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第185話「賄賂くれたら、紅茶の予算、都合するわよ」

 翠林女学院高等部の文化祭には、いちおう”聖カタリナ奉戴感謝祭”という正式名称がある。

 しかし、そのいささか長ったらしい名前で呼ばれることは滅多にない。ずっと翠林に通う一般生徒にとっては、「文化祭」といえば翠林の文化祭のことで、ことさら特別な名前で呼ぶ必要もないからだ。堅苦しい聖歌隊においてすら「カタリナ祭」という略称が用いられているくらいで、要するに、長い名前は格式こそあれ人に覚えられないものなのである。


「覚えているの、私だけじゃないかしら……」


 生徒会室にひとり居残った舟橋(ふなばし)妃春(きはる)は、書類の束をめくりながらひとりごつ。

 今日は、文化祭における活動内容の申請に関する最終提出日だ。予算と事務処理の手続きに関するどうしようもない限界で、ここを越えたら変更の申請は絶対通らない。泣いても笑っても、今日の下校時刻がデッドラインだ。

 なぜか、そういう日に飛び込みで変更申請をしてくるクラスというのが絶対にある。というのが、妃春の”お姉さま”が告げた恐ろしい都市伝説であり、生徒会役員もしくはそれに準ずるソロリティメンバーが、そういう不届きもののために生徒会室で留守番をするというのが伝統なのだそうだ。


 驚くほど優雅なくじ引きの結果、妃春が留守番役となり、ついでにたまっている書類の整理も押しつけられたのだった。


 こういうときに1年生が外れを引くのも不思議な伝統だ、と”お姉さま”はいっていたが、それは要するにイカサマだということではないか。釈然としない思いを抱えつつ、妃春は書類をめくる。


 書類のいちばん上には、文化祭の長々とした正式名称が記されている。その書類を見るのは、各クラスや部活動の責任者、あとは生徒会役員ぐらいだ。そしてその大半は、書類の細かい文面なんて目に入っていない。アプリの利用規約に一言一句目を通したりしないのと同じだ。

 長々とした名称を記した文書の表題は、学院の伝統や権威を表すための、記号にすぎない。


 ノックの音がした。


「どうぞ」


 伝統とやらは正しかったらしい、と思いつつ、妃春は扉の方に声を投げた。すこしの間があって、おそるおそる、扉が開かれる。


 そこにいたのは、意外なことに、1年撫子組の生徒だった。


「……よかった。妃春さんか」

「何がよかったの?」


 佐藤(さとう)希玖(きく)は、ドアを閉めながら、妃春の問いに苦笑混じりの答えを返す。


「先輩だったら、ちょっと緊張するな、って」

「それは杞憂だったわね。それで何の用? うちのクラスのことじゃないでしょう?」


 撫子組は、クラスとしては文化祭への参加に消極的だ。個々の生徒は、軽音部のステージに出たり、演劇部の舞台で役をもらったり、大化学実験の決行を提案してきたりとなかなか活発で、ほかの生徒たちもそちらの見物を楽しみにしている節がある。おおむね個性的で独立独歩な撫子組らしい。

 ともあれ、そういう事情なので、ここに撫子組の生徒が来ることはないと妃春は思っていた。


「差し入れ」


 そういって、希玖が差し出してきたのは、ラップに包まれたケーキカップだった。中身は、どうやらカボチャと栗を使ったケーキらしい。オレンジ色のクリームの上に乗ったおおきなマロンが、つやつやと光っている。横に添えられた銀のフォークが、ちいさくてかわいらしい。


「私に?」

「ソロリティの人に、って。毎年、この時間に誰かいるはずだからって、家政科部の先輩が」

「……ははあ」


 つまるところ、生徒会の伝統はほかの部活にも知られているらしい。家政科部から誰かがやってくるのも、伝統のうちなのだろう。そこまで教えてくれないとは、”お姉さま”も人が悪いが、まあ、彼女らしい。

