだろう、バッターの方しか見ていない。


「……それじゃ、お別れね」

「またね」


 ひそひそ声で囁き合って、ドロシーと弥生は目配せする。このほんの一瞬だけ、ふたりはこの広大なグラウンドの中で、お互いだけの存在であったように感じた。


 真鈴の手からボールが離れた瞬間に、ドロシーはベースを蹴って、走り出した。

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