第186話「娘さんとおつきあいさせていただいてます、みたいなのは」
「恥ずかしいからやめてって、毎年いってるのに」
武藤貴実はぶつくさとぼやきながら、首を振る。
「いい親御さんだと思うけどね」
向かいに座った真木歩は、訳知り顔でうなずきながら、貴実のお弁当箱にこっそり手を伸ばして大きな唐揚げをかすめ取ろうとしている。ぴしゃり、とその手をはたいて制しながら、貴実は肩をすくめる。
昼食時の話題は、そろそろ近づきつつある文化祭のことだった。貴実も歩も、格別に参加するようなイベントがあるわけでなく、ほとんど他人事のような気持ちでいる。
ただ、貴実にとっては、ひとつ問題があった。
娘が翠林の奨学生になれたことを大喜びし、毎年文化祭に来訪してくる彼女の両親のことだ。
「でもさ、親がキメキメで娘の前に出てくるの、何かヤじゃない?」
ほかの翠林生の前で、娘が恥をかかないように、というお題目で、武藤家の夫妻は毎年めかし込んで学院にやってくる。他家の大人たちは、むしろ派手さを抑えた装いでさりげない高級感を醸し出しているのに、貴実の親はそういう加減がわかっていないのか、家計に釣り合わない豪奢な服やアクセサリーをごてごてと身につけてくるのだ。
初等部の参観日などでは素直に歓迎したけれど、多少物心が付いてくるようになると、とたんにみっともなくなった。ここ数年、貴実はいつも抗議しているのだが、両親は聞き入れてくれない。
今年もまた、あのど派手なスーツを着てくるのかと思うと、気が重い。どうやって他人のふりをしようかという算段で、頭が一杯になっている始末だった。
「うちはそういうこと、ぜんぜんないから。私のことは基本的にほったらかしだし、見た目には無関心だし」
そんな貴実の気苦労も知らず、歩の答えはのんきなものだ。あきらめ顔で、貴実はいっそう大きく首を振った。
「……歩さんに訊いたのが間違いだった」
「そうかな。私は貴実さんからそういう質問が聞けたの、おもしろかった」
歩の答えに、貴実は一瞬、眉をひそめた。歩のことばはときどき変だが、ちゃんと考えると意外に筋が通っていることがある。まるきり明後日のことばで人を翻弄する恵理早とは、その辺が違う。
すこし考えて、貴実は歩のいいたいことを察した。なるほど、彼女らしい。
「こっちとしては、単に同意してほしかっただけなんだけど」
「なるほど、修辞ね」
言い回しとしての修辞疑問を真に受けるとは、なんだかネットのかみ合わない会話のようだ、と貴実は思う。
あるいは、ひょっとして歩はわざとことば通りに受け止めたのかもしれない。自分と貴実の違いを感じて、それを面白がって。
手元の大きな弁当箱から煮豆を口に運びながら、貴実は何となく歩を見つめる。彼女の手には、野菜とスクランブルエッグをたっぷり挟んだ購買のサンドイッチ。
「歩さんちは、文化祭来るの?」
「さあね。スケジュールが直前まで決まらない、っていってた」
サンドイッチをがぶりと真ん中までかじって、歩は興味なさそうにいう。
「どのみち、もともと学校での私にはほんとに関心なさそうだからね。これまでも似たようなものだったし」
「……うちとは大違いだね」
「でも、ある意味似たようなものかもよ。翠林にちゃんと入れることができて、安心してるんだと思う」
安心、という単語を、歩はいくぶん冗談めかした調子で口にした。ぎゅっ、と握ったサンドイッチの断面から、みずみずしいトマトの果汁がしたたる。歩は、それをぽいっと口に放り込んで、すぐに飲み込んだ。
「大学までまっすぐ進めることは間違いないし、そのあいだはちゃんと世話してくれるわけだから。教育については、あんまりめんどくさく考えなくていいっていうわけ。で、大人になったらあとは娘にお任せ、と」