 ひとりで得心してうなずく妃春を、希玖が不思議そうに見ている。


「どうしたの?」

「何でもない。いただくわ」


 席を立ち、妃春は希玖の手からケーキの乗った皿を受け取った。


「もうハロウィン気分?」

「というか、この1ヶ月ずっと」

「浮かれすぎじゃない? あと、本番の時にはカボチャに飽きてしまいそう」

「とっくに飽きてるのに、なぜかみんなやめられないんだよね……中毒なのかな」

「変なものでも入ってないでしょうね」


 見るからに甘そうなカボチャとマロンのケーキを、妃春はこわごわ見つめる。薬物や何かより前に、糖分の中毒性が危険そうだった。


「昔は、ケーキの下に賄賂が添えられていたって噂だよ。予算の便宜を図ってもらおうって」

「コストパフォーマンス悪そうな賄賂ね……」


 それも都市伝説の一種だろう。実際にそんなエピソードがあったかどうかは、知る由もない。


 妃春は皿を置いて、部屋の奥にある水場の方へと足を向ける。お湯と茶葉は生徒会室に常備されていて、ふだんは上級生の許しがなければ手が出せないけれど、いまならばれないだろう。その程度の役得はあっていい。


「紅茶、いれるけれど。希玖さんもどう?」

「え、いいの?」


 希玖はびっくりして妃春を見つめた。声をかけなければ、すぐに立ち去るつもりでいたようで、すでに片足が扉の方を向いている。

 給湯室に入って、妃春は希玖の方を振り返る。机の脇で寄る辺ない顔をしていた希玖に、妃春は半笑いでいう。


「遠慮することないわ。どうせ今日は、私たちだけですもの」

「う、うん……でも、生徒会室の茶葉って現地から直輸入の最高級品で、一杯何万円もするって」

「それこそ噂よ。せいぜい数千円ってところじゃない?」

「……家政科部はスーパーで売ってるティーパックなんですけど」

「賄賂くれたら、紅茶の予算、都合するわよ」


 くすくす笑いながら、妃春は手早くポットに茶葉を入れ、じっくりと蒸らす。希玖はぽかんとした顔で、妃春の手つきをじっと見つめている。

 サモワールをポットにかぶせて、妃春は希玖に振り返る。


「どうしたの? 本場のダージリンがそんなに心配?」

「……妃春さん。意外」

「何が?」

「あんまり冗談いう人ってイメージじゃなかったから」


 希玖は、まだちょっと信じられないという顔つきで、妃春の様子をうかがっている。給湯室からだと、彼女の姿はいくぶんふんわりした夕方の空気に包まれて、あやふやに見えた。その表情も、笑っているのか、戸惑っているのか、どちらともつかない。

 彼女からも、たぶん、妃春がそんなふうに見えているのだろう。


 教室では見せない類の横顔や、よそで誰かと向き合うときには発しない高さの声。

 そういうものが、つい、こぼれてしまっている。

 たぶん、そのギャップが、妃春を別人のように見せているのだ。


「……まあ、一学期のころは、まだちょっと固かったわね。緊張してた」


 はにかみながら妃春がいうと、希玖はまばたきする。


「ソロリティに入る、って話だったし、そういう人なのかな、って納得してたけど」

「……やっぱり、生徒会って、そういうイメージよね」


 肩をすくめる妃春。

 とはいえ、実際、妃春も中に入ってみるまではそんな印象だったのだ。美しく、気高く、隙のない、翠林の頂点にして全生徒の憧れ。

 そういう、マンガみたいな存在だと思っていた。


 いまでも半分くらいはそうだが、そうでない側面があるのも、妃春は知っている。

 決して、優秀な生徒の模範であるだけじゃない。インチキなくじで下級生を罠にはめる、いたずら好きな人々だ。


「けれど、私も、ほかのソロリティの先輩も、結局はおなじ高校生よ。そんなに変わらない」

「同い年でも、かんたんにおなじだとは思えないけれど……」


「想像できるほどおなじじゃないし、妄想するほどは違わない。その程度」


 蒸らした紅茶を、カップにすこしずつ注ぐ。濃さが均等になるように、2杯のカップにそれぞれ、バランスよく。その分量の適切さも、心得たものだ。

 トレイにカップを乗せて、給湯室を出る。希玖はまだ、扉の前で、おちつかなげに立っている。

 希玖は、彼女に微笑みかけた。


「適当に座ってよ。平気平気」

「……ほんとうに? 不敬だって糾弾されたりしない?」

「大丈夫だってば」


 妃春のことばに、ようやく希玖はうなずいて、腰を下ろした。彼女の前に、そっとカップをおく。かちゃり、と、品のいい響きが生徒会室を満たした。


 下校時間まで、あと10分。

 きっと、退屈しないティータイムだ。

家政科部とカボチャの話は175話で。


11/15追記:全編通じて名前をミスしていましたので修正しました。木曽穂波→佐藤希玖です。

混乱を招いてしまい申し訳ありません……

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