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第2話「そこには、一面の桜。」

 散りかけた桜の下、はらはらと落ちる花びらを見上げて立ち尽くす少女の姿に、木曽(きそ)穂波(ほなみ)は目を奪われた。


 校門から玄関に続く砂利道からすこし離れた、校庭の片隅。そこに一本だけぽつんと立つ桜の木は、窮屈な人波を避けて自由に枝葉を広げ、孤立を楽しんでいるようにも、孤高を気取っているようにも見える。

 その桜を、鋭い目つきでまっすぐに睥睨する少女の横顔は、はかりがたい表情を宿している。


 穂波も、登校する生徒たちの群れから外れ、吸い込まれるように少女に近づく。

 芝を踏んで桜のそばまで歩み寄る。少女の面差しはいっそう険しく、余人を近寄らせない気配を発していた。穂波は怖じ気付きつつ、しかし、おずおずと少女に声をかけた。


満流(みちる)さん?」


 山下(やました)満流が振り返った。三白眼気味の彼女の目は、桜を見上げていたときのそれと変わらず鋭い。後ろで一本に結った髪が、犬の尻尾のように揺れた。


 穂波と満流は、この4月から同じクラスになり、最初の席替えで隣り合わせの席になった。しかし、どこか孤高の雰囲気を宿す彼女に話しかける機会はなかなかなく、相手も強いて声をかけてこようとはしなかった。

 教室では近すぎる彼女に、こうして校庭の片隅で声をかける勇気が出たのが、穂波にはちょっと不思議だった。


「……ごきげんよう」


 満流がちいさく会釈をする。たったそれだけのことで、穂波はなんだか、ほっとした。言葉を継ぐのもためらわない。


「ごきげんよう。何していたの?」


 じっ、と満流は穂波を見据える。彼女の目つきをまともに受けると、なんだか圧力を感じて腰が引けてしまう。クラスだとなかなか話しかけられなかったのは、そのせいもある。

 ふたりの間を、薄紅色の花びらがはらりと落ちていく。


「あっ」


 ぱ、と、花びらを追って満流が不意に手を伸ばす。その大きな手のひらをひらりとかわして、花びらはくるくる回転しながら地面まで落ちていった。

 満流は、表情をふにゃりとゆるめる。眉と目尻と唇がいっぺんに垂れ下がって、ひどくしょげた顔になった。


「惜しかったね」


 穂波の口から、自然と笑いがこぼれた。満流はそんな穂波の様子に目もくれず、足下の花びらをじっと見つめるばかり。短い芝の上で、薄紅色の花弁は軽業師のようにバランスよく静止している。満流は、ちいさなステージの観客よろしく、口を閉ざしたきり。

 ふたたび、あの怖い目つきが、満流の顔によみがえってくる。茶化したり、邪魔したりしてはいけないことだったろうか。そう思った穂波は、口の中で、ごめん、とか何とかいって立ち去ろうと、一歩退く。


「待って」


 ふいに、満流がこちらにずかずかと近づいてくる。すごい勢いで迫る三白眼に、おびえた穂波は動きを止める。

 満流が、穂波の顔に手を伸ばす。


「……つかまえた」


 ぽつりとつぶやいた満流の指先には、小指の爪よりもなおちいさな、一枚の花びら。


「あ」

「よかった。ありがとうね、穂波さん」


 穂波の名前を呼んで、満流は目を細め、子猫のようにほほえむ。穂波はきょとんとして、満流の挙動を見つめているしかない。


 満流は、右手の人差し指と中指で花びらをそっと挟みながら、左手で胸ポケットから手帳を取り出す。生徒手帳より一回りちいさな、カードケースほどの大きさの手帳の最後のページを開いて、桜の花びらをそこに貼りつけた。わずかに湿り気を保つ花びらは、白い紙にぺたりとくっつく。

 手帳を閉じながら、満足げに息をつく満流に、穂波は訊ねる。


「集めてるの?」


 満流は、あらためて存在を思い出した、とでもいうように、はっと顔を上げて穂波を見る。目つきはふだん通りの険しいそれだけれど、ふしぎと、穂波はもう恐れを感じなかった。

 満流は、ちょっと首を動かしてうなずき、手帳のページをこちらに向けた。

 そこには、一面の桜。


「1日1枚。なんとなく始めたんだけど……記録みたいで、なんかよくない?」


 日付を記され、セロテープで留められた桜の花びらの数々は、同じようでいて個性がある。ちょっと大きかったり、色が濃かったり、先端が数ミリだけふたつに割れていたり。

 満流の日々は、この桜のように色づいているのだろう。穂波は、ほとんど知らない彼女の日常をかいま見たような気がして、うれしくなる。


「この手帳、いいね。ちっちゃくて、スマートだけどかわいい。どこで売ってるの?」


 花びらをはがさないよう、注意深く距離を保ちながら穂波は訊ねる。手触りのよさそうな革の表紙が、朝日の中でつやつやと光っている。ページの紙にぽつぽつと薄灰色の部分が残っているのも、手作り感を漂わせて、穂波には好印象だった。


「たぶん、近くには売ってない」

「そうなんだ?」

「父がフランスで買ってきたの。個人輸入の仕事をしていて、世界中からいろいろ変なものを買い付けてくるんだけど、たまにこうしてお土産をくれる」

「へえ」


 感心する穂波は、ふたたび手帳と花びらを見つめ、それからふと思いついて顔を上げた。


「わたしも集めてみようかなあ、花びら」

「好きにしたら」


 肩をすくめる満流。穂波は彼女の脇をすり抜けて桜の下に歩み寄り、思い切り顔を持ち上げる。

 真下から桜を見上げると、枝の隙間から青空がのぞく。木漏れ日は穂波の目をちかちかとさして、一瞬、めまいみたいな感覚が襲う。

 そんな中、一枚の花びらが、くるくると宙を踊って落ちてくる。


「よっ」


 ジャンプいちばん、穂波は、手を伸ばして空中の花をつかまえた。重みも触感も何もなかったけれど、掌中にちいさな花びらがあるのが、はっきり分かる気がする。

 やった、と満足げにうなずく穂波の横で、はあ、と、満流が息を吐いた。


「……高いね」

「そう? 満流さんも高いと思うけど」


 背丈のことをいわれたのかと思って、穂波は首をかしげる。たしかに穂波はクラスでも随一の高身長だが、たしかその次に高かったのは満流のはずだ。だからふたりそろって、クラスのいちばん後ろの席になった。


「いや、ジャンプが」

「ああ。たいしたことないよ、幅跳び専門の先輩とかのほうがずっと高く飛ぶもの」


 謙遜する穂波の顔を、満流はじっと見上げている。あごを持ち上げ、お下げを後ろに垂れさせて、彼女は何か、きらきらするものを見つけたように目を開いたまま、その場を動かない。


「どうかしたの?」


 また花びらでもついているのか、と、穂波は自分の頭を軽くはたく。と、満流はふいに、口を開いた。


「穂波さん、うちの部活にこない?」

「満流さんの、って、演劇部でしょ? 無理無理! わたし初等部の学芸会でも木の役だし」

「それでもいいよ。翠林演劇部史上いちばん高い木の役」


 言って、満流はにんまりを笑みを浮かべた。

 からかわれたのだ、と分かって、穂波の顔が真っ赤になる。


「もう!」


 むくれた顔で声を上げながら、しかし、ふしぎと不快な気分ではなかった。つっけんどんな山下満流が、そんな冗談も言える子なのだという事実が、まるで歴史的新発見みたいに穂波の心にしみ入ってきて、結局、彼女も満流と一緒に、くすくすと笑い始めた。

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