「……それもずいぶんないいかたじゃない?」
歩の表現では、両親の無責任さをあからさまに糾弾しているように聞こえる。彼女がそんなに両親に複雑な感情を抱いていると思っていなかったから、貴実はすこし驚いた。
しかし、歩は屈託なく、むしろ楽しそうににこにこしている。
「そうかな? 信頼してもらってる、って思ってるけど」
「ああ……歩さんはそうかもね」
彼女くらいに頭が切れて、自立心が旺盛なのだったら、親にはほったらかしにしてもらっているくらいのほうがちょうどいい。へたをすると、それこそ初等部のころから、彼女はそんなふうに考えていたのかもしれない。
親のやることなすことにいちいち文句を付けている、貴実のほうがよほど幼稚だ。
「でも、寂しくなかった?」
「別に」
しれっと首を振るあたりが、真木歩らしさだ。なんというか、かなわない。
こういうところ、貴実は素直に憧れる。
「私も、あんまりブツクサいわないほうがいいのかな。親とか」
「着飾るとかは、センスの問題だからね」
「……つまり、うちの親が悪趣味って?」
陰口みたいなことをいうのは悪いな、と思いつつも、つい貴実は笑ってしまった。たしかに、あのセンスは成金とか泡銭でもうけた人のそれだ。金ピカで、仕立てはいいのに、絶望的に体型や顔立ちに合っていない。
「親御さんだって生身の人間だしね。弱点くらいあるでしょ」
「それもそうだよね」
さすがに高校生ともなれば、親に完全な正しさなんかは期待しない。服の趣味の悪さくらいは、愛嬌のある弱点だろう。年に一度の晴れ舞台で、そういう弱みをうっかりさらしてしまうあたりは、むしろ人間味があると評価していいくらいだ。
とはいえ、いつも巻き込まれる娘の身としては、たまったものではないが。
「勘弁してほしいんだけどね。いちいち娘のとこに来てわあわあはしゃぐし、友達も紹介してもらいたがるし。子離れできてないっての」
「それじゃあ、私もお会いできる機会があるわけ?」
「そう……見ても笑わないでよ」
優等生である歩に、両親も会いたがるだろう。なんだかんだで、クラスではよく話す相手でもある。
「笑いやしないけどさ。どんな顔して出てけばいいかな。翠林生らしく行儀よくしてみる?」
「そういうの苦手でしょ? 好きにしたら」
「じゃあ、娘さんとおつきあいさせていただいてます、みたいなのは」
「応対しにくい冗談はやめてよ」
まさか真に受けもしないだろうが、両親がそういう状況に即応できるとも思えない。何しろ貴実の両親だけあり、基本的には真面目一辺倒なのだ。着飾るのだって、つまりは、無趣味な堅物がアイドルにのめり込んだみたいなもので、加減がわからないのかもしれない。
「けど、そのくらい驚かしたほうが、目が覚めるかもしれないしさ」
「……どうかなあ。逆に学校から連れ出されるかもね。不純だって」
「そしたら私が追いかけて連れ戻そう。ヒーローっぽく」
「ヒロインじゃなくて?」
言い合って、くすくすと、歩と貴実は額をつきあわせて笑う。
そんな映画みたいなシーンが実現したら、それこそよほど、お芝居みたいだ。両親の派手な出で立ちだって、B級映画の悪役めいて見えてくるだろう。案外、そういう瞬間を、彼らも望んでいるのかもしれない、とさえ思う。
でも、そんな中でさえ、歩は平然と主人公を演じていそうだった。彼女には不思議と、そういう超現実的な有様が似合う。
サンドイッチを食べ終えた歩の手に、ふと、貴実は手を伸ばす。ちょっと指先が触れると、歩がふしぎそうに、首をかしげた。
「何? いまから連れて逃げてもらいたくなった?」
「それもいいかもね。文化祭が終わるまで」